武士道『葉隠』が説く恋の極意とは ~日本男児必読!!~

武士道『葉隠』が説く恋の極意とは ~日本男児必読!!~

楠公研究会は、我が先祖顕彰のみならず、真の日本を取り戻す国體護持を目指し活動しているのであり、色恋等、一切の興味も関心もございません。とはいえ、一方的に懸想される事もあり、しかし、人の心や感情を強制するなど、おこがましき事をするつもりもございません。人が人に恋をする事自体を否定する事はできないからです。しかし、勝手に懸想した末に、その想いが受け入れられなかったからといって、今般の事案の場合に限って申さば、山下個人の携帯番号を知り得なかったという事のみによって、勝手に失恋するだけならばいざ知らず、楠公研究会をして「美人局研究会」などと流布し侮辱するなど到底許せるものではございません。現状の我が国を鑑みるに、色恋なんぞに身を投じている場合ではないはず。少なくとも、私には左様な気はさらさらございません。恋心を否定は致しませんが、「葉隠」は「恋の至極は、忍ぶ恋。一生忍んで想い死にすることこそ恋の本意」と説きます。死して鳥辺野の煙となりて初めてその想いを吐露するという事こそ、もののふと言えましょう。近現代史も結構ですが、色恋に興じる前に、我が国體の真髄を学ばねばなりません。扨、冒頭で紹介しております伊勢赤福本店11月「朔日餅」についての由緒は商売繁盛を祝う「ゑびす講」。元来、ゑびす様とは、大国主命の御子・事代主命の同一神とされて幽界をお鎮めになられている偉大なる神。高天原の遣いである武甕槌命から、大好きな漁に興じていた事代主命は、それが天照大御神からの神慮と聞かされるや否や、「承知した」とこれを受諾、逆手で柏手を打ち幽界にお隠れ鎮まられました。ゑびす様になられてからは、大好きな漁に因み、いつも肩に鯛の掛かった釣竿を下げて福よかな満面の笑顔で鎮まられており、その風貌はまさに「福の神」。打ち出の小槌に見立てた焼印を施された餅は、餡も生地も黒糖の味わいで、黄金色の小判に見立てた餅は、さっぱりとした柚子風味とされ、一度に二度楽しめる11月の伊勢神領民にとっての風物詩となっています。これは、神無月(旧暦10月)に出雲に赴かない「留守神」とされたえびす神(夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須)ないしかまど神を祀り、1年の無事を感謝し、五穀豊穣、大漁、あるいは商売繁盛を祈願する事に起源を有します。神無月の語源は、全国の神様たちが出雲大社に集まって話し合いをする月なので、各地で神様が不在になるからといわれています(諸説あり)。そして、えびす様も神様でいらっしゃるので、当然旧暦の10月には出雲へ出かけるのでしょう。。と思いきや、何故かえびす様だけは、各地に居残られ、留守を守護なされます。他の神様から置いてけぼりとなられまえびす様をお慰めようとして始まったのが、「えびす講」の起源とも伝わります。皆様の商売繁盛と開運招福、そして御家族様の健康を祈願いたします。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm37759392