【みちのく壁新聞】大崎太平記-2、梅香姫と小僧丸の悲劇、相次ぐ家中の内紛と天文の乱

【みちのく壁新聞】大崎太平記-2、梅香姫と小僧丸の悲劇、相次ぐ家中の内紛と天文の乱

六代持詮の代には、和賀氏の同族争いに、稗貫・斯波・南部氏などとともに、公方大崎氏の軍勢が出動するなど、奥州探題として一定の影響力は持っていたようだ。しかし教兼の代の応仁元年(1467)、京都において「応仁の乱」が勃発し、このころになると、南奥の伊達氏の勢力が伸び、大崎氏のもつ奥州探題の権威を実力でしのぐようになっていた。伊達氏は奥州諸氏の家督争いに後楯になるなどしたことから、奥州諸氏は、探題である大崎氏の指揮権から脱し、伊達氏に従う武士も現れてきた。社会には下剋上の風潮が起きつつあり、大崎氏の探題としての権威や機能も次第に失われていった。…

http://www.nicovideo.jp/watch/sm38059431