初 代 軍 神 西 住 殿

初   代   軍   神   西   住   殿

西住 小次郎は、大日本帝国陸軍の軍人。陸士46期。最終階級は陸軍歩兵大尉。勲五等功四級。熊本県上益城郡甲佐町仁田子出身。 日中戦争における第二次上海事変から徐州会戦に至るまで、八九式中戦車をもって戦車長として活躍。戦死後、軍部から公式に「軍神」として最初に指定された軍人として知られる。第二次上海事変に戦車小隊長として参加すると、歩兵支援を目的とした八九式中戦車を駆って34回の戦闘に参加し、大場鎮の戦いでは、味方の猛攻にもかかわらずに陥落しない敵陣に対して、真正面150メートル程の地点まで八九式中戦車で進出し、9時間主砲を撃ち続けて戦況を切り開く戦功をあげた。大場鎮の戦いに続き南翔攻城戦においても、膠着状態を打破する為に敵軍の真正面に進出し、八九式中戦車に直撃をうけて大きな穴があいた状態で戦闘を2時間継続した。なおこの戦いでは、苛烈な軍人としての行動の他に、戦闘中に見失った部下の小隊を、直撃弾をくらった状況の八九式中戦車から飛びおりて捜索し、部下が無事合流した際はその無事を喜んで男泣きし、自身は捜索中に左足に被弾していたにもかかわらず重傷の部下の看病をつきっきりで行うといった部下思いの西住小次郎らしい面を見せている。激戦を戦いぬいた相棒の八九式中戦車は、1300発もの弾丸を浴びて車体は穴だらけという状態になっており、巡察の際にその姿を見た朝香宮鳩彦王から「まだ使えるのか」と尋ねられる程だった。ちなみにガルパンのみほは、みずほ号から取ったものと思われる 情が厚いみぽりんすこ 西住ありと人は知る(あとは著作権が切れてることを願う)

http://www.nicovideo.jp/watch/sm38077434