【神道シリーズ・シーズン2】第37回・平田篤胤【後編】玉襷と妖神邪鬼と大国主

【神道シリーズ・シーズン2】第37回・平田篤胤【後編】玉襷と妖神邪鬼と大国主

37歳の時に相思相愛だった妻・織瀬を無くし、亡き妻を偲んで「霊能御柱」を書いた平田篤胤は、41歳になると「霊能御柱」で描いた人の死後大国主の支配する幽冥界へ行くと言う説をさらに進め、それを前提として人はいかに生きるべきかについて詳しく述べるようになる。篤胤は、人の世を円満に治めて行く上でもっとも大切なものは人の「まごころ」だと言うが、ただ、その「まごころ」とは普通の意味のそれではなく、男女の生殖器のことを指しており、男性の男根と女性の女陰は実は産霊神のタカムスビとカミムスビから与えられたもので、この両神は天地開闢以来八百万の神々を産んで来ただけではなく、人に人を産む力、つまり、「まごころ」=生殖器を人に与えたのだと言う。しかし、このまごころたる生殖器を持つ男女には穢れから生まれた禍津日神たる妖神邪鬼が悪さをしてそそのかし、人の世の安寧を乱そうとする。だから人は祓戸神に祈ってこの悪神を追い払う必要がある、と篤胤は言う。人の悪行はたとえそれが意図的なものであろうが意図せぬ結果のものであろうが、結果的に悪行がなされぬよう妖神邪鬼、つまり悪神・禍津日神を祓い伏せる義務があると篤胤は主張する。そして、こうした生前の人の善神に対する祈り行為は幽冥界主の大国主がちゃんと見ており、多く主は生前だろうが死後だろうがこうした人の行為に対してきちんと賞罰を下すのだと言う。しかし、よくよく考えてみると、なぜタカムスビやカミムスビという産霊神はこのような悪神・妖神邪鬼なるものを創造してしまったのだろうか?篤胤に言わせると、それは、創造神がこうした悪神を造ってそれをわざと野放しにしているのは、人がこうした邪鬼と戦い葛藤することを通じて人のまごころ、つまり人の男女生殖器は磨きがかかりその誕生してくる新たな生命はより輝いてくるからだ、と言う。また、まごころ=人の男女生殖器論を展開する篤胤は、女がたえず男に対して控え目で男たちを喜ばせる存在であることを「アメノウズメの徳」と呼び、ちょうど古事記の天岩戸の神話でアメノウズメが全裸踊りをしてアマテラスや他の神々を喜ばせたのと同様、この徳はこの世のすべてを円満にするための大切なものだと、現代的視点からすると実に男尊女卑的で男女差別的な思想視点を持っていた。ただ、問題なのは、こうした町民人情的な価値観の延長線上にあったのは、日本は世界のみならず宇宙の中心である的な妄想的日本中心主義であり、これは明治以降にも篤胤の門人たちに受け継がれ、明治以降の神道系カルトと言われた多くの新興宗教を産み、それが次第に政界や財界や軍部にまで深く浸透し、やがては太平洋戦争での壊滅的敗北という悲惨な運命にまで導いていくのであった。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm39026665