キャンセルされた歴史を取り戻す第3回  なかった南京事件3

キャンセルされた歴史を取り戻す第3回  なかった南京事件3

みなさん、こんにちは。キャンセルされた歴史を取り戻す、第3回は、なかった南京事件その3、情報戦と歴史教科書です。日本軍は、上海の戦闘で苦戦をし、僅かの間に4万にんもの死傷者をだしたので、敵の背後に上陸する作戦を実施しました。そうして国民党軍は総崩れとなり、南京へ退却したのです。しかし、国民党政府や外国人は重慶に避難し、敵兵以外、南京に残った人々は、批難することもできない貧しい中国人たちと、安全区委員会のメンバー二十数名と記者5名だけでした。外国人が報じた大虐殺とは、情報源をたどれば、全て安全区委員会の特定の外国人に行き着きます。その一人のマギー牧師は、東京裁判で、自分自身が直接見た例をきかれ、警備中の日本兵が、中国人を呼び止めたところ、逃げだしたので後ろから撃ったのを見たと答えました。自由に歩き回れた彼が見たのは、この1件だけでした。国民党政府の宣伝部は、外国人の記者や大学教授を雇って、南京市内の日本軍の乱暴狼藉のフェイクニュースを世界に宣伝させたのです。戦争中ですからこれを戦時プロパガンダといいます。その後南京戦に参加した将兵や記者たちがいなくなると、今度は中国共産党政府が、この南京事件を再び政治宣伝に利用して、わが国はもちろん、世界中に広めたのです。国連で強い発言力を持っている中国政府は、平成27年にユネスコの世界記憶遺産に、この南京事件を無理やり登録しました。しかし証拠とされる資料の保管場所は、いまだに公開していません。もし彼らが公開すれば写真や資料は偽物と、すぐ分かってしまうからでしょう。日本政府は、直ちに抗議し、ユネスコの供出金・分担金の支払いを保留したのです。この本の写真は以下のように説明されています。「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち。国民政府軍事委員会「日かん暴行実録」(1938年刊行)所載。同じ写真が、アイリスチャンの本にも掲載されていました。しかし、実はこの写真は、アサヒグラフの、昭和12年11月10日発行の12ページに掲載された「我が兵士に護られて野良仕事より部落へ帰る、日の丸部落の女子供の群れ(10月14日熊崎特派員撮影です。実はこの偽写真を、もと朝日新聞の本多勝一氏も『中国の日本軍』という本で使っていましたが、後に偽写真であることを認めました。多くの証拠写真と言われるものが、すべて偽写真と暴いたのが、この「南京事件証拠写真を検証するという本です。もとアジア大学の東中野教授は、「南京事件で証拠写真として通用するものは、1枚もありませんとおっしゃっておられます。互いにあらゆる手段を使い、相手が不利になり、自国が有利になるような情報戦争を仕掛けています。教科書の情報も例外ではありません。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm39132356