「キャンセルされた歴史を取り戻す」第5回 支那事変2

「キャンセルされた歴史を取り戻す」第5回 支那事変2

キャンセルされた歴史を取り戻す、第5回の授業は、支那事変の後編です。コミンテルンとは何か、侵略をしたのは誰かについてです。1935年、第7回コミンテルン世界大会とあります。ここで主敵をナチスドイツ、ポーランド、日本としたとあります。1921年中国共産党ができ、翌年中国共産党支部として日本共産党が誕生しました。彼らから見れば、蒋介石と日本政府は敵です。北伐の国民革命軍に潜り込んだ共産党員は、1927年、南京で日本を含む各国の大使館を遅い、略奪、暴行、殺人の限りを尽くしました。もともとこの1927年の共産党の南京での暴虐を、本当の南京事件といっていましたが今では隠されています。日本は、共産主義の危険性を理解していましたので警戒していました。蒋介石もようやく危険に気付き、中国共産党を弾圧し、壊滅寸前まで追い込みました。しかし、西安事件が起こり蒋介石は囚われの身になり、命と引き換えに中国共産党征伐を中止し、ともに日本と戦う決意をします。英米は、蒋介石に中国を統一させて、日本を押しのけ、鉄道敷設権益で利益を上げたい。コミンテルンもまた、内乱状態の中国を共産党に統一させたいと考えていたことは明らかです。両者からは満洲国は、宝の山に見えたのかもしれません。毛沢東は、満州さえ盗めば、革命の成功はなんとかなると考えていたようです。自由社以外の教科書は、日本が侵略をしたという印象を生徒にもたせるため、コミンテルンの説明は全くありません。そして盧溝橋事件も日本が侵略をしたという印象操作で、中国軍と日本軍の小競り合いが、支那事変、日中戦争へと発展したと記述しています。日本は1900年の義和団事件の後、他の列強と同様に、外交官とその家族などを守るために、北京議定書を結び、北京周辺に5000人の軍隊を駐屯させていました。議定書では、実弾演習は禁止されていました。盧溝橋では現地停戦協定が結ばれたので、コミンテルンが望む、中国軍と日本軍の本格的戦争がなかなか始まりません。日本軍といっても最初は、北京周辺に5,000人、上海租界に千数百にん程度です。そして、前回お話ししましたように、満洲や朝鮮への投資で、日本はお金のかかる戦争をしたくありません。それでコミンテルンや英米はいろいろ挑発手段を考えます。その中でも最も悲惨なできごとが通州事件です。これも他社の教科書は書きませんが、日本人として忘れてはならない事件の一つです。女性や子供を含む日本人225にんが、中国人学生や保安隊に惨殺された事件です。この事件は、日本を挑発するために、2年も前から計画されていました。これだけの被害を受けながら、当時日本は、その被害を効果的に世界に訴えることをしませんでした。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm39178198