【共産合唱】解放された農奴は歌をうたう|チベット民主改革実記

【共産合唱】解放された農奴は歌をうたう|チベット民主改革実記

 記録映画「今日西藏」(今日のチベット)の主題歌である。元々はチベットの民謡で、それに中国語の歌詞をつけたのが本歌だ。西藏の人たちの新生活や新しい価値観について歌った歌で、彼らの文化や生き方について深く学べるような歌詞になっている。とされている。 中国のチベット地方は20世紀中葉までずっと政教一致の封建農奴制の統治下にあった。それはどんな制度だったのか。19世紀と20世紀上半期にチベットに入った西側の宣教師や探検家、植民者は次のように描出している。 フランスの旅行家、アレキサンダー女史はその著作『古老チベットが直面する新生中国』の中で、「チベットでは、すべての農民は終身、債務を負う農奴であり、彼らの中に債務をすでに返済した者を探し出すことはできない」と記している。一方、1920年代にチベットで英国の商務代表を務めたマイクタナー氏は『チベットの写真』にこんなふうに記載している。「チベットで最も重い刑罰は死刑である……。およそ死罪に遭えば、罪人を皮袋の中に縫い込め、河に放擲し、死を引き延ばすために沈めさせ、皮袋は表面に上がると、およそ5分後には下降し始め、後にまだ生きていると見るや、再び投げて沈め、死に至ったところで、遺体を皮袋から取り出して切断し、四肢と胴体を河に投げ込み、流れとともに去っていく……。生きることはできても、さまざまな障害が残る。切断のほか、眼球をえぐる極刑や、凹型に熱い鉄を眼内に入れたり、煮えたぎる油やお湯を眼内に流し込んだり、いずれも視力を失わせるのに足るものであり、そして眼球を鉄のかぎでつかみ出す……。その本源は損なわれ、喪失する。犯罪者や容疑者は、常にじっとりして暗く、不潔な衛生的ではない土牢に拘禁され、永遠に天日を見ることはない」 19世紀に至り、世界の大多数の国・地域で農奴制はすでに歴史となっていたが、チベット地方では政教一致の封建農奴制は1959年になってようやく消滅した。 1959年3月28日はチベットにとって、新旧社会の分岐点である。分岐点の一方の三大領主(封建政府、貴族、寺院の上層僧侶が構成した農奴主)は人口の5%にも満たないが、チベットのほぼ全体の耕地、牧場、森林、河川を占有する。もう一方の百万人に上る農奴は農奴主の私有財産であり、意のままに売買や交換、蹂躙される。1959年3月28日から、2年間かけて行われていた民主改革で、政教合一の農奴制度は切り崩され、百万の農奴と奴隷は国の主宰者となった。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm39183522