「キャンセルされた歴史を取り戻す」これでも侵略か 第11回大東亜戦争とアジアの独立(後編)

「キャンセルされた歴史を取り戻す」これでも侵略か 第11回大東亜戦争とアジアの独立(後編)

 年号の誤りを訂正し、再度投稿しました。満州事変が起こると、それを口実に、トレンガヌ一体にも排日の動きがでてきて、華僑が日本人の商店を襲って、略奪、投石をするようになりました。昭和7年、1932年11月の事でした。豊青年は、徴兵検査で日本に帰国、幼い妹は風邪で一人とこに臥せていました。悲劇はこの時起きました。ひとりの華僑が妹の首を青龍刀で切り落とし、反日デモの中でそれをかざしたのです。返ってきた豊青年はこのとき誓ったのです。華僑と、背後で反日を煽っているイギリスに復習すると。谷豊はその後、表向きはゴムの仲買商人でしたが、華僑、イギリス軍を敵に回して荒らしまわる、盗賊数百名の親分となっていました。彼は、マレーの虎ハリマオと、イギリス人や華僑には、恐れられるようになりました。軍隊は命令があれば直ちに戦をしなければなりません。平和な時でも訓練をしたり、作戦を考えたり、いざというときに備えるのが軍の仕事です。ソ連に対しては、作戦は整っていたのですが、南方での戦いは、想定していなかったのでできていませんでした。それもアメリカが石油を輸出してくれるという前提です。ところがアメリカの動きが怪しくなっていきます。このままでは石油を断たれるかもしれない。日本軍は事前に、南方での諜報活動を始めたのです。1940年(昭和15年)9月、とうとう日本は、英米をけん制するために三国同盟を締結します。実際アメリカが石油の輸出を禁止すると、日本はオランダと石油輸入の交渉をはじめますが、アメリカが裏から手をまわしてオランダも売ってくれません。このままでは日本は石油危機となり、電気は止まり、工場は操業を停止し、街には失業者が溢れ出ます。餓死者も出たでしょう。それでは、実際に植民地にされ、その後独立した国の人々は、日本をどう思っているのでしょうか。ミャンマーのバーモウ初代首相は、著書「ビルマの夜明けで、歴史を見るならば、日本ほどアジアを、白人支配から解放させることに貢献した国はないと書いています。インドネシアの首都ジャカルタの独立広場には、大きな碑が立っていて日付が17-8-05と書かれています。独立した8月17日です。05は西暦ではなく、日本に敬意を払い、皇紀2605年と刻まれているのです。タイのククリット・プラモードもと首相は「12月8日と題して、次のように大東亜戦争を回顧しています。日本のおかげでアジア諸国は、すべて独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。アジアにはこのような国々があることを、私たちは知っていなければなりません。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm39688175