特殊論はまとも?

特殊論はまとも?

この図の場合、光の速度は静止空間に対してのものになり、観測者である地球そのものがそれに対して速度を持っていれば、言い替えれば移動していれば、空間の向きによって光の速度は違ってくる。これがマイケルソン・モーリーの実験の意味そのものでもあるが…が、この空間に対して移動体である地球から見ての光速度が一定であった(一定に見えた)としても、それが即、静止空間そのものが存在しないということにはならない。例えば、その光速度の式中にあるεoμoの値が移動速度を持つことによって、それに応じた変化をするのであれば、式は成り立つ。これによって自ら(地球)自身の移動による光速度の変化は法則的に自動補正される。元々このεoμoの値が変化していたとしても、自ら自身(その内部)からはその変化は感知できない。この考え方でいった場合、時間そのものの経過は全く変化しておらず、ただその移動体から見てそう見えるに過ぎず、その移動を止める又はその速度を落とすに従い、その過去からの光がそれに応じた見え方に戻るだけである。よく人が事故に会った瞬間とかに「回りがスローモーションのように見えた」というのがあるが、それが実際に当人にとっての「物理的な時間の経過」が変わったとは言えないのと似ているそもそも宇宙は膨張しているとか色々言われるが、その捉え方でいくと元々の中心点なるもの、別の論で言えば、物質の存在による重力過多によるその中心的なもの、中央位置なるものが想定できても何らおかしくはない。その空間そのものが途轍もなく大きいものであれば尚更だろう。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm40028128