藤堂高虎が秀長と出会うまで

藤堂高虎が秀長と出会うまで

新説?珍説?です。丹波篠山市のホームページでは「明智軍の藤堂勢」と記されています。時期が天正五年(1577)十一月なので、少し疑問はありますし、何より揉井の末裔が津藩士になったことを考えると、多少盛った話であるかもしれません。 https://www.city.tambasasayama.lg.jp/photo_history/2/bunkazai_hubutu_huzoku/tabasasayamakankoupoint/tanbasasayamagojusantugi/13980.html 藤堂高虎の新説です。画質を向上させました。丹波篠山市のホームページでは「明智軍の藤堂勢」と記されています。時期が天正五年(1577)十一月なので、少し疑問はありますし、何より揉井の末裔が津藩士になったことを考えると、多少盛った話であるかもしれません。 https://www.city.tambasasayama.lg.jp/photo_history/2/bunkazai_hubutu_huzoku/tabasasayamakankoupoint/tanbasasayamagojusantugi/13980.html 参考史料藤堂家覚書・翻刻『史籍集覧』国会図書館デジタルコレクション高山公実録・高山公実録の秀長に仕えるまでは、ADEACで閲覧することができます。 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2421605100/2421605100100030/ht000150 山本家文書目録 : 旧近江国高島郡南船木村・滋賀県安土城郭調査研究所 編兼見卿記 第1 (自元龜元年六月至天正九年九月)明智光秀・藤田達生、福島克彦 編(史料で読む戦国史シリーズ)綿考輯録 第1巻(藤孝)・出水神社叢書綿考輯録第2巻(忠興上)・出水神社叢書嶋記録(滋賀県中世城郭分布調査 7・滋賀県教育委員会)新東鑑

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