【神道シリーズ・シーズン3】第20回・千家尊福【中編】千家尊福と祭神論争

【神道シリーズ・シーズン3】第20回・千家尊福【中編】千家尊福と祭神論争

慶応4年の大政奉還直後から始まった新政府による王政復古政策は、古代の祭政一致を目指し、神祇官を復活させ、さらに神祇省まで創設して律令政治時代の日本の政治体制の復活を目指したものの、全国で実施していた廃仏毀釈を伴う神仏分離政策は各地で住民や仏教勢力の抵抗に遭い、特に浄土真宗からは農民蜂起や暴動をも含む強い抵抗があり、神祇官制度はまったく実態を伴わないままわずか3年あまりで廃止になり、その後、神道国教化に向けて仏教勢力を含めた宣布運動を目指し、島地黙雷率いる浄土真宗からの提案で教部省を立ち上げたもののの、宣布するはずの神道の中身が不明で、しかも途中から台頭してきた薩摩閥により、教部省内の僧侶たちに祝詞を読むことを強制したりするようになるとそれに抗議した浄土真宗が脱退することにより大教宣布運動は収束し、同時に教部省も崩壊し、その後、教部省の教導職、つまり、当時唯一宗教的布教を認められていた職権を継承した神道事務局は、薩摩出身で伊勢神宮の大宮司の田中頼庸は事務局の祭神を造化三神とアマテラスだけとしたが、事務局に参加してきた出雲大社宮司で80代出雲国造の千家尊福は祭神のオオクニヌシも同等に祀るべきと主張し、両者は平行線のまま祭神論争が続いたが、全国の事務局教導職者の圧倒的多数と本居 豊穎や平田 銕胤など平田派は全面的に出雲派の尊福の支持に回り、形成は圧倒的に出雲派の優勢で推移した。銕胤など平田派は全面的に出雲派の尊福の支持に回り、形成は圧倒的に出雲派の優勢で推移した。何度も合同会議を開き、教導職の代表を集めた会議での多数決でも出雲派が圧倒的勝利をするも田中頼庸はこの結果を潔く認めず、出雲派の紛糾が続く中、政府中枢から桜井能監を派遣し、合議の末、大国主の合祀の合意に至り調印までするものの、尚も伊勢派の頼庸はその結果を認めず、最後には薩摩閥の重鎮で内務卿の松方正義を頼り、三条実美を通じて明治天皇の直截という形で出雲派の要求は退けられ、アマテラスのみが事務局の祭神となり、圧倒的優勢だった出雲派の敗北は決定的となった。この後、千家尊福は事務局から脱退し、出雲大社教を立ち上げ、政府の神社神道路線とは別の路線を歩むこととなるが、これを境に政府は平田派を政府から完全に追放し、政府は祭政分離に基づく神社神道、つまり国家神道と、政府が公認する教派神道13派の二流に分け、近代国家日本の建設の為、幕末以来討幕派が目指した祭政一致の理想を完全に放棄することになったのである。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm40692481