幕末岩國三士 陽明学者「東沢瀉(ひがし たくしゃ) 記念館 」と終焉の地 保存用として 

幕末岩國三士 陽明学者「東沢瀉(ひがし たくしゃ) 記念館 」と終焉の地 保存用として 

岩国の吉田松陰という感じの人物。いくつか画像を差し替えた。基本同じよ。幕末岩國三士 陽明学者「東沢瀉(たくしゃ) 記念館 」 山口県岩国市保津保津の住宅街 海岸近くJR線路側にある。流罪(先生曰く流刑地で学問が一番進んだという)栗栖天山(同じく流刑)=島を島抜け(脱出)し東沢瀉先生を救出する手立てを練るうち周りの理解を得られず漢詩1編を残し自刃。南部五竹=尊王攘夷派。東、栗栖らと深く交流した。藩政改革の同志で流刑中の東先生救出のため奔走、毛利本藩の有力諸隊 奇兵隊などと連携しようとして失敗し捕縛され刑死。赦免後その徳をしたい人が教えを聞きに集まり塾ができたという。横の山が図面にある沢瀉山と思われる。その号=元は白沙〜明治以後 沢瀉(たくしゃ)沢瀉塾記念の建物だけで展示などはない。なかなか概略を読むと大した先生ですよ。終焉の地=通津 ここへ行くには国道を岩国方面から通津に入り国道188号〜名水桜井戸方面への表示を入る〜線路〜鉾八幡〜桜井戸〜通津川(橋ね)渡ると県道115号〜橋のところの馬頭観音?のところから蓮田の道へ入れるみたいですな。左へ行くと路傍の延命地蔵のところから蓮田を抜けていく。何度か来てる通津のイヌマキ巨樹のすぐ近くでした。県道を進めば高照寺山麓を通り周東町祖生方面へ出る。険道ぽい。長宝寺へ行った時に祖生から少し走ったけど。気になるところをいくつか修正しただけ。東沢瀉先生事歴〜wiki東沢瀉記事、岩国市観光サイト、現地解説など参照東沢瀉の画像=国会図書館公開資料 東沢瀉全集より(保護期間満了)

http://www.nicovideo.jp/watch/sm40730870