【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第22回:温和なる疾行】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第22回:温和なる疾行】

無駄なく迅速に決着を付けましょう!新選組副長(後に総長):山南知信(やまなみ/とものぶ)。通称:山南敬助。※姓に関しては「サンナン」と読む説もあるが、英傑大戦では「ヤマナミ」で表記。陸奥国出身で北辰一刀流の免許皆伝に達した剣豪。(近藤と出会う前の出自は不明点多数)天然理心流試衛館の近藤勇と試合を行った際に敗北。近藤の強さと人柄に惚れ込んだ敬助は以後、試衛館の面々と行動を共にした。チンピラ集団としての面がかなり強かった壬生浪士組の中では温厚で親切人であった為にそれを表す言葉は現代でも残っている。(故に数少ないキレるエピソードが存在する)。それに加えて冷静で頭が切れた為に浪士組の参謀として活躍した。しかしその後、藤堂平助の仲介で新選組に参加した伊東甲子太郎の登場によって幹部としての立場が揺るがされそれと合わせて新選組屯所を勤王色の強い西本願寺に移転することとなり勤王の志高い敬助はこれに猛反発するも抗議が受け入れられなかったことに大きく落胆。この後、突如新選組を脱走。沖田総司(→ sm40712089 )がこれを追い一旦連れ戻すが、脱走の罪は局中法度に明記されており切腹死罪である。親しくしていたかねてからのメンバーは再度の脱走を促すが、敬助はこれに応じなかった。近藤派メンバー幹部であっても局中法度違反は例外なく切腹。これを敬助の死と引き換えに示した為、局中法度は鉄の掟であるという認識が確立された。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

http://www.nicovideo.jp/watch/sm40876175