晩秋の上関 竈(かまど)八幡宮参拝記(山口県熊毛郡上関町長島) R4.11

晩秋の上関 竈(かまど)八幡宮参拝記(山口県熊毛郡上関町長島) R4.11

上関は古代においてはは竈戸関と呼ばれていた(地形からの名称らしい)また風待ちの港などとしても用いられていたそうです。後代に上関と呼ばれるようになる。周防長門の海には下関〜中関〜上関と瀬戸内航行する運搬船の海の関所(番所)があり荷物などを検査したりしていた。戦国期は大内氏の支配地域となり後には毛利の支配もうけ海上勢力能島村上水軍も活躍し上関城もあった(船舶から通行料を徴収していた)海上交通の要衝でもあったようです。江戸期は北前船の風待ちの寄港地として大いに栄えたようです。wiki参照竈八幡宮=由緒書によれば〜はじめ祓戸九柱神を奉斎し後、香椎から神功皇后、文徳天皇の御代再度八幡神の三柱を勧請され竈八幡宮と呼ばれた。日美の木という山上(おそらく?)から後に現在地へ遷座し境内山上で旧宮地へ向けて日美祭も戦前までは行われたようです。年末からはじめ〜新年にようやく完成。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm41594804