【Nゲージ規格鉄道模型】TOMIX 東海道・山陽新幹線 0系 H・K・NH・S・Sk・Y・Yk・R編成 ひかり・こだま/0 Series Tōkaidō&San'yō Shinkansen

【Nゲージ規格鉄道模型】TOMIX 東海道・山陽新幹線 0系 H・K・NH・S・Sk・Y・Yk・R編成 ひかり・こだま/0 Series Tōkaidō&San'yō Shinkansen

今日の新幹線の基礎を築き上げた世界初の高速鉄道として誕生し、今なお新幹線の顔として語り継がれているのが、この「夢の超特急」こと0系新幹線です。1964年から1993年頃の姿です。1964年の東京オリンピックに間に合わせた東海道新幹線開業とともにお目見えし、それからというものの、44年にも渡って(さすがに最初に走ってた編成はないでしょうが)夢の超特急として酷使、もとい活躍し続けた英雄的新幹線です。運用は、「ひかり」と「こだま」、山陽新幹線内だけでは専用編成で「ウエストひかり」というものもありました。東海道新幹線開業時は大窓の車両が使われ、固定12両編成が組まれていました。編成にはグリーン車2両、ビュッフェ2両が組み込まれており、食堂車は博多開業前年の1974年に連結されるようになりました。開業から6年後の1970年に「ひかり」編成が16両に増強され、後に「こだま」も16両編成になりましたが、食堂車は「ひかり」用編成にのみ連結されていました。当初は「ひかり」も「こだま」も同じ編成が使われましたが、1966年に編成の分離が行われ、「こだま」のグリーン車が1両普通車(当時は一等車と二等車)に置き換わりました。編成名は登場時は製造された会社に因み、日本車輌はN、汽車製造はK、川崎車輛は「River(川)のR」からR、近畿車輛は「Short(近い)のS」からS、日立製作所はH、東急車輛製造はT、といった記号が付与されました。1972年の山陽新幹線岡山開業に合わせ、「ひかり」編成をH(Hikari)編成、「こだま」16両編成をK(Kodama)編成とする方式に変更されました。1976年以降、小窓の1000番台だけで組成された「ひかり」編成をN(New)編成、大窓車と小窓車が混在してかつ先頭車両が1000番台の「ひかり」編成をNH(New Hikari)編成に変更、先頭車が大窓車のものはH編成となりました。1985年のダイヤ改正で「こだま」編成の一部が12両編成となり、先頭車が小窓車の場合にはSK(Short Kodama)編成、先頭車が大窓車の場合はS(Short)編成に変更され、同年、小倉と博多間専用の編成として6両編成が登場し、R(Rokuryo-6両)編成が組成されました。これらの編成記号は国鉄民営化後にJR東海・JR西日本へと受け継がれています。しかしそんな0系も、後継車両の100系・300系・500系・700系の配備により徐々に活躍の場を狭め、1999年には東海道新幹線から撤退。編成も6両、4両と短くなりつつ、2008年に完全な引退を遂げ、高速鉄道の基盤としての役割を終えました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm41610155