生き様を貫いた傅燮、狄道に散る

生き様を貫いた傅燮、狄道に散る

≈西暦187年4月韓遂が涼州にて反乱を起こす。後漢政府が涼州刺史に耿鄙を任命する。耿は佞吏を信用した為、氐族・羌族が反乱を起こし、治中程球を先鋒として涼州6郡を包囲し、兵と馬の徴発を開始して韓率いる反乱軍と対峙した。耿は程を気に入っていたが、程は裏切り者で強欲であった為、涼州の民から嫌われていた。反乱軍は北宫伯玉・李文侯と北宫伯玉の従者数百名を殺害し、100,000名の兵を奪い、隴西郡を包囲した。隴西太守李相如が韓と連なり、反乱軍に寝返った。また、漢陽太守盖勳は優れた実績を持っていたが、耿から軽蔑されていた為、故郷に帰った。後任として傅燮が漢陽太守に就任した。傅は耿に対し「訓練を受けていない者を戦場に連れて行くのは、人命を無駄にする事だ」と孔子の言葉を引き合いに出し、さらに「貴方はまだ涼州に来て間もない。今、貴方が訓練を受けていない人達を率いて、大長征という危険な障害を乗り越えようとしているのは、100%危険な事で、政府軍が来ると聞けば、反乱軍は団結する事だろう。 休戦を宣言して、報酬と罰を明確にした軍事的規律を定めたらどうだろう。私達が抵抗しないのを見ると、反政府勢力は私達を臆病者だと思い、多くの反政府勢力のリーダーが権力と利益を求めて再び内部抗争を起こすだろう。 貴方は危険で誤った決断をしたと思っている。また、程がいては官軍の心が1つに纏まらない」と続けた。しかし耿は応じなかった。【訂正】一枚目のスライドを訂正します。申し訳ありません。張温が洛陽にて太尉に任命される。この張以降太尉は在外太尉として洛陽の外にて政務を執り行う様になった。宇宙一元化 公式HP http://universe-centralization.com/top.html

http://www.nicovideo.jp/watch/sm41735704