【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第84回:栄耀栄華】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第84回:栄耀栄華】

俺たち武士が、このデッカイ天下を持ち上げてやるんだッ!!伊勢平氏の棟梁・平忠盛の嫡男:平清盛。母については不明。一説では白河法皇の落胤(認知されない子)であるとも実は忠盛とは血は繋がっていないとも伝わっているが、事実定かではない。(群雄伝では祗園女御の妹と白河法皇の子であるという説を採用している)公家貴族や朝廷の小間使いでしかなかった「武士」という存在の身分を改めさせ日本史上初の太政大臣にまで上り詰めて武士政権を確立させた武士ある。朝廷内の権力争いを発端とした保元の乱。平氏・源氏ともに二分したこの派閥争いでは源義朝と協力してこれに勝利。さらに時が経ち、後白河天皇が上皇となったのち再度朝廷内の派閥争いから平治の乱が発生。清盛の留守を狙った義朝のクーデター行為に対して、清盛はすぐに軍勢を編成して京に戻り鎮圧。ただ一つ、平清盛は優しすぎた。源義朝の嫡男を流罪で済ませてしまったのである。「平家にあらずんば人にあらず」平治の乱から二十年に渡り、平家の隆盛はその極みに達していた。朝廷内の平氏の台頭が面白くない貴族たちが決起する前に粛清した「鹿ヶ谷事件」かつて支持した後白河上皇との対立。院政を遮断させた「治承三年の政変」これらの事件を経て、平家へ反旗を翻す諸勢力が各地に発生。それら反:平家勢力を束ねるのはもう一つの武家である源氏。そして源氏を束ねる男は、かつて自身が見逃した・・源義朝の嫡男:源頼朝だった。(これが、倒した敵の男児は必ず殺すのが武士の習いとなった原因である)各地で反平家の声が高まる中、清盛は熱病を発してこの世を去った。「おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢の如し」それから4年後、かつて隆盛を誇っていた平家は連敗を重ね、壇ノ浦にて滅亡することとなる。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

http://www.nicovideo.jp/watch/sm41816083