【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第87回:王者の驀進】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第87回:王者の驀進】

気高く!堂々と!勝利へ驀進せよ!!後漢時代、漢王家の官僚三公(※司徒・司空・太尉)を4世代に渡って排出した名門:袁家。その中でも最有力者として後漢末期の最大級勢力を有した男:袁紹。字は本初。曹操とは幼馴染の間柄でもあり、弟は同じく最大級の勢力を有した袁術。(魏・呉・蜀の三国体制となる前は袁家が中原を支配していたといっても過言ではない)袁紹は元は何進の属官を担っていたが、何進が宦官(十常待)に暗殺され代わって董卓が十常待を一掃するも、董卓とは政敵として敵対関係となり漢王朝を牛耳った董卓を打倒する名目で諸侯に協力を仰ぎ反董卓連合を結成。その盟主となるも、見事なまでに我の強い諸侯をまとめきれずに連合は瓦解してしまう。その後、呂布によって董卓は暗殺された為、中原は群雄割拠の時代となった。袁紹軍は戦乱の時代の中で連戦連勝を重ねる常勝軍として躍進。ちょうどその頃、旧友である曹操も台頭。覇者を決めるべく官渡にて対峙した。曹操軍4万に対して袁紹軍は30万(兵力差は諸説あり)。戦力差は歴然としており曹操軍は敗色濃厚として士気も上がらずに、曹操自体も参謀や軍師に励まされていたという。しかし、それまでは連戦連勝の名君であった袁紹であったが、この官渡に於いて急に陰りが目立ち諫言を行った名軍師:田豊を幽閉し、自軍の配置を知る部下:許攸は曹操軍に投降。これにより食糧庫の位置が露呈。そこを突かれた為に袁紹軍は瓦解して敗走した。・・とはいえ依然、袁紹勢力は最大派閥であり、曹操も袁紹存命のうちは手出しが出来なかった。問題は後継者指名をしないままに袁紹が病死したことであり、息子たちが勢力内で分裂。内部分裂の隙を曹操が見逃すはずもなく、この隙を突かれたことで袁家は滅亡することとなる。※司徒・司空・太尉司徒…行政の最高責任者、司空…監察・行政立案の最高責任者、太尉…軍事の最高責任者長兄の英傑大戦: mylist/73130055

http://www.nicovideo.jp/watch/sm41855012