【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第88回:火焔の大号令】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第88回:火焔の大号令】

孫呉の天下を、我が手で掴まん!呉の四姓(陸氏・・朱氏・張氏・顧氏)の一角、有力豪族:陸家。その陸家の長:陸遜。字は伯言。かつて袁術の小間使いであった孫家に攻撃を受けたことがあった為、孫家とは敵対関係にあった陸家。孫策が没して孫権に家督が移った後に出仕してその配下となり、孫策の娘(孫権の姪)を妻とすることを許され関羽討伐成功の遠因となる策を発して出世を重ね、周瑜・魯粛・呂蒙に続いて呉の大都督に就任した。関羽討伐によって完全にキレた劉備が呉に攻め入ると、朱然や孫桓といった将を率いて前線を指揮。劉備軍の陣営から火計に対する防備が薄いと見抜いた陸遜は夜中に火攻めを決行。(夷陵の戦い)蜀側は将兵の多くが討たれる大敗北を喫して敗走。劉備はその翌年、失意の内に病死した。陸遜は後に行政の分野における最高指導者である丞相となるが孫権(晩年の暴君モード)に諌言を行ったことで毎日のように問責の使者が来るようになり怒りと失意のうちに憤死したとされる。三国志を題材にしたメディアでは他二国の参謀的有名人物である司馬懿・諸葛亮に比べると陸遜は若手のエース的なデザインにされがちだが、英傑大戦のデザインではおっさんである。司馬懿とは4歳差、諸葛亮とは2歳差でしかなく、夷陵の戦いの時点で約40歳と時代的に既に高齢である為英傑大戦デザインの陸遜の方が史実の年齢を鑑みるに正しかったりする。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

http://www.nicovideo.jp/watch/sm41855245