【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第95回:不屈の守将】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第95回:不屈の守将】

雑魚はどけ!死兵と化した俺には勝てんぞ!!若き頃から曹操に仕え、軍功により将軍の地位にまで至った歴戦の将:カク昭。字は伯道。彼が一大有名武将となった原因とも言える戦いは「陳倉の戦い」この戦いにおいて三国志の超有名人物である諸葛亮が率いる北伐軍を撤退せしめた逸話がある。(諸葛亮がそこまで戦上手ではないと評価される原因でもある)諸葛亮の第二次北伐の主戦場となった陳倉城。その守備を任せられていたのがカク昭である。兵力差は、諸葛亮側数万に対して、カク昭側は千程度。戦力差20~30倍という城を守る側であっても対処不可能な数字である。(一般的に城を落とすには守城側の3倍の兵力が必要とされているが、これは20~30倍差)まずは蜀側の同郷の者を呼び寄せてカク昭に降伏を促すが、カク昭は徹底抗戦の姿勢を取った。ならばと、諸葛亮は攻城梯子・衝車・攻城櫓に加えて地下から城内に侵入とあらゆる手を使って攻めるが陳倉城の守りを突破できず、諸葛亮を相手取って「万策尽きた」状態とさせた。補給面の問題を抱えていた蜀軍は兵糧不足に陥って撤退を余儀なくされたという。絶望的な状況に於いても蜀に下らず城を守り抜いた英雄に感銘を受けた曹叡(曹丕の次代皇帝)はカク昭に爵位を与えて要職に就かせようとしたが、既に老齢であり病に倒れて死去。死に際に「死者(自分)を厚く弔うことに意味はない。今、生きている者を大事にせよ」と遺言を残したという。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

http://www.nicovideo.jp/watch/sm41944264