『音楽を楽しく正しく聞くことに慣れている私たちにとって、不愉快で非合理なものこそが必要だ。そうして私は、この雑音の反復さえ、意味があるのだと言ってしまう。』(live 20230319)

『音楽を楽しく正しく聞くことに慣れている私たちにとって、不愉快で非合理なものこそが必要だ。そうして私は、この雑音の反復さえ、意味があるのだと言ってしまう。』(live 20230319)

2023年3月17日。37.5度の熱を出し、花粉症による鼻炎も相まって眠れない日々を過ごした。動かない頭を身体を引きづって発熱外来を予約し、PCR検査の結果が陰性であることを知り、職場の大学へ報告する。ただの風邪だったこともあり翌日には元気になったが、数日間は出勤停止だ。熱が下がった夜、久しぶりに夢を見た。自分が良く出演したライブハウスの店長に誘われ、ライブに出演する夢だ。数年ぶりにライブをするが、どうもリアクションが悪い。実は自分たちは演奏しているのではなく、裏で流れている同期に合わせ演奏しているだけであり、それに皆が気づいているからだった。指を刺され嗤われながらも、30分間のライブは続く。私は最後に泣きそうな顔になりながら、演奏を無事に終え、逃げるように都市の隙間へと消え、人々の雑踏と一体化していった。私はバンドでライブをするとき、常に全く同じパターンとリズムで話す結月ゆかりとともにいた。その声はその場限りの唯一性を持つことはなく、一回性によって支えられた声の肌理を持たない点において異様な存在だ。その複製可能な声の均質さは、私が昨晩の夢で溶けて消えていった人々の雑踏ともどこか同じ匂いがする。マックス・ウェーバー曰く、都市は城塞と外壁がかつて物理的境界線であり、近代以降は言語や経済圏に基づけられることで、それが国家と同等なものとなった。壁の外側から戦争機械が来ることを知らない私たちは生活が突然変異することさえ知らず、それゆえに均質化された都市空間のなかで、その構成員として無意味的に反復を繰り返す。常に全く同じパターンとリズムで話す結月ゆかりと、常に全く同じパターンとリズムで鍵盤が叩かれるこの演奏のように。私が昨晩の夢で溶けるように消えていった都市と、多くの動画の海にうずもれて消失していくこのデジタル空間は、さして違わないだろう。外部から到来する戦争機械に非自覚的かつ、世界の突然変異を自覚しない反復する私たちの様相は、データで管理され数字にあくなきこだわりを持つ私たちの成功と失敗の繰り返しと、さして変わらない。だからこそ、この2021年7月の日記はそれに抗する生存戦略としてなされる。この異様な長さの動画は果たして、誰にどこまで価値とみなされるだろうか。このページを開いたあなたは、この文章を読むだろうか。MIDIデータをパソコンで送信し、綺麗に整理し直されたこのピアノの演奏を、あなたは演奏と認めてくれるだろうか、或いは「同期演奏」と嗤うだろうか。生まれる僅かな違和感、そして疑問は、私たちが大衆、或いはデータの海で埋もれていく中で、その無意味な反復の幸福を享受しながらも脱却し、新たな思考を実装しうる回路を求められないだろうか。そう願い、私も都市の隙間に埋もれてゆく。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm41956055