ちょっとだけヒキガエルを眺める

ちょっとだけヒキガエルを眺める

家の横にある雨水の排水路の枡に産卵しに来るヒキガエル。この枡にはモリアオガエルやトノサマガエルも姿を現しますが、それはこの周辺に産卵出来る水溜りが他にない事を意味します。この山の周辺は昔から、常に水が流れる小川も池も沼地もありません。近年までは、カエルは遠くから移動してきた成体が、時折姿を見せる程度でした。しかし、この水が溜まる枡が作られた事によって、本来カエルが定着出来なかった場所に繁殖をしに来るようになり、生息出来るようになりました。カエルがいるという事は、この水の流れの少ない森にもともといる昆虫などがカエルに食べられ、そのカエルを捕食するために、小型哺乳類や野鳥が進出して来ます。つまり、この枡が出来てカエルが来た事によって、多くの生き物に影響を与え、生態系に変化を生じさせた事になります。これは必ずしもネガティブな事ではなく、里山というのはこのような事が昔から起きており、例えば、農耕地への開拓によって分布を広げた生物、農薬によって全滅した生物、森林の利用によって変遷が繰り返された生態系、これらは里山の役割の一つでもあり、人の管理によって様々な生物がその存在を維持して来ました。しかし現在では、過疎化のよる山や田畑の放棄によって生態系に変化が起きています。放置され、植物の変遷によって山や田畑に棲みにくくなった動物は、山の麓の林縁部、つまり人里に進出しようとします。そして、過疎化で人が居なくなった事で、それらの動物の進出を止められなくなり、市街地にまでそれらの動物が侵入する事になります。クマやイノシシが良い例でしょう。林縁部の家々、つまり里山というのは、山に棲む動物が人の住む場所に侵入するのを防ぐ、防波堤のような役割もあるという事です。そしてもう一つ。このカエルが産卵しに来る枡は、別のものに例えると、街の公園のようなものと言えます。公園には様々な鳥が飛来しますが、これは周りに生息に適した場所が無いために、人の干渉をある程度許容してでも緑のある公園にいようとします。しかし、自然が豊富な場所では公園にずっと居座る必要は無く、人の近くに寄る必要もありません。この枡は、その意味で街の公園のような場所と言えます。自然・風景 mylist/65301634

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42003072