【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第53回・井深道斉・中里義美・矢野祐太郎

【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第53回・井深道斉・中里義美・矢野祐太郎

荒深道斉は、明治4年 1871年、岐阜県山県郡中洞村に生まれ、神道家を志し、21歳で上京し、神宮教校に入学するが、貧窮の為中途退学し、25歳の時に東京瓦斯紡績会社に入社し、52歳で大病を患い退社したが、この頃より霊異現象が相次ぎ、神武天皇の重臣・道臣命の霊示が下ったとして、昭和3年、58歳で純正真道研究会を組織し、心霊科学の先駆者として神道界内外に影響を与えた。後に「みちひらき会」を組織、古蹟探査に奔走した。中里義美は、明治25年 1892年に青森県三戸に生まれ、東京帝国大学卒業後、内田汽船に勤務するが、第一次世界大戦時の対米提供船・愛国丸に乗船中、臨死体験により、神霊界への関心を深めるが、その後、矢野祐太郎と親交を結び、急進国家主義運動に参加し、昭和12年には「霊的国体明徴」を掲げ、神乃日本社を設立し、中央の軍人や国家主義者、霊学舎、神代史派の執筆陣を結集した雑誌「神日本」を発行した。矢野祐太郎は、明治14年 1881年に東京の築地で生まれ、父は鉄道技師で、明治33年に海軍兵学校を卒業後、海軍艦政本部勤務の後、大正12年に海軍大佐になるが、その直後、大本教に入信した。海軍退役後は、奉天で武器商を営み、同15年の出口王仁三郎らの入蒙字には現地で協力した。大本を脱退後は、大本の反主流派で、開祖出口のなおの三女の福島久や元大本の車末吉や矢野の妻、シンらの神示をもとに独自の神話体系と経綸説を確立し、神政龍神会を組織し、自らの神話説や経綸論を昭和天皇に伝え、天皇を全世界を統治する世界天皇を目指すことを促す為、信者で宮中女中で、薩摩藩島津家の末裔である島津治子を使って天皇に近づこうとするが、これが神政龍神会事件となり、矢野は逮捕され、官憲による厳しい拷問の末、昭和13年、獄死することとなった。荒深、中里、矢野の三者に共通する点は、いずれも明治以降の平田系神道カルトの流れであり、大本教とも深い関係を持ちながら、彼らが本田霊学の鎮魂帰神法により得た神霊のメッセージにより築かれた超広大妄想的な日本中心の地球主義が当時の超国家主義的な思想と結びつき、軍人との結びつきが深まり、中里の神乃日本社のように226事件や南京事件に関わった上級軍人たちも信者に持ち、日本全体を狂気に巻き込んで行く原動力となったのである。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42021083