源頼朝、源義経を鎌倉からパージ

源頼朝、源義経を鎌倉からパージ

西暦1,185年6月6日源義経が、壇ノ浦(現在の山口県下関市みもすそ川町)で捕縛した以下2名を護送して、鎌倉へ向かう為に京都を出発する。①平宗盛②平宗盛の長男平清宗しかし源頼朝は義経の鎌倉入りを許さず、宗盛・清宗のみを鎌倉に入れた。義経は山内荘の満福寺(現在の神奈川県鎌倉市腰越)に留め置かれた。義経が頼朝の怒りを買った要因は以下である。①内挙を得ずに朝廷の官職に就いた。②平家追討に当たり頼朝に軍監として仕えていた梶原景時の意見を聞かず、独断専行で事を進めた。③壇ノ浦での戦闘後に義経が源範頼の管轄である九州へ越権行為をして仕事を奪い、配下の東国武士達に対しても僅かな過ちでも見逃さずこれを咎め立てし、頼朝を通さず勝手に成敗し武士達の恨みを買うなど、専横的な振る舞いが目立った。西国武士を率いて平家を滅亡させた義経の多大な戦功は、恩賞を求めて頼朝に従っている東国武士達の戦功の機会を奪う結果になり、鎌倉政権の基盤となる東国御家人達の不満を噴出させた。宇宙一元化 公式HP http://universe-centralization.com/top.html

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42105367