【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第58回・谷口雅春と生長の家(その⑤)

【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第58回・谷口雅春と生長の家(その⑤)

谷口雅春の生長の家は、万教帰一を唱えるが、しかし、その実態としては仏教とキリスト教の帰一のことを示しており、北米のニューソート思想によりこの二つは谷口流に融合されることとなる。ニューソートにより、本来キリスト教が持っていた人間の原罪論と贖罪論は否定され、絶対神で創造神であったゼウスの存在さえも否定され、創造神は人や宇宙に予定調和を求めるものではなく、人の中にも神の要素があることに目覚めることが大事だとされた。谷口もそのニューソートの思想を積極的に受け入れたが、ただ、人が自らの中にいる神や仏に目覚める為にはより仏教的な思想を採り入れる事が必要だとした。ニューソートや生長の家では自らの中にいる神に目覚めるためには神想法という瞑想的な方法を用いているが、ニューソートでは誘導付きの瞑想やイメージの視覚化などのテクニックを用いるの対して生長の家ではより仏教的な観想法を積極的に用いている。谷口は仏教思想への造詣が深く、真言密教の阿字観や天台密教の月輪観や浄土教の阿弥陀如来信仰などの思想も積極的に採り入れ、中でも谷口がもっとも重要視したのは法華経で、法華経の中で説かれる久遠仏の思想は、彼がニューソートと仏教を融合する上で特に大きな役割を果たした。万教帰一を唱える生長の家では、法華経やその他の仏教経典やキリスト教の新約聖書などを声を出して音読するのもその神想法に採り入れられている。生長の家では絶対神・創造神を生長の家の大神と呼んでいるが、その実態は、谷口が最初に神の子として覚醒した神戸の元住吉神社の元住吉大神としているが、実は、それが時に大日如来になったり、時に天御中主になったりと神の名称自体には一切こだわっていない。一方、谷口は、人間みな神の子という思想のもと、階級闘争という思想にも強く反対し、富者と貧者は争うべきではなく、おのおのが神の子であることを自覚することにより自然と富む者は貧しき者に与え、仕事のある者は仕事無き者とウォークシェアリングをすればよいと訴えた。谷口がこう訴えていたのは、昭和恐慌直後の昭和5年1930年であった。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42216449