【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第122回:朔陣の修羅】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第122回:朔陣の修羅】

迅速こそ勝利への道!朔陣の精鋭よ、突き進め!河内源氏六代目棟梁:源義朝。その九男:源義経。幼名を牛若丸。稚児名を遮那王。母は義朝の側室:常盤御前。後の鎌倉幕府初代将軍となる源頼朝は彼の異母兄である。義経の人生の転換期は「平治の乱」である。この戦いを引き起こした上で敗れた父:義朝は郎党の身内に討たれるに至った。母:常盤御前と共に避難するも祖母(常盤御前の母)が人質に取られたことで平家側に降伏。父の罪を子に被せなかった清盛の恩情によって助命され、鞍馬寺に預けられ、遮那王の名を与えられた。(伝説では、この時に鞍馬山に住む鞍馬天狗に剣術修行を施されたとされる)兄:源頼朝が平氏打倒の為に挙兵した際、これに呼応して義経も馳せ参じ「治承・寿永の乱」通称:源平合戦と呼ばれる日本各地で大規模な内乱が発生したのである。隆盛を誇っていた平家は日本各地で蜂起した反平家勢力に徐々に押され義経は「一ノ谷の戦い」「屋島の戦い」にて奇襲戦法により平家を撹乱。源平最後の戦いとなる「壇ノ浦の戦い」では源氏水軍総大将として平氏水軍総大将「平知盛」を相手取って戦い平家一の猛将平教経を軽々と煙に巻く八艘飛びを披露するに至った。かくして平家を打ち倒して源氏の世になったのも束の間(原因は諸説あるが)大将である兄:頼朝と、義経の間に不和が生じる。勢力・発言力に大きく勝る頼朝は義経に朝敵の烙印を押して徐々に追い詰め衣川の戦いによって義経側の兵及び主だった郎党のほとんどを始末した。追い詰められた義経は最後に正妻と娘を殺害直後に自刃。31歳の生涯を閉じた。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42278450