土佐坊昌俊の源義経夜襲、後白河上皇の源頼朝征伐の院宣

土佐坊昌俊の源義経夜襲、後白河上皇の源頼朝征伐の院宣

西暦1,185年11月10日夜、土佐坊昌俊が60数騎を率い、源義経の六条室町の屋敷を襲撃する。義経の侍達は西河辺(現在の京都府京都市南区東九条西河辺町)の遊郭に遊びに行っており、警固が手薄であった。しかし義経側は自ら門を開け、佐藤忠信等の残っていた少ない部下と共に応戦した。騒ぎを聞き付けた源行家も駆け付け、後ろから加勢し、土佐坊達を挟み撃ちにした。予想外の反撃に土佐坊達は退散した。義経は直ちに仙洞御所に赴き、後白河上皇に拝謁し、土佐坊が自身の屋敷を襲撃した一部始終を報告した。土佐坊達はその後鞍馬山(現在の京都府京都市左京区)に逃げ込んだが、後に義経の郎党に捕えられた。宇宙一元化 公式HP http://universe-centralization.com/top.html

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42282102