【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第131回:白拍子の舞い】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第131回:白拍子の舞い】

雨を願えば雨を。光を願えば月明かりを招きましょう。平安時代末期から鎌倉時代に流行した歌舞:白拍子(しらびょうし)元々は神に捧げる舞であり、それを歌い舞う遊女自身のことも白拍子と呼ぶ。遊興の舞としても招かれることも多く、それを通じて白拍子が武士や貴族に見初められることも少なくはない。源義経の愛妾:静御前。彼女もまた白拍子であった。義経との出会いは京都:神泉苑。その日、神泉苑では田畑の豊作を願うために雨乞いの儀式を執り行っていた。日本各地から白拍子を呼び舞わせるも99人に至っても雨を呼ぶことはできなかった。100人目の舞い手が後の静御前と呼ばれる人物であり、彼女が舞うと3日間に渡って雨が降り続けたという。その舞の見事さからその場に居合わせた義経が一目惚れをして妾に抜擢したとされる。その後、頼朝との不和から京を脱出して東へと逃げる義経に同行するが、とうとう衣川にて義経は自刃。残された静御前も捕縛、鎌倉に送られ、頼朝の命によって源氏を称える舞を披露させられるが義経への恋しさを歌うその姿に頼朝は激怒。正室の政子が「もし私が静の立場なら同じことをするでしょう」と頼朝を宥めることで事なきを得た。その後、静御前が義経の子を孕んでいたことが発覚した際は「女子なら見逃すが、男子なら処刑する」と頼朝に通告を受けた。(仇敵の男児を見逃した平氏の結末がどうなったか、頼朝自身が誰よりも知っているからである)結果、生まれてきたのは男子。約束通り、その子は由比ヶ浜に沈め殺害された。静御前はその後どうなったかは諸説あるが、子を追って自身も由比ヶ浜に身を投げたともいわれている。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

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