【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第138回:与一の目覚め】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第138回:与一の目覚め】

与一、一世一代の戦いだ。風よ!黙って矢を運べ!!平安時代に名を起こし、後に明治士族にまで歴史を残す下野国那須郡:那須氏。一世一代の偉業を成し遂げ那須氏の興隆を果たした弓の名手:那須与一宗隆(なすの/よいち/むねたか)(与一とは名前というよりも「余一」を指す。十一男を指す通称である)平治の乱から20年後「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布。源平合戦と称される治承・寿永の乱に兄:那須十郎為隆(名の通り十男)と共に源氏方として参戦。その他9人の兄は平氏方に属した為に兄弟間で争う形となった。与一の名を日本最高の弓使いとして後世に名を知らしめたのは「屋島の戦い」での出来事。一時休戦中であった源平軍であったが、戦乱であっても貴族的な催しを重んじる平家側は突如、小船から美女を出して、棒に立てた扇子を掲げさせた。「源氏が神の加護を受けた強兵と言うならば当ててみよ」という挑発である。義経は戦の吉凶を決めるこの挑発に対して那須十郎為隆を射手に選出するが戦傷を理由に辞退。自分以上の弓使いであると弟を推挙し、この一世一代の大役を那須与一が担うこととなった。これに失敗すればその場で自害する覚悟のもと南無 八幡大菩薩と祈り扇子に向けて弦を引き絞り、矢を放った。結果は・・・見事一射で命中。源氏側は当然として平氏側もこの神業を敵ながら天晴れであると大盛り上がりとなった。あくまで戦争中であることを忘れて船正面に出てきて舞い踊った平氏軍兵士もいたが義経の命令による与一の第二射によって討ち取られたという。「我が軍は精鋭強兵、そして神の加護がある」と確信した源氏軍はこの後、平氏軍を散々に打ち破った。この大役を見事に果たした与一には5ヵ国に跨っての恩賞地が与えられさらには平氏側についた九人の兄たち全員に特赦が掛けられた。与一は総勢十名の兄を差し置いて那須家当主となり、那須氏隆盛の礎となった。屋島の戦いでのたった一射・・ただし神業的な一射によって那須氏勃興を果たし「日本最高の弓使い:那須与一」の名が残ることとなったのである。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42430937