安倍晋三元首相銃撃から一年、今初めて明かす安倍元首相から私へ託された遺志 〜國體中興・日本再生〜

安倍晋三元首相銃撃から一年、今初めて明かす安倍元首相から私へ託された遺志 〜國體中興・日本再生〜

安倍晋三元首相銃撃から一年、初めて明かす安倍元首相から私へ託されたご遺志について、安倍元首相が目指された日本再生とは何であったのか、お話しさせて頂きます。安倍元首相とは、昨年4月、稲田朋美先生のお繋ぎにて、お目にかかりました。お会いする以前から、安倍先生は、Facebookやブログの私の記事にも頻繁に目を通してくださっておられ、稲田先生に安倍先生が常々「山下さんは政治の政策を國體に基づいて説明されているね。こうゆう子は大切にしなさい」と仰っておられたそうです。稲田先生から安倍先生のお言葉をお聴きし、当時の私もまた、大変恐縮したものでした。また、靖國神社の原型である山口県下関市の櫻山神社について、私の記事で取上げた時には、安倍先生から「お参りくださりありがとうございます」とコメントを頂きました。これには、私のフォロワーの方々も一同大いに驚かれておられました。昨年4月、稲田先生のご紹介のもと、安倍先生と3人で面会させて頂きました。その際、お会いしてすぐ第一声「山下さん、いつも記事楽しみに観ていますよ!」と仰ってくださいました。また、「楠木正成公の御末裔ですよね。私も大楠公の事はとても崇敬しています」とのお言葉を頂きました。それもそのはずで、安倍先生が尊崇された吉田松陰先生が何よりも手本とし尊崇していた人物こそが、楠木正成だったのです。松陰先生の最期の書「留魂録」の最末尾には、「七たびも 生き返りつつ 夷をぞ 攘はん心 吾忘れめや」と記されています。これは、松陰先生が、自らもまた、「七生報國」の誓いを立て殉節した大楠公として殉節するのだ、という固い意志であった事を示しているのです。保守層の方々でも、松陰先生は知っていても、その手本とした人物が楠木正成であった事を知る人は、非常に少なく、残念に思います。同様に、靖國神社のルーツが櫻山神社(櫻山招魂社)にあるという事を知る保守層も、非常に少ないことが現実です。それは、安倍先生も同様に仰せでした。安倍先生が私に最も期待をされていたのは、「國體を中心とした国家の再生」でした。私にとって、安倍先生の遺志を継ぐという事は、「國體の真実」を広く敷衍し、日本再生へと導くという事です。だからこそ、私は、國體とは何であるのか、皆様へお伝えを繰り返しているのです。本日は、一周忌。心静かに、安倍先生へ、感謝の祈りをお捧げする一日に、そして、同志が共に手を取り合い、日本再生を誓い合う一日と致しましょう。どうか、御魂の安らかならん事を。七生報國。神國日本彌榮。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42454659