灌漑用水路を切り開き、洪水を起こす

灌漑用水路を切り開き、洪水を起こす

西暦634年9月22日ヨナからアンティオキアへの近道を教えて貰っていたハーリド・イブン・アル・ワリードが、アラブ人の服装を身に纏った騎兵連隊を率い、ジャバル・アンサリヤ山脈(現在のシリアのラタキア県)を超えて、アンティオキア近郊の海上で東ローマ帝国の難民の船団に追い付く。アラブ人の服装は、ムスリムと悟られない様にする為で、ヨナの提案であった。この日は激しい豪雨であった。また、ヨナは3日間の停戦期間が過ぎたら東ローマ帝国軍を追撃する様ワリードに提案していた。東ローマ帝国軍は雨を避けて、台地に散り散りになり、錦の束が地面に散らばった。ヨナを含む偵察隊は、東ローマ帝国軍に知られる事無く、軍勢の位置を特定し、ワリードの軍が攻撃するのに十分な情報を取得した。ワリードは、以下の東西南北の4方面からの攻撃を計画した。①東:ラーフェ・ビン・ウメール率いる1,000名の騎兵連隊②西:ワリード率いる1,000名の騎兵連隊③南:ディラール・ビン・アル・アズワル率いる1,000名の騎兵連隊④北:アブー・バクルの息子アブドゥルラフマン・イブン・アブー・バクル率いる1,000名の騎兵連隊まず、アズワルの軍が後方から東ローマ帝国軍を急襲した。それまで、東ローマ帝国軍はムスリムの存在に気が付いていなかった。30分後、ウメールの部隊が東から現れ、東ローマ帝国軍の右翼を攻撃した。さらに30分以内にバクルの部隊も西から左翼を攻撃し、最後にワリードの軍が東ローマ帝国軍を包囲した。また、ワリードは決闘によりトーマスを殺害した。東ローマ帝国軍は劣勢となったが、数の上ではムスリムに勝っていた為、数千名の東ローマ帝国兵が、安全な場所へ避難する事が出来た。ムスリムは戦利品として、サテン地に浮き模様を織り出した織物であるブロケードを奪い、多数の捕虜も得た。トーマスの妻且つヘラクレイオスの娘である女性を捕縛した。ヨナは婚約者を得ていたが、ダマスカス包囲が始まった為、結婚は延期となっていた。ヨナがイスラム教に改宗した事を知るとその女性は婚約を破棄し、東ローマ帝国人と共にアンティオキアに移住する事にしたが、ヨナの目の前で、ドレスのひだから短剣を抜き、自殺した。ヨナは瀕死の状態となった婚約者の隣に座り、他の女性には目を向けないと誓った。代わりにワリードが、捕縛したヘラクレイオスの娘を差し出したが、ヨナは辞退した。宇宙一元化 公式HP http://universe-centralization.com/top.html

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42544764