【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第151回:将軍の号令「破天荒争奪戦」】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第151回:将軍の号令「破天荒争奪戦」】

徳川の誇りを見せつけよ!!徳川幕府第14代将軍:徳川家茂(いえもち)。紀州藩の第11代藩主:徳川斉順(なりゆき)の次男として誕生した。(・・とはいえ長男は死産であった為に、家茂が実質的な長男だったといって差し支えない)家茂が生まれる前に待望の嫡男の顔を見ることなく父:斉順は逝去。その為、家茂の叔父である徳川斉彊(なりかつ)が第12代の紀州藩主となっておりさらに斉彊も30歳の若さで死去した為に家茂が僅か4歳で第13代藩主となった。その頃、幕府内でも第13代将軍の徳川家定に嫡子が無く、またも後嗣問題が発生。これにより幕府内で次期将軍の検討が行われた。「徳川慶福(家茂)」「「徳川斉昭」「一橋慶喜」が次期将軍候補として挙げられており時の大老:井伊直弼が紀州藩南紀派を支持していた為に徳川家茂が第14代将軍に選定。これにより家茂は13歳で若き征夷大将軍となった。しかしそれより僅か1年半で強力な後楯であった自身の擁立者である井伊直弼が暗殺されさらに各地での激しい討幕運動によって幕府自体が窮地に陥ることとなる。幕府の威信回復の為に必勝の構えで進軍した第二次長州征討では近代装備/近代戦術を身に付けた長州軍に兵力差30倍の差でありながら惨敗。さらにはこの時、家茂の体調が急変し、ほどなくして僅か20歳で病死。この第二次長州征討の失敗は幕府権威の完全なる失墜を意味し後に続く鳥羽伏見の戦いの発生/惨敗に繋がることとなってしまった。ちなみに英傑大戦内の家茂がスカルマスクのような布を口元に付けているのは理由がある。家茂は大の甘党であったことから町民に比べ多量の甘いものを好んでいた。遺骨から見ると32本中の30本が虫歯であったことがわかっておりそこからイラスト内で口元を隠すスカルマスクに繋がっていると思われる。(急死の原因も偏食による脚気や心不全であるという説もある)長兄の英傑大戦: mylist/73130055

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42674267