【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第159回:盤上遊戯】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第159回:盤上遊戯】

邪魔者は我が世界から消えてなくなれ!僅か5歳で天皇に即位した第74代天皇:鳥羽天皇。鳥羽天皇が14歳の時に祖父:白河法皇の養女であった藤原璋子(院号:待賢門院)が入内。その翌年には中宮(天皇の妻)となった。その後すぐに息子の崇徳天皇に譲位するが、白河法皇の院政全盛期であった為に鳥羽上皇には実権は無かった。白河法皇崩御後は今度は鳥羽上皇の院政の時代となり、白河法皇の養女であった藤原璋子は冷遇。代わりに寵愛されたのが藤原得子(ふじわらの/とくし[なりこ])(院号:美福門院)である。得子は藤原の生まれではあるものの上流貴族とは程遠く、本来皇后になれる身分ではなかったが鳥羽上皇に強く愛され、後の第76代天皇となる近衛天皇を出産。鳥羽上皇は自身と得子の息子を天皇にするために崇徳天皇(藤原璋子との子)を除した。親族の後ろ盾が無い得子は自身の基盤を保つために政敵であった璋子を呪詛の疑いで追放し自身に都合の良いように養子を取るなど、御家のためにも自身のためにも手段を選ばなかった。得子が招いた皇族血脈の混乱によって次期天皇争い:保元の乱が発生。ここでは本来敵側である清盛・義朝側に肩入れして勝利に貢献。続く平治の乱では本来味方である義朝から鞍替えして清盛側に付いて勝利に導いたが同年、得子は病死した。その後、武士による統治が始まっていくが保元の乱の発生自体が得子の処世術ゆえに起こった乱であるために得子は貴族政治の終焉を招いた人物として後生に名を残した。結果的に朝廷内の混乱を発生させたことから三大妖怪:玉藻前のモデルは美福門院とされている。英傑大戦内でもこの2名は各台詞がどれも同一の意味となっており彼女の全体イラストでは装束に日本古代文字(ホツマ文字)で「たまも」と書かれている。※あくまでモデルなので「きんとき」と同じく同時使用は可能である。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42719851