アッラーの剣の本領発揮、全てはワリードの計画通り

アッラーの剣の本領発揮、全てはワリードの計画通り

西暦636年8月20日ハーリド・イブン・アル・ワリードは、騎兵部隊を率いて東ローマ帝国軍を戦場から追い出し、増援を受け取れない様分断して、側面や後方を攻撃してワディ・ウル・ラッカドへ追い込む作戦を計画する。ワリードは総攻撃を指示し、騎兵隊を東ローマ帝国軍の左翼へ差し向け、交戦させた。残りの兵は東ローマ帝国軍の左翼の後部を攻撃した。さらにムスリムの右翼が正面から圧力を掛け、2方向からの攻撃を受けた東ローマ帝国軍左翼は後退して北に敗走した。次にムスリムの右翼歩兵は東ローマ帝国軍の左翼中央部の左側面を攻撃し、ムスリムの右翼中央部は正面から突撃した。ヴァハンはムスリムの騎兵隊の機動力に気付き、騎兵隊に集団を作る様命じたが、重騎兵中隊を編成している最中にワリードは正面と側面から攻撃させ、東ローマ帝国軍は混乱し、散り散りになり北へ向かって敗走した。さらにワリードは、東ローマ帝国軍の左翼中央部を再度攻撃し、壊滅させた。敗北が決定的となった東ローマ帝国軍の撤退が始まり、ワリードは北への逃走を防ぐ為に騎兵を差し向けた。東ローマ帝国軍はワディ・ウル・ラッカドへ向かったが、前日にアイン・アル・ダカール橋を占領した騎兵が待ち受けていた。四面楚歌となった東ローマ帝国兵は、逃走を図ったが、急な斜面から深い渓谷に落ちた者もいれば、水中に逃げようとしたが下の岩に打ちつけられ命を落とした者もいた。しかしそれでも多くの兵が逃れる事に成功したが、セオドア・トリテュリウスは戦死した。ヘラクレイオスの従兄弟ニケタスは、エメサへの脱出に成功した。ジャバラ・イブン・アル・アイハムも逃亡に成功し、その後イスラム教に改宗した。ムスリム側もヨナが戦死し、犠牲を払った。この戦闘により、東ローマ帝国のシリア支配が終焉し、キリスト教の影響の強かったレバント地方は以後イスラム化が進んでいく事となる。宇宙一元化 公式HP http://universe-centralization.com/top.html

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42837463