【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第165回:尽滅の号令】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第165回:尽滅の号令】

よく見ておけ、この鍾会の才を!三国時代:魏国(後期)の武将、鍾会。字は士季。幼き頃から神童と噂され、僅か4歳であらゆる書物の暗唱を行えるほどで15歳の時には国内の高等教育期間:太学に入学するほどであった。実際に軍事に関係するのは曹髦(魏国第4代皇帝。曹丕の孫)の時代である。この頃、魏国の実権を握りつつあった司馬一族に対する反乱が頻発していたが司馬一族に従い乱の平定にあたったことで武功を得た。若くして武功をも得た鍾会は自身の能力の高さを誇示することが多くなり友人や主君からも謙虚であるように諭されたがそれらを聞き入れることは無かった。時代が進み、敵国蜀の北伐の失敗を初めとした国力低下を見抜いた司馬昭によって蜀漢征伐が開始される。鍾会を将軍として主軍10万を与え、さらに鄧艾(とう/がい)ら緒将も加えて総兵力16-18万からなる軍を編成し、十分な大軍にて蜀国との決戦に臨み圧倒的軍勢に加えて鄧艾の奇襲作戦も成功したことで劣勢に陥った蜀国の皇帝は即座に降伏した。ここで鍾会は乱世の覇者となる野望を叶えるために賭けに出た。鄧艾に謀反の疑いをかけて軍を掌握。さらに蜀国の将:姜維と共謀することでクーデターを図ったのである。しかし、司馬昭は鍾会の叛意に既に気付いており鄧艾逮捕の報告を受けたことを名目にさらなる大軍を率いて蜀国に接近しつつあった。鍾会は魏兵及び蜀兵を吸収しつつ蜀国の天然の要塞を利用して迎え撃とうとするが自軍将兵の反乱によって無事死亡した。明智光秀もそうだが、賢いはずなのにクーデター時に急に根回しがガバる伝統の流れである。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

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