この感情には後で名前を付けます。- 初音ミク

この感情には後で名前を付けます。- 初音ミク

この感情には後で名前を付けます。作詞・作曲・映像 - 五月一日------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 自分の感情や考えを他人に伝えようとしても、上手く思いを共有することが出来なかったり、いざ伝えてみるとなんだか自分の感情の「鮮度」が落ちるような感じがしたりして、もどかしく思う経験は誰しも持っているかと思います。 自分と他人が本当に同じ感情を抱いているか、自分が上手く笑えているか、自分の醜い感情を嫌悪したり、自分の価値観が途端に脆弱に思えて不安になったりもするかもしれません。 けれど、自分が孤独な感情をひとつ抱えられているということは、『自分だけのものがこの世にひとつ、確かに存在している』という事実を担保していることの裏返しでもあると思うのです。 だから、自分と他人の感情が全く同じものでないことは確かに焦燥を抱かせるようなものであるかもしれないけれど、ある意味その反面でとても安心することだともいえると思います。 そういう意味で、僕は自分の感情をとても大切に思っているので、ある時に感じた気持ちを、もっと鮮度よく保存したいと、小さい頃からずっと考えていました。 例えば、「2020年の11月14日は、比較的暖かくて、リビングを覆う芝生のような色のカーペットに寝転んだ、天窓からさした光がくすぐったかったときのあの感情」、みたいに繊細に、もっと精度よく感情の記憶をしたいのですが、人間は記憶に限界があるので、なかなかそう上手くはいかないわけです。 だから結局は、感情に名前を付けて感情が腐ることを留保しようが、ありきたりな言葉を使おうが、そのときどきで自分の感情を表現することに悪戦苦闘しなければならないと思うようになりました。その、自己表現の苦闘の中に人生が美しくあると思います。 でもそれだけ感情が孤独で大切だからこそ、誰か大切な人やモノが失われることは、「その人やモノの感情や考えている唯一無二のモノが失われること」と同義で、とても辛いことだと、一昨年の暮れに亡くなった愛犬を想って、冷たい秋の風の中に書いた歌です。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm42902596