憂歌団 - 胸が痛い

憂歌団 - 胸が痛い

〇憂歌団今回は私の記憶と僅かな資料のみで書くため、誤謬等についてはお許し願いたい。木村充揮(vo.,guitar)、内田勘太郎(guitar,vo.)、花岡献治(bass,vo.)、島田和夫(drums)のいずれも大阪出身メンバーで1975年にデビュー。「憂歌団」というバンド名は、高校時代にブルース・バンドを組みたいという木村と内田の意向で和訳を内田が考えたもの。1975年のデビュー作「おそうじオバチャン」はリリース直後に放送禁止となる。翌年以降、外国人Blues Bandとのジョイントやコンサート活動が本格化、1988年にアメリカで開催されたシカゴ・ブルース・フェスティバルに日本のバンドとして初出演。※私のアメリカ放浪の動機のひとつでもある。1998年バンドの冬眠を宣言2012年島田和夫が死去翌2013年再結成 新井田耕造(drums)が加入。〇"胸が痛い"13枚目シングルのA面として1989年リリースアメリカ公演の直後で既に熟成の域に達した頃の傑作(私見)なおこの曲には91'versionが存在し、本作はこの音源の可能性が大きい。もしここについて誤りがあれば、ぜひ私への連絡(コメント)を寄せていただきたい。「胸が痛い」と繰り返されるサビは哀切極まりない。このうえもなく真直ぐなメイド・イン・ジャパンのBLUESだ。作詞は大阪発の楽曲の多くに関係の深い康珍化さん。〇木村充揮「天使のダミ声」との異名を持つBlues Man途中冬眠期間はあったものの、もはや充分以上の経歴を持つ男。〇動画制作まず私がI LOVE OSAKA人間であること道路上まではみ出した原色の看板の連なり独特のユーモアセンススマートとはとても言い難い街並みとそこに住む人たちの人懐こさが大好き正直、それしか思い当たらないI LOVE OSAKA〇ネタバレこの動画は、まず現在から始まります。(関西空港)※openingは定番の雨です。彼との別れですね。そして過去の回想、最後はまた関西空港に戻ります。この曲の歌詞には別れる原因が、元々無いのです。人を愛することは辛く切ない。だからて、そんなんあたりまえちゃうの(・・?そーおなんです。なぜ二人は別れたのか・・謎です。  

http://www.nicovideo.jp/watch/sm43029812