【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第182回:琥煌の天下人「山崎の戦い 羽柴軍」】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第182回:琥煌の天下人「山崎の戦い 羽柴軍」】

日輪の輝きで、天下を覆い尽くせ!!農民同然の下級武士の身分から、日本の最上位:天下人へと成り上がり日輪の申し子を名乗った男:豊臣秀吉。(名も無い家の生まれであったことは間違いなく、父親の詳細が「不明」)元の名は木下藤吉郎であったが、そこから織田家重臣の丹羽と柴田にあやかって「羽柴」さらに平安より武家・貴族の象徴であった「平」→「藤原」と姓を変え最後に「源」「平」「藤」「橘」に因まない第五の名家:豊臣を創始した。当初、今川家配下の松下之綱に仕えて優遇されたが、後に織田家へ仕官。(成り上がった秀吉は、かつての恩人である松下之綱へ所領を与えて恩返しを行っている)織田家の家督を継いでいた信長の小者として仕え、才覚を見抜いた信長に抜擢された。墨俣一夜城の活躍、金ヶ崎撤退戦において殿軍を申し出ての決死の防戦を成功させ着々と織田政権下における地位を確立させ、織田家宿老の猛将:柴田勝家と同等の立ち位置である各地方面軍:中国地方(対毛利)司令官に抜擢される。毛利攻めでは得意の攻城戦を駆使して攻め上がっていたが、ここで凶報が入る。主君:織田信長が、畿内方面軍司令官:明智光秀に討たれたと。異常な毛利家との停戦速度に加えて、異常な速さの中国大返しを敢行し謀反人:明智光秀を相手取り「山崎の戦い」にて明智軍を打ち破り続いて、織田家内の政権闘争の相手、柴田勝家を「賤ヶ岳の戦い」にて破った。信長の覇道を引き継いだ秀吉は九州・四国を平定し最後まで臣下の礼を取らなかった北条家を小田原征伐にて滅亡に追い込み、天下統一を成した。・・だが、秀吉には古くからの家臣が存在しない。皆が自身に付いてくるのは「利」ありきである。侵略によって配下に利を配っていたことから秀吉は国外への無謀な侵攻を試みた。さらに晩年まで嫡子に恵まれずに焦ったこともあり、秀吉は非道の蛮行を続けた。急速に人心を失った豊臣。秀吉の代を最後にその日輪は没することとなる。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

http://www.nicovideo.jp/watch/sm43126757