【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第184回:琥煌の方陣「山崎の戦い 羽柴軍」】

【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第184回:琥煌の方陣「山崎の戦い 羽柴軍」】

いっちょあいつに、天下を取らせてやっかぁ!!羽柴秀吉の古くからの忠臣にして参謀:蜂須賀正勝。通称:蜂須賀小六。尾張国の国人豪族である蜂須賀氏の出身。(つまり元々は秀吉より身分は高い)父:蜂須賀正利の代では斎藤道三に仕えていた為、当初織田家とは敵対関係にあった。後の主君となる秀吉との出会い方は確たる資料が存在せず、創作とされる話が以下である。今川家に仕官しようとしていた秀吉は、東海道一の大橋である矢作橋で野宿をしていた。そこで、付近を荒らしていた野武士集団が通った際に秀吉の頭を蹴った。秀吉はこの無礼に抗議をし、度胸に感心した野武士棟梁:蜂須賀小六はこの小男に一目を置いた。(ただし、この頃に矢作橋は存在しないので確実に創作の話である)その後、小六は斎藤家を抜けて織田家へ入り、秀吉は今川家を抜けて織田家へ入った。そこで秀吉に大きな才覚を見出していた小六は、秀吉の立身出世に賭けることを選んだ。かつての主家であった斎藤家との合戦では墨俣一夜城完成の監督を行い墨俣川の戦い、金ヶ崎撤退戦、姉川の戦い、対一向一揆など秀吉の立身出世の陰には必ず小六が従軍していた。また、調略・外交面に関しても才覚があり、対毛利となる中国地方攻略では日和見状態だった宇喜多直家の協力取り付けを成功させている。山崎の合戦後の小六の所領地は5万石を超えており、名実ともに大名身分の存在となった。彼の最後の戦いは、四国長宗我部の討伐戦となる。この時点で60手前の老将であったが病を推してでも出陣を敢行。戦後は秀吉から四国阿波国(約20万石)を褒美として与えられたがこれを辞退。もう長くないことを悟っていた小六は、最後は秀吉の傍にいることを選び翌年、秀吉に天下を取らせた功労者は、その生涯を閉じた。長兄の英傑大戦: mylist/73130055

http://www.nicovideo.jp/watch/sm43130806