【クトゥルフ神話TRPG】奇妙な共闘 Part5【実卓リプレイ】

【クトゥルフ神話TRPG】奇妙な共闘 Part5【実卓リプレイ】

これは2020年3月に行った実際のオンラインセッションをリプレイ動画にしたものです。参加者は当時大学生の友人です。 この動画では、サプリメント『クトゥルフ2010』に掲載されている『奇妙な共闘』というシナリオを使用します。素朴に思っていたことがある。子どもが酒を飲んではいけない理由についてだ。身体への悪影響があることが訴えられる。それはそれで正しいのだろう。しかし私は、子どもは既に酔っているからという理由を感じているのだ。酒に酔うまでもなく、成人に比較すればおぼつかない足取りや不器用さ、箍が外れた情動や声量を始めとする身体操作、有りもしない理性。子どもが飲酒した時、その様子はどうなるのだろうか。変化なしか、或いはもっと酷い様相が有り得るのか。ところでだが、こういった特徴には一時的狂気表と関連性がないだろうか。いや、子どもというのは未熟なものなのだから、年齢相応の振る舞いについては、狂気と評価するのは不適切だ。しかし現実には、医療的な手段としての薬物は一旦置いておくとして、そういった特徴を発達によって改善することが不可能な場合が存在する。年齢不相応の発達段階であり定型発達ではないその者達は、狂気だと判断し得るだろうか。狂気だと判断するならば、この裁定は非常に差別的な扱いとして、何らかの社会的制裁を受けるだろう。狂気ではないと判断するならば、最早この社会に、「狂人」は論理上かつ倫理上存在し得ないだろう。後者が既に破綻している以上、前者が正しいことは言うまでもない。ではこの記載がどうして差別表現として問題に挙がらないのか。ただ単に世の人が蒙いからか。見て見ぬふりする無視なのか。未定義のまま通り過ぎる受け流しか。この感じは…私は空々空のようだ。これを問題だと捉えないでいられる社会のことを、これに問題を持つべきと論理的に思う故に感情を偽装している私は、これを素朴に全く問題ないと感じる私は羨ましがっているのだ。あのキャラクターに共感できる日が来るとは、軽々と信じられない。あれは論理上存在し得るだけの狂人ではなかったのか。空想実在論、思いつくことが可能なものは存在する。ふーむ、素朴に主張しうるエピソードが有り得るものだったのかね。現在のキャンペーン進捗・感情科学・生命の知識・奇妙な共闘 ←いまここ・羨望の先に消ゆ・人生はどこだ ストーリーの繫がりがあるから、キャミー・フォレストの旅も見ると良いぞ。今はまだ繋がってないけどもね。キャミー・フォレストの旅→ sm36691861

http://www.nicovideo.jp/watch/sm43537787