<ニュース・コメンタリー>森友問題の本質は最高権力をいかにチェックするか アメリカがウォーターゲート事件から学んだ教訓を参考に

<ニュース・コメンタリー>森友問題の本質は最高権力をいかにチェックするか アメリカがウォーターゲート事件から学んだ教訓を参考に

 昨年からウォーターゲート事件とペンタゴンペーパー事件におけるメディアの役割の取材を始めたのだが、ここにきて森友学園問題が新たな展開を見せたことで、この事件が1971年にアメリカで起きたウォーターゲート事件と酷似した面があることに気付いた。 ウォーターゲート事件では、独立検察官というポストが設置され、ニクソン大統領自身が事件に関わっていたかどうかの捜査が行われたが、その終盤において、ニクソン自身の事件への関与を示す録音テープの存在が取り沙汰された。そして、世の中の関心は、ニクソンがそのテープを出すのか出さないのかに注目された。 森友学園問題を巡り、決裁前の文書の有無が取り沙汰されたり、それを出す出さないで大騒ぎになっている様は、ウォーターゲート事件におけるニクソンの録音テープを巡る論争を想起させるものだった。 ちなみにニクソンは、議会からのテープの提出を求められながら最後までその提出を拒んだために弾劾に掛けられ、弾劾決議案が下院本会議で採決させる直前に辞任したため、事件当時このテープが公開されることはなかった。実際にテープが公開されたのは40年後の2013年になってからのことだ。 国有地の払い下げで不法な権力行使があったことが疑われている森友学園問題と、政敵の政党本部に盗聴器を仕掛ける策謀に大統領自身が絡んでいた可能性が疑われたウォーターゲート事件では事件の質も内容も全く異なる。しかし、両者はいずれも、民主主義において最高権力をいかにチェックするのかという命題を抱えているという意味において、実は多くの点が酷似している。いや、単に似ているというだけでなく、アメリカがこの事件から学んだ痛くて重い教訓を、今回われわれも森友・加計問題を契機に活かさない手はないのではないか。 森友問題は朝日新聞のスクープによって財務省による決裁文書の改竄が明らかになり、新たな次元に突入している。 一度決裁された公文書を書き換えて国会に提出する行為が民主主義の根幹を揺るがす行為であり、徹底的に真相が究明されなければならないことは言うまでもない。また、もし佐川前国税庁長官が国会で意図的に嘘の答弁をしていたとすれば、それも議会制民主主義の根幹に関わる重大な背信行為であることは言うまでもない。 しかし、公文書の改竄も議会での偽証も、「そもそもそれが何のために行われたのか」という「そもそも論」を抜きにして、その行為だけを追求するのでは意味がない。森友問題も加計問題も、その本質は権力、しかも最高権力が不当に行使された疑いが生じているにもかかわらず、有権者・納税者が納得できるような形でその真相を明らかにするための仕組みが、現在の日本の民主主義に存在しないところにある。・・・ そもそも一定の権限を与えられた機関がきちんと調べれば簡単に白黒がつくような単純な問題が、いつまでたっても「疑惑」のまま尾を引き、これだけ長期にわたり国政を停滞させ、しかも国政に対する国民の信用を低下させているという事実だけでも十分に、現在の日本には最高権力をチェックするための体制に不備があることを物語っていると考えるべきだろう。(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)

http://www.nicovideo.jp/watch/so32900905