マイリスト 孫策兵法【鄭問之三國誌】
糸冬P さんの公開マイリスト 三国志を題材としたシミュレーションゲーム「鄭問之三國誌」のプレイ動画です。シナリオは200年開始で、主役は孫策。史実では若くして亡くなった英傑が、中華統一を目指して戦います。
https://www.nicovideo.jp/user/2015848/mylist/10205471
孫策兵法 第一篇【鄭問之三國誌】
200年・春。孫策伯符、起つ。当面の狙いを荊州の劉表に定めるが、両者の会戦は思わぬ形で行われることとなった。
200年・「官渡之戦」シナリオの孫策プレイです。あまりの難しさにプレイ動画を参考にしようと探していたのですが、見つからなかったので仕方なく自分で作ってみることに。説明係を2名ほど登場させていますが、登録武将等はありません。どういう形の見せ方にするのがいいのか、試行錯誤を続けるつもりです。挙動不審のマウスカーソルは気にしない方向で……消して録画する方法が判らないorz武将紹介>sm5728020第二篇>sm5674155マイリスト>mylist/10205471
14:15|2008年12月22日 12:29:11 投稿
孫策兵法 第二篇【鄭問之三國誌】
200年・夏。劉表軍を柴桑にて迎え撃ち、辛くもこれを退けた孫策が放つ、反撃の一手とは。
200年・夏のターン。劉表軍を柴桑にて迎え撃ち、辛くもこれを退けた孫策が放つ、反撃の一手とは。腰を据えて内政に勤しむ方策は、このゲームに関しては衰勢を招きます。また、攻勢で活路を開く姿こそ、孫策には似合うと思います。第一篇>sm5622090第三篇>sm5724512武将紹介>sm5728020マイリスト>mylist/10205471
11:07|2008年12月27日 15:57:39 投稿
孫策兵法 第三篇【鄭問之三國誌】
200年・秋。
武昌を落とせなかったことで側面に脅威を抱えた孫策軍。守勢に回る事を嫌い、さらなる攻勢を仕掛けるべく、孫策と周喩は戦策を練る。
陸口、そして烏林を奪った孫策は、劉表の陣に深々と楔を打ち込んだ格好となった。対する劉表は武昌に兵を集め、逆襲の構えをみせる。さらなる攻勢を仕掛けるか、それとも守りを固めるか、孫策の決断は。第二篇>sm5674155第四篇>sm5748838武将紹介>sm5728020マイリスト>mylist/10205471
10:44|2009年01月01日 21:11:05 投稿
孫策兵法 武将紹介【鄭問之三國誌】
ゲーム開始時の所属武将の紹介。彼らの力なくして、大望を果たすことは叶わない。
200年・「官渡之戦」シナリオ開始時点における孫策陣営の武将をまとめてご紹介します。武勇・統率・知謀・政治の各固有パラメータにおける最高値は30となっていますので、武将がそれぞれどのような評価を受けているかの参考として下さい。おおむね項目名で意味は判ると思いますが、詳細等は機会を見て本篇中で触れていく予定です。第一篇>sm5622090マイリスト>mylist/10205471
3:49|2009年01月02日 07:45:34 投稿
孫策兵法 第四篇【鄭問之三國誌】
200年・冬。
章陵にて、孫策軍は劉表軍に会戦を挑む。甘寧の一騎打ちに応じた黄蓋。勝敗の行方は。
章陵へと攻め寄せる孫策軍を、劉表は諸将をかきあつめて迎え撃つ。その中には、武昌から逃れた甘寧の姿もあった。劣勢の自軍を鼓舞すべく、甘寧は一騎打ちの名乗りをあげる。三国志に欠かせない一騎打ちですが、鄭問之三國誌にも採用されています。普段の合戦は自動的に進むのですが、一騎打ちのみカードゲームとなっています。マニュアルが行方不明になっている状態で急に一騎打ちが来たので、マウス捌きがおぼつかないところがあるのはご容赦の程を。第三篇>sm5724512第五篇>sm5810885武将紹介>sm5728020マイリスト>mylist/10205471
11:35|2009年01月04日 17:10:35 投稿
孫策兵法 第五篇【鄭問之三國誌】
201年・春。
後がない劉表軍は江陵を攻め、再び孫策軍と激突。一騎打ちの名乗りを上げる周泰に応じた武将とは。
劉表の首府・襄陽に迫った孫策軍は、損耗した戦力の回復を図る一方、南方の中立都市の併呑を推し進める。対する劉表はなおも抵抗の構えを崩さない。再度激突の機運は高まる。第四篇>sm5748838第六篇>sm5923495武将紹介>sm5728020マイリスト>mylist/10205471
13:52|2009年01月11日 12:52:40 投稿
孫策兵法 第六篇【鄭問之三國誌】
201年、夏。
卑劣な計略により領域の東西の要衝を手放す事態となり、孫策陣営には動揺が走る。
劉表に加え、劉備を敵に回すことになるのか。
孫策は計略によって章陵、揚中の二都市を手放す事態に陥る。その計略の背後に見え隠れするのは曹操、そして劉備の影。劉表攻めの遅延を余儀なくされた孫策は激昂しつつも、両面作戦も辞さない強攻策で敵に挑む。第五篇>sm5810885第七篇>sm5993751武将紹介>sm5728020マイリスト>mylist/10205471
11:40|2009年01月23日 19:24:59 投稿
孫策兵法 第七篇【鄭問之三國誌】
201年、秋。
劉表の首府・襄陽を攻め落とすべく兵を進めた孫策軍の前に立ちはだかったのは、雪辱を期して劉表の元に帰参した猛将・甘寧だった。彼は太史慈の名乗りに応じて一騎打ちを挑む。その勝敗の行方やいかに。
甘寧vs太史慈! 劉表陣営に孫策が最も警戒する闘将が返り咲き、その矛を振りかざす。襄陽の奪取は果たせるのか。カードバトルの一騎打ちではいまひとつ迫力がありませんが、甘寧無双をご堪能いただければ幸い。どうもゲームの面白さを動画を通じてうまく伝えられなくて、焦りを感じています。第六篇>sm5923495第八篇>sm6114820武将紹介>sm5728020マイリスト>mylist/10205471
13:30|2009年01月30日 23:03:27 投稿
孫策兵法 第八篇【鄭問之三國誌】
201年、冬~202年、春
襄陽攻めの計略に悩む周瑜の元に、魯粛が訪れ、秘策を授ける。攻略成るか。中原では劉備が大損害を受けて敗走し、追い込まれていたはずの曹操が次第に地力を発揮し始めていた。
魯粛登場。難攻不落を誇り、周瑜を悩ませる襄陽攻めの切り札となるか。そして各地で続く戦いで空しく散っていくのは、名もない雑兵ばかりではなく……。どうしても単調なプレイ動画になりがちなので、紙芝居分を増量してみました。用語に関する知識不足についてはご容赦のほどを。第七篇>sm5993751第九篇>sm6330260武将紹介>sm5728020マイリスト>mylist/10205471
15:43|2009年02月11日 14:58:22 投稿
孫策兵法 第九篇【鄭問之三國誌】
202年、夏~202年、秋
再三にわたる都市中立化工作に悩まされる孫策の元に、曹操が「韓王」になったとの報せが届く。劉表攻めに時を奪われてはならないと判断した孫策は、劉表へのとどめを孫権に託し、自身は呉王となって曹操との対峙を決断する。
韓王・曹操誕生す。しぶとく抗戦を続ける劉表よりも、中原に渦巻く野望へと目を向ける孫策は、二つの決断を下すことに。録画に失敗した内容を再現しようと手こずって、upが遅くなってしまいました。ランダム要素が結構強いゲームですので、再現しきれなかったのが残念です。データ等に一部食い違いがあるかも知れませんが、ご容赦の程を。第八篇>sm6114820第十篇>sm6576317武将紹介>sm5728020マイリスト>mylist/10205471
16:56|2009年03月04日 09:37:47 投稿
孫策兵法 第十篇【鄭問之三國誌】
202年、冬
劉表への備えとして孫権、呂蒙らを残し、孫策は対曹操への奇襲計画を練る。それは、大都市・宛と曹操の東部領への隘路となる汝南を奪取し、戦力の一部を遊兵化させる秘策だった。
遂に孫策は韓王・曹操との対決を決意する。一方、対劉表向けの支隊を率いることとなった孫権には、ある思惑が。別動画に関わっていて遅くなりました。いよいよ曹操攻めです。計略謀略てんこ盛りになりますので、ここからが厳しい展開となります。こちらから喧嘩を売りながら、押し負ける展開になったらゴメンナサイ。第九篇>sm6330260第十一篇>sm6656520武将紹介>sm5728020(新加入の武将が結構いるので、近いうちに更新します)マイリスト>mylist/10205471
9:50|2009年03月28日 23:05:29 投稿
孫策兵法 第十一篇【鄭問之三國誌】
203年、春
汝南を奪い、許昌へと迫る孫策の元へ、曹操から和睦の使者が送られる。無論、これを受諾する孫策ではないが、周瑜、そして魯粛は決して一筋縄ではいかない対曹操攻めの困難さを改めて認識する。
曹操領への侵攻を開始した孫策は呉王に即位した。南から呉王・孫策、北からは魏王・袁紹が首府・許昌へと迫る非常事態に、曹操はいかなる判断を下すのか。序盤から中盤にかけての山場といったところでしょうか。「勝てないまでも負けない戦い」が必要となる局面もままあるものですが、戦況に動きがないと動画にしづらいのも事実。第十篇>sm6330260第十二篇>sm6754473武将紹介>sm5728020(新加入の武将が結構いるので、近いうちに更新します)マイリスト>mylist/10205471
10:59|2009年04月05日 14:02:16 投稿
孫策兵法 第十二篇【鄭問之三國誌】
203年、夏
孫堅三男・孫翊登場。許昌への攻勢案から一転、猛反撃を受けて損害を被る孫策。再三に渡って送り込まれる曹操軍の勅使に対し、講和策を取るか否か、孫策に決断の時が迫る。
許昌攻略に執念を燃やす孫策。しかし、先手を打って曹操軍が宛、そして孫策の前線本部である汝南へと迫る。予断を許さぬ戦況に、勅命による講和も一つの案として浮上するが。第十一篇>sm6656520第十三篇>sm6888582第二回武将紹介>sm6791739マイリスト>mylist/10205471
9:50|2009年04月15日 11:17:17 投稿
孫策兵法 第二回武将紹介【鄭問之三國誌】
各勢力の状況および、第十二篇終了時点での武将紹介。
規模が拡大した分、全ての将に対して目を配ることも難しい状態に。
本篇第十二篇終了時点での勢力状況と孫呉陣営の所属武将58名のステータス紹介となります。劉表陣営より多数の武将を吸収している他に、動画中では取り上げていないのですが、新たに仕官した武将も結構な数に登っています。第十二篇>sm6754473第十三篇>sm6888582第一回の武将紹介>sm5728020マイリスト>mylist/10205471
10:43|2009年04月19日 12:08:34 投稿
孫策兵法 第十三篇【鄭問之三國誌】
203年、秋
三度、許昌へと攻め寄せる孫策。曹操の反撃、そして劉備の蠢動。天下の形勢が大きく揺らぐときがやってきた。
天高く馬肥ゆる決戦の秋。孫策は三度、許昌に攻め寄せる。そして、それを座して待つ曹操ではなく、反撃の痛打を与えるべく蠢動する。さらには劉備軍の動向により、戦況はさらに複雑なものへと変貌を遂げていく。第十二篇>sm6754473第十四篇>sm6952327第二回武将紹介>sm6791739マイリスト>mylist/10205471
14:48|2009年04月29日 10:23:38 投稿
孫策兵法 第十四篇【鄭問之三國誌】
203年、冬
許昌陥落。首府を失った曹操を、孫策、そして袁紹が追い詰める。果たして劉備に孫策と和睦する意志はあるのか。さらに、追い詰められた劉表に最後の時が迫ろうとしていた。
ようやく許昌を制圧した孫策だが、不測の攻城戦を行う羽目になった劉備、さらには南下を続ける袁紹の動きに神経を尖らせ、得たばかりの帝の利用を承認する。劉表を攻める孫権の元には、上庸攻略の増援として賈詡が派遣された。彼の知謀が生み出す計略は成功するのか。第十三篇>sm6888582第十五篇>sm7026673第二回武将紹介>sm6791739マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/
14:42|2009年05月05日 12:01:51 投稿
孫策兵法 第十五篇【鄭問之三國誌】
204年、春
劉表を滅ぼした孫策は、呉の近傍で蠢動する劉備の振る舞いに憤り、対決を決意した。同時に、南下を続ける袁紹との衝突を予期し、これまでの戦略から大幅な方針転換に踏み切ることに。
勅命による和平を反故にした劉備に憤る孫策は、これまでの方針を転換して劉備討伐を決意する。対劉備戦の先鋒として投入されるのは、劉表を滅ぼした精鋭・孫権軍団。だが、魏国・袁紹、韓国・曹操の二大勢力を同時に相手取って戦うのは愚策である。孫策が手を結ぶことを望む相手とは。第十四篇>sm6952327第十六篇>sm7105322第二回武将紹介>sm6791739マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/
13:28|2009年05月12日 19:59:59 投稿
孫策兵法 第十六篇【鄭問之三國誌】
204年、夏
曹操の侵攻を堅壁清野の計で撃退した孫策は、なおも辞を低くして不戦同盟の締結にこぎ着ける。主力部隊を揚中に集め、劉備の首府へと攻め込むが、その眼前には豪傑・張飛が立ちはだかる。
曹操との和平が危ぶまれる中、孫策は勅命による不戦同盟の締結を推し進める。一方、残り一都市にまで追い詰めた劉備に対しては手を緩めず攻勢を仕掛ける。しかし、関羽は既に亡く、趙雲もまた曹操に降った劉備陣営にあって、なおも一人意気軒昂な張飛が孫策軍の眼前に立ちはだかった!第十五篇>sm7026673第十七篇>sm7171603第二回武将紹介>sm6791739マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/
15:10|2009年05月21日 00:12:41 投稿
孫策兵法 第十七篇【鄭問之三國誌】
204年、秋
張飛の奮迅の働きによって撃退された孫策は、張飛抹殺および淮陰攻略のために一計を案ずる。国力では比較にならないほど劉備より強大な袁紹を片手間であしらいつつ発動する、一大作戦の全容とは。
劉備攻めで思わぬ苦杯を舐めた孫策は、最大の障害である張飛を討つべく、周瑜・魯粛らと策謀を巡らせる。孫策と曹操を敵に回す袁紹は、孫翊を追い散らして占拠した陳を起点とした侵攻策を目論む。寿春が放置されているのは、袁紹軍を誘い込んで退路を塞ぐ為の計略とも知らず……。第十六篇>sm7105322第十八篇>sm7303243第二回武将紹介>sm6791739マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/
15:45|2009年05月27日 19:26:32 投稿
孫策兵法 第十八篇【鄭問之三國誌】
204年、冬
劉備を滅ぼし、袁紹攻めへと専念する態勢を整える孫策。陸遜の報せにより、袁紹軍が最前線の都市に手つかずの予備兵を放置していることを知った朱治・孫翊らは勇躍、兵を進めることに。
張飛を討ち、劉備を降した孫策は呉に戻り、後回しとなっていた人事などの内政に追われる。無論、戦いの日々が終わりを告げたわけではない。無謀な突出によって袁紹軍の主力部隊が前線に孤立した隙をつき、孫策軍の北進が本格化しようとしていた。第十七篇>sm7171603第十九篇>sm7372953第二回武将紹介>sm6791739マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/
11:26|2009年06月10日 19:03:34 投稿
孫策兵法 第十九篇【鄭問之三國誌】
205年、春~205年、冬
袁紹攻めはさしたる抵抗もないまま進み、孫策は袁紹の首府・南皮を望む楽安にまで兵を進める。南皮を陥落せしめるべく十万を超える大軍を集結させた孫策に、賈詡が奇襲攻撃の献策を行うが。
孫策は袁紹攻めを開始してから二年足らずで首府・南皮に迫る。しかし、曹操の伸長は予測を超えたものであった。曹操と不戦の盟を取り交わした己の決断に若干の後悔を漂わせつつも、孫策は南皮攻めに戦力を集中する。そこに、賈詡から一つの献策が……。第十八篇>sm7303243第二十篇>sm7437059第二回武将紹介>sm6791739マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/
10:37|2009年06月17日 23:18:36 投稿
孫策兵法 第二十篇【鄭問之三國誌】
206年、春
平原への奇襲は成功したものの、南皮攻めが中止されたため、奇襲部隊の賀斉らは敵中に取り残された。だがこの布石により、袁紹領の済南もまた兵站を断たれることに。再度の南皮攻めに際しては、陸遜による果敢な奇襲案の提示が。
袁紹軍の思わぬ逆襲により南皮攻めが中止を余儀なくされ、先んじて平原を陥れていた賀斉らは敵中に孤立する事態に。再度の出陣に向けて意気上がる孫策に、陸遜はさらなる奇襲計画を進言する。先の奇襲に反対した呂蒙の見立てや如何に。第十九篇>sm7372953第二十一篇>sm7507630第二回武将紹介>sm6791739マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/
16:30|2009年06月24日 18:55:10 投稿
孫策兵法 第二十一篇【鄭問之三國誌】
206年、夏~206年、秋
孫策軍は再編を計る一方、呂岱を大将とした一隊が章武を計略によって鮮やかに奪う。しかし、不戦の盟を交わした曹操軍の怒濤の進撃が、孫策軍の行く手を遮ることに。
猛攻の果てに南皮を陥落せしめた孫策軍は、呂岱を大将としてさらなる北進を計る。その行く手に立ちはだかるのは袁紹軍ではなく、驚異的な速度で進撃する曹操軍だった。戦略の練り直しを迫られる孫策が下した新たな方策とは。第二十篇>sm7437059第二十二篇>sm7577213第二回武将紹介>sm6791739マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/
10:28|2009年07月01日 23:23:25 投稿
孫策兵法 第二十二篇【鄭問之三國誌】
206年、冬~207年、春
袁紹攻めは中断され、大きな攻略先を失った孫策は戦力の増強に注力する。
一方、馬騰を滅ぼした劉璋が、新たな敵を求めて動き始める。
袁紹攻めの中断を余儀なくされた孫策は、敵の攻撃を受けない機会を活かして国力の増強を目論む。一方、遂に劉璋と馬騰との戦いに決着が。それは、少なからず孫策の戦略に影響を及ぼす出来事だった。第二十一篇>sm7507630第二十三篇>sm7644083第二回武将紹介>sm6791739マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/
12:48|2009年07月08日 23:14:24 投稿
孫策兵法 第二十三篇【鄭問之三國誌】
207年、夏~207年、秋
劉璋の攻撃を凌いだ孫策による反撃開始。
孫権率いる別働隊が南北の連絡を絶つ一方、孫策の直率軍は一直線に劉璋の首府・成都を目指す。
劉璋の攻撃を受けた孫策は、ただちに逆襲の戦策を練る。曹操による袁紹攻めの進捗具合を伺いながら、早急に決着を付けるべく孫呉軍団が動き出す。第二十二篇>sm7577213第二十四篇>sm7781530第三回武将紹介>sm7763471(7月28日追記)マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/
15:18|2009年07月15日 22:40:37 投稿
孫策兵法 第三回武将紹介【鄭問之三國誌】
各勢力の状況および、第二十三篇終了時点での武将紹介。
もはやほとんど出番のない武将のほうが多くなっている感があります。
本篇第十二篇終了時点での勢力状況と孫呉陣営の所属武将97名のステータス紹介となります。ほとんど登場していない武将も全員紹介する冗長な動画となっております。ちなみに、マニュアル等には詳しく書かれていない「段が増えれば能力値が上がる」件ですが、チャート図を見る限り、「段の数が各能力値を上回っている場合は、段=能力値にかさ上げされる」ということのようです。つまり、どんな凡将でも段の最高値である15まで増やせば、全項目15以上まで成長するのではないかと。認識等が異なっている場合は、その旨コメントいただければ幸いです。up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/第二十三篇>sm7644083マイリスト>mylist/10205471
15:48|2009年07月28日 00:01:10 投稿
孫策兵法 第二十四篇【鄭問之三國誌】
207年・冬~208年・春
袁紹対曹操の攻防は一進一退。孫策による劉璋攻めの焦点は剣閣の関の攻略となる。
諸葛亮孔明登場。しかし彼の思惑は孫策の元で手柄を立てることではなく。
袁紹と曹操の攻防を横目に、孫策は南北に分断した劉璋領を浸食する。孫権の主力部隊の前に立ちはだかるのは天険の要害・剣閣。孫策は、新たに配下となった軍師の力量を計るべく、早速この難関の攻略を試させるのだが……第二十三篇>sm7644083第二十五篇>sm7850020第三回武将紹介>sm7763471マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/
12:47|2009年07月29日 22:40:12 投稿
孫策兵法 第二十五篇【鄭問之三國誌】
208年・夏
孫策は、賈詡の献策にしたがって曹操領に楔を打ち込むべく計略を実施に移す。
一方で、袁紹は曹操の猛攻に残り一都市にまで追い詰められる。
孫策は劉璋領への本格攻勢に全力を挙げると見せかける裏で、賈詡の献策による曹操領分断の大計略を実行に移す。一方で、いよいよ袁紹は追い詰められることに……第二十四篇>sm7781530第二十六篇>sm7917614第三回武将紹介>sm7763471マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/お知らせ当シリーズはあと二回(全二十七篇)をもちまして、終了させていただく予定となりました。いましばらくおつきあいいただければ幸いです。
9:46|2009年08月05日 22:46:28 投稿
孫策兵法 第二十六篇【鄭問之三國誌】
208年・秋
孫策は、劉璋の飛び地の攻略に実戦経験を積ませるべく諸葛亮師を送り込む。
追い詰められた袁紹は、反撃もままならぬまま最後の時を迎えることに。
一気呵成とはいかない孫策の劉璋攻めとは裏腹に、曹操は一挙に袁紹を僻地へと追い込む。曹操との対決を間近に控え、孫策も戦力の配置転換を進め、その時を待つ。第二十五篇>sm7850020第二十七篇>sm7982705第三回武将紹介>sm7763471マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/お知らせ当シリーズは次回(全二十七篇)をもちまして、終了させていただく予定となっております。いましばらくおつきあいいただければ幸いです。
8:30|2009年08月12日 21:27:39 投稿
孫策兵法 第二十七篇(最終回)【鄭問之三國誌】
208年・冬
賈詡の計略によって安邑の中立化に成功し、曹操領は南北に分断された。
安邑を奪取して分断を確実なものにしたい孫策、その奪還に動く曹操。
両雄は再び激突し、戦乱の時代は大きな転換点を迎える事となった……。
(※最終回です)
袁紹を滅ぼした曹操は、当然ながら孫策との対決姿勢を露わにする。安邑を押さえて曹操領を南北に分断する計略の可否が、両雄の対決の行く末を占う重大事になる。兵数では上回りながら、曹操と劉璋、二つの勢力を敵に回す孫策は勝ち残る事が出来るのか。本シリーズは今回で終了となります。長きに渡りましてのご視聴、本当にありがとうございました。オーシさんに、完結記念に鄭問之三國誌のゲーム紹介動画を作っていただきました>sm7976564この場をお借りして御礼申しあげます。皆様ぜひご覧下さいませ。第二十六篇>sm7917614第三回武将紹介>sm7763471マイリスト>mylist/10205471up主ブログ>http://blog.livedoor.jp/itofuyu_satoru/
12:30|2009年08月19日 22:46:59 投稿
孫策兵法完結記念 鄭問之三國誌紹介動画
オーシさんに作っていただいた鄭問之三國誌の紹介動画です。
糸冬Pが公開されてる孫策兵法の元のゲーム鄭問之三國誌を紹介した動画ですガチでやってても詰むことが結構あるかなり高い難易度を誇る三国志のゲームですストーリーなど気になる方は糸冬Pの本編を是非見てください!孫策兵法全27編マイリスト mylist/10205471新しく架空戦記作ってみました 河北の巨星マイリストmylist/14342597
5:51|2009年08月19日 05:21:26 投稿