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リンリンランランソーセージ#3【星のカービィ夢の泉の物語】
皆様こんにちは!!!
今回は星のカービィシリーズの夢の泉の物語をプレイしていきます。
走れ正直者いい歌ですよね!!
方怡珍『ウォー・アイ・ニー(我愛你)』北京語版…方怡珍「我愛你」
1970年代前半、台湾からやって来た欧陽菲菲が『雨の御堂筋』でブレイクすると、台湾や香港から続々と中華系アイドルが日本デビューしましたが、現在でも多くの日本人の記憶に残ってるのは、テレサ・テンとアグネス・チャン、それからリンリンランランくらい…。方怡珍(ファン・イーツン)も「忘れ去られた中華系アイドル」の1人で、73年に「ウォー・アイ・ニー(我愛你)」で日本デビュー。美人との評判もあったようですが、1年足らずで撤退した模様。その彼女が台湾へ帰国した74年に歌ったのが、北京語版の「我愛你」。
サイ・ミーミー『年頃なのね』北京語版1…甄妮「求你再愛我」
1971年、欧陽菲菲の『雨の御堂筋』が大ヒットすると、芸能界はチャイニーズ・ブームとなり、台湾や香港から女性歌手が次々と来日しました。テレサ・テン、アグネス・チャン、リンリンランランは名を残しましたが、他にもファン・イーツン、ヤン・シスターズ、優雅(尤雅)、ラン・イーリー、秀蘭、シャーリー・シャウ、ジェニー・フェイ、キャンディー・レイ、マーガレット・ポー、チェルシア・チャン、パイピンピン…等々。サイ・ミーミー(蔡咪咪)もその1人で73年に『年頃なのね』でデビュー。原曲はヒットしなかったけど、その北京語カバー「求你再愛我」や「你說走就走」は当時、台湾(sm25454791)や香港(sm25454742)で多くの歌手が歌い大ヒット。甄妮(ジェニー・ツェン)はマカオ出身ですが、70年代は台湾で活躍し、80年代以降は拠点を香港に移した歌手。
リンリンランラン『恋のインディアン人形』北京語版…陳傑[一隻小綿羊]
インディアンかと思っていたら、実は香港人(白人とのハーフ)だったリンリンランラン。その代表曲『恋のインディアン人形』は1974年ですが、翌75年にシンガポールで出た北京語カバーが「一隻小綿羊」。香港でも「泵泵蘇之恋(sm23268084)」の名で広東語カバーされてます。
Happy-Go-Unlucky!が全く気付かないうちにリンリンランランソーセージ
実は初めて龍くんのソロ聴いたときからずっとやりたかったネタです。拙い編集なので繋ぎが粗くてすみません。(走れ正直者はピッチ変更してあります。)/ところで最近のちびっこ達はリンリンランランソーセージ知らないって本当ですか。…もしかして歳がバレるネタ?/オリピ2絶賛発売中!ちゃんとした(笑)Happy-Go-Unlucky!も収録されております!/追記:ちびっこどころかJK世代もこの曲知らないとのことで驚きました!!じゃあ今の子達は永沢家の火事とか知らないのかな…。
桜田淳子『知ってるくせに』広東語版…リンリンランラン[誰明白我心事]
てっきりインディアンかと思っていたら、実は香港人(中国人と白人のハーフ)だったリンリンランラン。『恋のインディアン人形』で日本でデビューする前から、香港では芸能活動をしていて、その時の芸名は樂家姊妹(ロッカー・シズターズ)。日本で売れなくなって香港へ戻った後、広東語や北京語で歌い続けていましたが、その中の一つが78年に歌った『知ってるくせに』の広東語カバー「誰明白我心事」。桜田淳子では他に『十七の夏(sm24701121)』や『ゆれてる私(sm25293519)』『ひとり歩き(sm23486109)』などもカバーしてました。ちなみに『恋のインディアン人形』は別の人が広東語カバー(sm23268084)して、リンリンランランは広東語では歌わずじまい。
シャーリー・シャウ『潮路』北京語版…蕭孋珠「真情」
1971年、欧陽菲菲の『雨の御堂筋』が大ヒットすると、芸能界はチャイニーズ・ブームとなり、台湾や香港から女性歌手が次々と来日。テレサ・テン、アグネス・チャン、リンリンランランは名を残しましたが、他にもファン・イーツン、ヤン・シスターズ、優雅(尤雅)、ラン・イーリー、秀蘭、サイ・ミーミー、ジェニー・フェイ、キャンディー・レイ、マーガレット・ポー、チェルシア・チャン、パイピンピン…等々。台湾から来たシャーリー・シャウ(蕭孋珠)もその1人で、74年に『潮路』でデビュー。『潮路』はヒットしなかったものの、台湾で歌った北京語版「真情」はかなりヒットした模様。
桜田淳子『花物語』北京語版…蕭孋珠(シャーリー・シャウ)「憧憬」
欧陽菲菲の『雨の御堂筋』が大ヒットして以来、テレサ・テンやアグネス・チャン、リンリンランランなど台湾や香港から中華系女性歌手がドッと日本へ進出して来た1970年代の前半。その1人が74年に台湾からやって来たシャーリー・シャウこと蕭孋珠。『潮路』『さよなら初恋』のシングル2枚を出して撤退したようですが、台湾では『潮路』の北京語版「真情」がヒットして人気歌手に。日本のカバー曲もあれこれ歌って、76年には桜田淳子の『花物語』や『天使のくちびる(sm29131036)』の北京語版を歌ってました。顔が丸いので台湾では蕃茄姑娘(トマト娘)とあだ名されたそうですが、当時の桜田淳子にソックリ??
キャンディ・シュー『異国の人』北京語版2…黃麗卿「為什麼忘不了」
欧陽菲菲が71年に『雨の御堂筋』を大ヒットさせてから、テレサ・テンやアグネス・チャン、リンリンランランなど、台湾や香港の歌手が相次いで日本進出を図りましたが、それより先70年に日本へ進出していたのが台湾のキャンディ・シューこと金燕。なぜ「シュー」かというと本名が許金燕だから。『異国の人』は2枚目のシングルで、冒頭に♪忘不了!忘不了!(忘れられないの)♪と中国語のセリフが入るのが特色。その後台湾へ戻って83年頃引退しアメリカへ移住。息子の安志傑(アンディ・オン)は香港のアクション俳優に。『異国の人』の北京語カバーは金燕や香港の徐小鳳(ポーラ・チョイ)が歌った「異国的人(sm28544480)」と、現在もマレーシアやシンガポールでカバーされ続けている「為什麼忘不了(sm28545147)」があります。
キャンディ・シュー『異国の人』北京語版1…徐小鳳「異国之人」
欧陽菲菲が71年に『雨の御堂筋』を大ヒットさせてから、テレサ・テンやアグネス・チャン、リンリンランランなど、台湾や香港の歌手が相次いで日本進出を図りましたが、それより先70年に日本へ進出していたのが台湾のキャンディ・シューこと金燕。なぜ「シュー」かというと本名が許金燕だから。『異国の人』は2枚目のシングルで、冒頭に♪忘不了!忘不了!(忘れられないの)♪と中国語のセリフが入るのが特色。その後台湾へ戻って83年頃引退しアメリカへ移住。息子の安志傑(アンディ・オン)は香港のアクション俳優に。『異国の人』の北京語カバーは金燕や香港の徐小鳳(ポーラ・チョイ)が歌った「異国的人(sm28544480)」と、現在もマレーシアやシンガポールでカバーされ続けている「為什麼忘不了(sm28545147)」があります。
西城秀樹『遙かなる恋人へ』広東語版3…斑斑「最後一吻」
1987年。斑斑(パンパン)って変な芸名だと思いますが、香港で1970年代から90年代にかけて活躍したテレビタレント。姉の森森(シルビア・ライ)と組んで、リンリンランランの『恋のインディアン人形』の広東語カバー(sm23268084)を歌っていたこともありました。
ピンク・レディー『S.O.S』広東語版2…仙杜拉「日夜陪伴你」
仙杜拉(サンドラ・ラング)1980年。『S.O.S』の広東語カバーは78年に樂家姊妹(ロッカー・シスターズ=日本での芸名は「リンリンランラン」)が、中秋の夜にはみんなでお月見して、夜通し歌って踊って楽しく笑おうという内容の「中秋明月照(sm22888038)」を出してます。
桜田淳子『ひとり歩き』北京語版…藍桜「相逢在雨中」
『ひとり歩き』の広東語版(sm23486109)は、香港で楽家姉妹(=リンリンランラン)が歌ってました。
岩崎宏美『ロマンス』広東語版2…森森(シルビア・ライ)「今天特别好」
森森とは変な芸名ですが、妹の斑斑と組んで1970年代にテレビで活躍したタレント。レコードも出していて、リンリンランランの『恋のインディアン人形』広東語カバー(sm23268084)なんかを歌ってました。で、79年に歌ったのが岩崎宏美の『ロマンス』のカバー「今天特别好」ですが、彼氏と田舎へピクニックに出かけて、農村の光景はステキ!お百姓さんに「しっかり働けよ~」と言われたみたいな感じがして、私も汗を流して頑張らなきゃ!と思いを新たにした…みたいな歌詞。『ロマンス』は同じ年に別バージョンの広東語版「莫顧慮(sm24679199)」も出てます。
ペドロ&カプリシャス『別れの朝』北京語版2…方怡珍「請你多待一会」
『別れの朝』は1971年にヒットしたペドロ&カプリシャスのデビュー曲。もともとはオーストリアの歌だそうですが…。76年になって台湾で甄妮(ジェニー・ツェン)の「愛的曙光(sm26190072)」と、方怡珍(ファン・イーツン)の「請你多待一会(sm26190117)」の2つの北京語カバーが出現しています。ファン・イーツンは73年に「ウォー・アイ・ニー(我愛你)」で日本デビュー。美人との評判もあったようですが、1年足らずで撤退した模様。欧陽菲菲やテレサ・テン、アグネス・チャン、リンリンランランのようにはいかなかった「忘れ去られた中華系アイドル」の1人。
方怡珍『あたたかい涙』北京語版1…方怡珍「希望你点点頭」
1970年代前半、台湾からやって来た欧陽菲菲が『雨の御堂筋』でブレイクすると、台湾や香港から続々と中華系アイドルが日本デビューしましたが、現在でも多くの日本人の記憶に残ってるのは、テレサ・テンとアグネス・チャン、それからリンリンランランくらい…。方怡珍(ファン・イーツン)も「忘れ去られた中華系アイドル」の1人で、73年に『ウォー・アイ・ニー(我愛你)』で日本デビュー。美人との評判もあったようですが、1年足らずで撤退した模様。で、台湾に帰国した彼女が歌ったのが、日本で歌った『あたたかい涙』のカバー「希望你點點頭」。タイトルを訳せば、あなたにうなずいて欲しいですが、テレサ・テンも別バージョンのカバー(sm25596656)を出してました。
サイ・ミーミー『年頃なのね』北京語版3…鳳飛飛「你說走就走」
1971年、欧陽菲菲の『雨の御堂筋』が大ヒットすると、芸能界はチャイニーズ・ブームとなり、台湾や香港から女性歌手が次々と来日。テレサ・テン、アグネス・チャン、リンリンランランは名を残しましたが、他にもファン・イーツン、ヤン・シスターズ、優雅(尤雅)、ラン・イーリー、秀蘭、シャーリー・シャウ、ジェニー・フェイ、キャンディー・レイ、マーガレット・ポー、チェルシア・チャン、パイピンピン…等々。サイ・ミーミー(蔡咪咪)もその1人で73年に『年頃なのね』でデビュー。原曲はヒットしなかったけど、北京語版の「你說走就走」は中華圏で多くの歌手が歌い大ヒット。ところが香港の徐小鳳(ポーラ・チョイ)が歌ったバージョン(sm25454742)と、台湾の鳳飛飛が歌ったバージョンは、歌詞が全然違ってました。
サイ・ミーミー『年頃なのね』北京語版2…徐小鳳「你說走就走」
1971年、欧陽菲菲の『雨の御堂筋』が大ヒットすると、芸能界はチャイニーズ・ブームとなり、台湾や香港から女性歌手が次々と来日デビュー。テレサ・テン、アグネス・チャン、リンリンランランは名を残しましたが、サイ・ミーミー(蔡咪咪)は忘れ去られた1人で、73年に『年頃なのね』で日本デビュー。原曲はヒットしなかったけど、その北京語カバー「你說走就走」は当時、中華圏で多くの歌手が歌い大ヒット。ところがなぜか香港の徐小鳳(ポーラ・チョイ)が歌ったバージョンと、台湾の鳳飛飛が歌ったバージョン(sm25454791)は、タイトルは同じでも歌詞が全然違ってました。香港版は「求你再愛我(sm33655692)」というタイトルで、現在でもシンガポールやマレーシアではカバーされ続けている模様。
桜田淳子『ゆれてる私』広東語版1…リンリンランラン「春光無限好」
てっきりインディアンかと思ったら、実は香港人(アメリカ人と中国人のハーフ)だったリンリンランラン。香港では樂家姊妹(ロッカー・シスターズ)という名前でデビューしていましたが、来日にあたって当時ブームだったパンダ(カンカンランラン)にあやかって、改めて付けられた芸名がリンリンランラン。 日本で売れなくなり、香港へ戻った後もしばらく歌手を続けて、広東語や北京語のアルバムを出していましたが、日本のカバー曲が多く、同じ事務所だった桜田淳子の歌はいくつかカバーしていた模様。
【ハイキュー】○○メーカーで遊んでみた2
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浅田美代子『赤い風船』北京語版3…方怡珍「草原年年緑」
1970年代前半、台湾からやって来た欧陽菲菲が『雨の御堂筋』でブレイクすると、台湾や香港から続々と中華系アイドルが日本デビューしましたが、現在でも多くの日本人の記憶に残ってるのは、テレサ・テンとアグネス・チャン、それからリンリンランランくらい…。方怡珍(ファン・イーツン)も「忘れ去られた中華系アイドル」の1人で、73年に「ウォー・アイ・ニー(我愛你)」で日本デビュー。美人との評判もあったようですが、1年足らずで撤退した模様。その彼女が台湾へ帰国した74年に歌ったのが、当時「日本一歌が下手なアイドル歌手」と言われた浅田美代子の代表作『赤い風船』のカバー。
八代亜紀『なみだ恋』北京語版3…秀蘭「喜在心田」
欧陽菲菲やテレサ・テン、アグネス・チャン、リンリンランランらが次々と日本へやって来て中華タレントブームを巻き起こした1970年代前半。秀蘭も73年に来日して「波止場から」でデビュー。多くの中華タレントが1~2年で日本での活動を諦める中、秀蘭は87年に最後のシングルを出すまで、日本では細く長く活動した人でした。
優雅『処女航海』北京語版…尤雅「初航」
優雅=尤雅です。つまり優雅は日本での芸名で、尤雅は台湾での芸名。本名は林麗鴻。1972年に欧陽菲菲が『雨の御堂筋』でブレイクすると、台湾や香港から次々と中華系アイドルがやってきましたが、今も記憶に残っているのは、テレサ・テンとアグネス・チャン、それにリンリンランランくらい。尤雅は台湾でアイドル歌手をしていましたが、74年に優雅(ゆうや)として来日し、デビュー曲が『処女航海』。1年足らずで台湾へ戻り、その北京語カバー「初航」などを歌っていましたが、結婚して引退。その後離婚して復帰。日本ではもう絶対に聴くことのない『処女航海』を台湾のテレビ番組で披露しているのがなんとも…。それにしても、元アイドルだけあって声も顔もカワイイですね。この時すでに60歳近いんですけど…w
桜田淳子『十七の夏』広東語版…リンリンランラン「熱舞狂歌」
てっきりインディアンかと思っていたら、実は香港人(中国人と白人のハーフ)だったリンリンランラン。『恋のインディアン人形』で日本でデビューする前から、香港では芸能活動をしていて、その時の芸名は樂家姊妹(ロッカー・シズターズ)。日本で売れなくなって香港へ戻った後、広東語や北京語で歌い続けていましたが、その中の一つが78年に歌った『十七の夏』の広東語カバー「熱舞狂歌」。タイトルを訳せば、「踊って歌ってフィーバー」。そういえば、『サタデー・ナイト・フィーバー』が流行ったのもこの頃で、香港での映画タイトルは「週末狂熱」でした。ちなみに『恋のインディアン人形』は別の人が広東語カバー(sm23268084)して、リンリンランランは広東語では歌わずじまい。
ピンク・レディー『渚のシンドバッド』北京語版…劉文正「你」
日本では旋風を巻き起こしたのに、あまりカバーソングが出なかったピンクレディ。香港で出た広東語カバーでは、『ウォンテッド』がラブレターの歌(sm23267936)、『SOS』がリンリンランランの歌うお月見の歌(sm22888038)に化けてましたが、台湾で出た北京語カバーはノリも良く、まだマトモ。
ジュディ・オング『恋ってどんなもの』台湾語版…方瑞娥「媽媽教一下呢」
1970年代は欧陽菲菲やテレサ・テン、アグネス・チャン、リンリンランランその他もろもろ台湾や香港からの中華系歌手が日本デビューしましたが、その先駆けとなったのがジュディ・オング。もっとも彼女は台湾人と言えど、2歳の時に両親と来日した日本育ちですが。。。そのジュディ・オングのデビュー曲が1966年の『星と恋したい』で、『恋ってどんなもの』はそのB面。♪チュッチュッチュ~、チュッチュッチュ~♪というあられもない部分を含めて、台湾語版の歌詞はジュディのオリジナルをほとんど直訳したものです。
桜田淳子『ひとり歩き』広東語版…リンリンランラン「童年時光」
インディアンかと思いきや、香港人だったリンリンランラン。もともと来日前に香港で楽家姉妹(ロッカー・シスターズ)という名のタレントで、テレビ番組で歌ってたりしていたので、日本で売れなくなって香港へ戻った後は、再び香港で歌手に戻りました。ピンクレディーの広東語カバー(sm22888038)を歌ったりもしましたが、多くカバーしていたのが桜田淳子。リンリンランランとは事務所(サンミュージック)が同じと言うつながりだったからでしょうか?
千賀かほる『真夜中のギター』北京語版1…森森&斑斑「午夜結他」
千賀かほると言っても、ほとんど一発屋で終わってしまった歌手ですが、♪ギタ~を弾いている~♪という歌は1969年に大ヒットしました。で、翌70年に台湾で当時14歳の陳淑樺が北京語でカバーしたのに続き、72年までに台湾や香港、シンガポールなどで数多くの歌手がカバー。タイトルは「午夜結他」「午夜的結他」「午夜吉他」といろいろあれど、歌詞はまったく同じ。最近では香港のビヨンドも歌ってました。この映像の森森&斑斑は70年代に香港で人気があった姉妹で、当時はリンリンランランのカバー(sm23268084)も歌ったりしてましたが、最近リバイバルコンサートで久々に「午夜結他」を歌った模様。