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広沢山遍照寺令和5年2月護摩供法要
毎月28日に行っておりますお不動さんの護摩供法要を配信の様子です。
副住職が導師、住職が職衆を勤めさせて頂いております。
「高祖大師行状図」の話をしました。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第5回(講師:師茂樹)[2020年5月20日]
※ この講義のレジュメと『成唯識論』の現代語試訳(第4回と同じもの)を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
死と転生
wikipediaより引用
死と転生は、1991年3月から公演が始まった、仏教における死と転生の中間状態(バルド)のプロセスをダンスとオウムの音楽で表現する音楽劇。主演は後に松本サリン事件に関与することとなる富田隆。海外でも公演を行い、特にロシアでは好評で超満員となった
【神道シリーズ・シーズン3】第12回・東京(浅草寺・増上寺・寛永寺・宮中)における廃仏希釈
京都で長い伝統を持つ送り火や節分節句、門松、七夕、七五三などが禁止され、奈良では多くの名刹巨刹の寺院が廃され、住民と政府との間で強い摩擦が生じていた頃、東京と改名した江戸では、神仏習合して長い歴史を持ち、徳川から深い敬愛を受けていた増上寺、寛永寺、浅草寺などが神仏分離の名のもとに境内にあった権現社などが次々と切り離され、神社化された。
しかし、地元住民の深い信仰で支えられていた浅草寺では新政府の思惑通りには進まず、7世紀に隅田川で聖観音を見つけた漁師の檜前浜成・竹成兄弟とそれを自宅を寺院に変えて祀った土師中知の三名を三社権現という神として祀る浅草寺の由緒社伝は室町時代頃に作られ、新政府は浅草寺境内にあった三社権現社を浅草神社としたが、権現号自体は取り払われたものの、今でもこの三名を神として祀っており、さらに由緒もありのままが書かれている。
徳川の菩提寺であった増上寺と祈願寺であった寛永寺も廃仏毀釈の嵐に邁偶することとなる。
増上寺は浄土宗の寺院であったが、元は真言宗の寺院であった為、熊野権現社、車折明神社など11の社を抱えていたが、それらの社の旧社殿はすべて破却され、幸稲荷神社とされた幸稲荷社にすべての権現・明神が大神として合祀された。
天台宗の寺院・寛永寺は、山主に代々皇族出身の法親王が就き、輪王寺号を継承し、天台座主と日光山門主も兼帯し、形式上将軍と対等の地位を持っていた。
しかし、その寛永寺も、慶応4年1868年10月に新政府軍と旧幕府側の彰義隊が上野で戦闘を始めた時、新政府軍は恭順した増上寺を基地とし、寛永寺に立てこもる彰義隊を攻撃し、僅か1日で勝利し、戦禍にまみえて寺院は悉く焼け落ち、彰義隊の死体の山と化してしまった。
その後、新政府は寛永寺の境内の不忍池にあった弁天堂に鳥居があったため、堂舎を取り壊そうとしたが、僧侶や信徒たちによる必死の抵抗により、鳥居のみを取り壊すことにより仏教寺院として維持していくことを可能とした。
東京遷都に伴い、江戸城を新皇居とした明治政府は、京都御所から歴代天皇の位牌や念持仏を祀る御黒戸を撤去し、それまで中国式であった皇室儀礼をすべて明治に作られた神式に変え、皇室祭祀の中心であった仏教祭祀や皇位継承儀式をすべて廃止し、新しい神道式に変えた。
こうした一連の、新政府による伝統否定政策は、逆にこんにちで言う「神道」なるものが明治に作られ、明治より始まったのだという事実を証明することになってしまったのである。
広沢山遍照寺令和5年6月護摩供法要
毎月28日に行っておりますお不動さんの護摩供法要を配信の様子です。
副住職が導師、住職が職衆を勤めさせて頂いております。
「高祖大師行状図」の話をしました。(入唐着岸~五筆和尚)
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第39回(講師:師茂樹)[2023年4月12日]
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、末那識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
※ 現在、第4巻を読んでおります。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
※ レジュメ( https://bit.ly/3KvY8LH )、現代語訳 ( https://bit.ly/3HuaWm1 )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、179ページ「第九論証:滅定証」から読んでいきます。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第13回(講師:師茂樹)[2021年1月13日]
※ レジュメ( http://ow.ly/C19z30rsqF7 )と現代語訳( http://ow.ly/pw6f30rhrdD )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
※ 今回は、現代語訳の62ページぐらいから読み進めています。
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
【2022年3月13日大愚道場(録画)】桜プロジェクト/大愚和尚の一問即答/自らを癒す瞑想法
【2022年3月13日大愚道場(録画)】桜プロジェクト/大愚和尚の一問即答/自らを癒す瞑想法
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第22回(講師:師茂樹)[2021年10月13日]
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
※ レジュメ( http://ow.ly/ehWj30rWSMI )と現代語訳( http://ow.ly/XJTv30rNN7N )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳の113ページから読んでいます。
※ 今回で第2巻を読み終わりました!
広沢山遍照寺令和3年8月護摩供法要
毎月28日に行っておりますお不動さんの護摩供法要を配信の様子です。
住職が導師、副住職が職衆を勤めさせて頂いております。
法要後に副住職が延命地蔵経について解説しております。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第27回(講師:師茂樹)[2022年3月9日]
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
※ 今回も第3巻を読み進めています。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
※ レジュメ( http://ow.ly/ijYf30scUN8 )と現代語訳( http://ow.ly/VtQe30s70km )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳の135ページ「上座部による擁護」から読んでいます。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第23回(講師:師茂樹)[2021年11月10日]
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
※ 今回から第3巻を読み始めています。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
※ レジュメ( http://ow.ly/9CYI30s01mN )と現代語訳( http://ow.ly/mjfz30s01mO )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳の118ページから読んでいます。
【2023年5月15日大人の寺子屋(録画)】大人のコミュニケーション法!
【2023年5月15日大人の寺子屋(録画)】大人のコミュニケーション法!
【2024年4月11日大人の寺子屋(録画)】前半:一問即答/後半:初対面から信頼関係を築く「自分の想いの伝え方」
【2024年4月11日大人の寺子屋(録画)】前半:一問即答/後半:初対面から信頼関係を築く「自分の想いの伝え方」
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第44回(講師:師茂樹)[2023年9月13日]
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、末那識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
※ 現在、第4巻を読んでおります。今回は識の「よりどころ」についての解説がメインです。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
※ レジュメ( http://bit.ly/485gj5Q )と現代語訳( https://bit.ly/3ru8xBD )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第19回(講師:師茂樹)[2021年7月14日]
※ レジュメ( http://ow.ly/Xw5F30rNN7F )と現代語訳①(〜103ページ)( http://ow.ly/enXn30rA57W
)、現代語訳②(104ページ〜)( http://ow.ly/XJTv30rNN7N )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳①の99ページから読んでいます。
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第21回(講師:亀山隆彦)[2022年3月23日]
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
※ この講義の配布資料( http://ow.ly/ax1u30sfex2 )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
【2023年7月12日大人の寺子屋(録画)】一問即答/経営マンダラより「誓願」の話
【2023年7月12日大人の寺子屋(録画)】一問即答/経営マンダラより「誓願」の話
広沢山遍照寺令和3年1月護摩供法要
毎月28日に行っておりますお不動さんの護摩供法要を配信の様子です。
副住職が導師、住職が職衆を勤めさせて頂いております。
年の最初の初護摩になります。
宮崎哲弥×村山正司「宮崎哲弥著 『仏教論争──「縁起」から本質を問う』(ちくま新書)刊行記念イベント」【2018/5/22収録】 @MuraShoji
【イベント概要】「縁起」。日常会話でもよく使われる、なじみ深い言葉だが、仏教2500年の歴史の始点に位置する重要概念でもある。しかし「これが縁起だ」という定説は仏教全体としては存在しない。縁起をめぐる論争において、論者達が陥った罠とは?宮崎哲弥の新著『仏教論争』(ちくま新書)は、和辻哲郎、三枝充悳といった知識人・仏教学者たちの論争を取り上げ、仏教のみならず日本近代思想史をも射程に収めた渾身の力作である。この新著をもとに、いまあらためて「縁起」とはなにか、そして「仏教」とはなにかを、論壇記者四半世紀の村山正司朝日新聞編集委員とともに語る。▼▼▼ 宮崎哲弥さんからメッセージをいただきました!! ▼▼▼新著『仏教論争』では、いままで忘れられがちだった、仏教をめぐる知識人たちの論争を俎上に載せています。その論争が仏教という普遍宗教を主題としながら、各々の観点に時代相が否応なく反映してしまう相状を検証し、いまも決して解消したとはいい難い、外来思想や伝統思想の解釈と導入の困難性を浮かび上がらせたつもりです。和辻哲郎、宇井伯寿、木村泰賢などヨーロッパの先進思潮に精通した論者たちが、それを仏教の解釈、再解釈に生かそうとしたとき、いかに創見を得、いかに誤ったかを確認することは、仏教者、仏教学者はもちろん、日本近代思想史や現代思想に関心を持つ人々にも何程か示唆するところがあると思います。対話の相手を務めてくれるのは朝日新聞編集委員の村山正司さん。知る人ぞ知る、この20年の文化・思想トレンドの仕掛け人です。(宮崎哲弥)
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第26回(講師:師茂樹)[2022年2月9日]
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
※ 今回も第3巻を読み進めています。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
※ レジュメ( http://ow.ly/l5Rl30sa6jG )と現代語訳( http://ow.ly/VtQe30s70km )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳の131ページから読んでいます。
【2022年1月23日大愚道場(録画)】仏教とは何か?仏教を人生にどう活かすべきか?
【2022年1月23日大愚道場(録画)】仏教とは何か?仏教を人生にどう活かすべきか?
広沢山遍照寺令和5年7月護摩供法要
毎月28日に行っておりますお不動さんの護摩供法要を配信の様子です。
副住職が導師、住職が職衆を勤めさせて頂いております。
「高祖大師行状図」の話をしました。(渡天見仏~守敏遣護法)
広沢山遍照寺令和5年5月護摩供法要
毎月28日に行っておりますお不動さんの護摩供法要を配信の様子です。
副住職が導師、住職が職衆を勤めさせて頂いております。
「高祖大師行状図」の話をしました。(宗論・仁王経)
【完全版】年の初めにお坊さんの話を聞いて正義と疫病とお掃除の話をしよう|松本紹圭
お寺の朝掃除を一般開放する「テンプルモーニング」やPodcastでのラジオ配信など、
ユニークな取り組みで注目されている現代仏教僧の松本紹圭さん。
日々の習慣からウェルビーイングを整える活動など、
これからの宗教は社会の中でどんな役割を果たしてくのか。
2021年の一年の計とともに話し合います。
▼出演
松本紹圭(現代仏教僧)
宇野常寛(評論家・PLANETS編集長)
▼日時
2020年1月12日(水)
ハッシュタグは #遅いインターネット会議
▼遅いインターネット会議とは?
PLANETS編集長・宇野常寛が提唱する「遅いインターネット」計画の一貫として、
政治からサブカルチャーまで、ビジネスからアートまで、
さまざまな分野の講師を招き参加者と共に考える場を構築していきます。
新聞やテレビといったオールドメディアは物足りない、
しかし今日の「速すぎる」インターネットの空疎さにも付き合いきれない。
こうした読者の方へ、よりアクティブな学びを提供し、
自由な問題設定と多角的な思考を共有することが目的です。
そのために日常の中に少しだけ、しかし確実に世の中とは近過ぎない、
しかし離れすぎない中距離を置いた思考の場を用意しました。
ぜひ、毎週火曜日の夜は予定を空けて、自分の世界を少しずつ広げることに挑戦してください。
【2021年9月12日大愚道場(録画)】修行道場とは何か?人格を向上させるための仕組みとは?
【2021年9月12日大愚道場(録画)】修行道場とは何か?人格を向上させるための仕組みとは?
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第14回(講師:師茂樹)[2021年2月10日]
※ レジュメ( http://ow.ly/A0eO30rwiHM )と現代語訳( http://ow.ly/pw6f30rhrdD )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
※ 今回は、現代語訳の67ページぐらいから読み進めています。ついに外小破段を読み終えました!
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
【講義アーカイブ】『成唯識論』を読む 第37回(講師:師茂樹)[2023年2月8日]
『成唯識論』(じょうゆいしきろん)は、唯識思想を大成したとされる世親(ヴァスバンドゥ)の『唯識三十頌』に対する注釈書を、三蔵法師・玄奘(602-664)が編集・翻訳したとされる文献です。冒頭(第1〜2巻)で我(アートマン)と法(ダルマ)の実在を主張する諸説を徹底的に批判したあと、唯識思想の大きな特徴である八識説、すなわちアーラヤ識(第2〜4巻)、マナ識(第4〜5巻)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と煩悩などの心所法(第5〜7巻)について説明されます。続いて、あらゆるものが識を離れないこと(一切唯識)について説明され(第7〜8巻)、空思想の唯識思想的説明である三性・三無性説が説かれます(第8〜9巻)。そして最後の第10巻では、修行の階梯が明らかにされます。
※ 現在、第4巻を読んでおります。
東アジアにおける唯識思想はこの『成唯識論』の注釈・解釈を中心に発展しました。前近代の日本仏教において大きな勢力を持っていた興福寺が、根本聖典の一つとしていたことでも知られています。東アジア仏教、日本仏教を考える上で大変重要な文献です。
これほど重要なテキストでありながら、現在のところ『成唯識論』を手軽に読めるような状況ではありません。本講義は、『成唯識論』の通読を試みるものです(したがって、全何回になるかはわかりません)。あまり細かい議論を追いかけることはせず、最後までたどり着くことを目指します。
※ レジュメ( https://bit.ly/3I8RT0c )、現代語訳 ( https://bit.ly/3HuaWm1 )を配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。今回は、現代語訳を読まず、「生命を維持するものとしての識」と題したまとめをしています。
【神道シリーズ】第63回・八百万の神⑱金毘羅信仰【後編】まなすさんの金毘羅観光動画を見ながら発展する「こんぴらさん」を解説
明治になると、それまで古代より祀ってた権現神(本地垂迹説の仏教神)が山岳信仰から政府により外され、山岳信仰の中心になってきた寺院を破壊し、まったくその山岳信仰に縁の無い古事記の神々を祭神として祀る神社を新設する動きが全国に及びましたが、ここ象頭山では、15世紀以降信仰の中心になっていた金光院松尾寺(真言宗)の祀る本尊・十一面観音と垂迹神・金毘羅大権現の松尾寺が廃仏毀釈によって破壊されたのですが、なんと、その後に新設された「金刀比羅宮(琴平神社)」の初代宮司には、金光院松尾寺(真言宗)の最期の院主の宥常が就き、新社伝こそ平田派国学系の出雲大社教の「大物主神の行宮先の<琴平宮>が起源」という捏造を受け入れたものの、あたかも「隠れキリシタン」ならる「隠れ金毘羅」と言えるべき、
本尊の十一面観音を死守し、さらに「厳魂(いづたま)神社」なる摂社を境内の中に作り、厳魂彦命という名の下、
金毘羅金剛坊大権現を本尊十一面観音の垂迹神として祀り、今日に至ってます。 神社の名称も「琴平」ではなく「金刀比羅」と、読み方によって「こんぴら」と読めるように改称したのも宥常の見事な「隠れ金毘羅」業でした。
今回は、こうした歴史をおさらいする意味を含めて、生主のまなすさんの金毘羅詣りの旅のビデオを皆さんとともに鑑賞したいと思います。