キーワード 懐かし助っ人 が含まれる動画 : 151 件中 65 - 96 件目
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懐かしの助っ人外国人選手 アレックス・オチョア
つべより。メジャー時代はサイクル安打達成やワールドシリーズ貢献者に名を連ねるなどの実績を持つ。2003年に中日に所属し、翌年はゴールデンクラブを受賞している。しかしその後は徐々に調子が悪くなり、2006年オフに解雇。2007年のシーズン途中に広島へ入団。この年は途中入団ながらそこそこ活躍したが、翌年は年齢による衰えで現役を引退した。強肩が自慢の選手だった。
懐かしの助っ人外国人選手 トッド・リンデン
つべより。2009年シーズン途中に楽天に入団。アマチュア時代に両打席本塁打のシーズン記録を達成した経験を持つ。途中加入ながら楽天創立初のAクラス入りの原動力となった。しかしそれ以上に目立ってたのは素行の悪さで暴言や監督との対立など数々のトラブルを起こしている(アマチュア時代にも葉巻密輸で退部している)。翌年は前年よりも成績が落ち退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 クリフ・ブランボー
つべより。2005年に合併オリックス新助っ人第一号として入団。その年はオリックスの主砲として活躍するが翌年は打撃不振で解雇となった。打撃フォームがアッパースイングの為、ポップフライが多かった。
懐かしの助っ人外国人選手 スコット・シーボル
つべより。マイナー通算181本塁打を放った実績を持って2008年に広島に入団。阪神へ移籍した新井の穴を埋めるための補強だったが、凡退が目立ち穴を埋める程の成績を出せなかったが意外性のあるバッティングを魅せ残留。しかし翌年は新加入のマクレーン・フィリップスの陰に隠れてしまい退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 チャド・アレン
つべより。アトランタオリンピックや北京オリンピック予選でアメリカ代表で4番を打った実績のある選手として2007年オリックスに移籍した。右打ちがうまく、打率.286と決して悪くはなかったもののHRはわずか4本止まりと助っ人としては迫力不足だったので解雇となった。
懐かしの助っ人外国人選手 ジェイソン・グラボースキー
つべより。2006年にオリックスに在籍。マイナー時代中村紀洋とクリーンナップを組んでいたという縁で、中村が移籍したオリックスへやってきたがあまりの低打率のひどさと4本しかHRを打てないことから1年で解雇された。
懐かしの助っ人外国人選手 ライアン・ボーグルソン
つべより。2007年は阪神に在籍し先発として7勝を挙げるも翌年は大荒れし3勝4敗の成績となり解雇。2009年はオリックスに移籍するも調子の波が激しく1年で退団。その後はメジャー復帰を果たし、2011年にはサンフランシスコ・ジャイアンツで好成績を収め、その年のメジャーのオールスターに選抜された。
懐かしの助っ人外国人選手 ライアン・グリン
つべより。2006年は楽天に在籍し7勝を挙げるも交渉決裂で2007年日ハムに移籍。この年は交流戦で最優秀選手に選ばれるなど前年とはウソのような活躍を見せたが翌年はリーグワースト14敗を記録し解雇。2009年は先発不足に悩む横浜に移籍するも外国人投手としては20年ぶりの15敗を記録しこの年限りで退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 ドミンゴ・グスマン
つべより。2002年~2003年までは横浜に在籍し2003年はチームトップの8勝を挙げるもムラッ気のある性格が災いし解雇。2004年からは中日に移籍し、この年2桁勝利を挙げるもその後は故障で満足な結果が残せず解雇。2007年には楽天で先発のほかに抑えも務めたが満足な成績を出せずに退団となった。
懐かしの助っ人外国人選手 フィル・クラーク
つべより。1997年に近鉄に入団し、この年一塁手としてベストナインに選ばれる。また1年目にして当時のシーズン最多安打を記録している。2000年に死球による怪我で退団した。
懐かしの助っ人外国人選手 マイク・グリーンウェル
つべより。ご存じ「神のお告げ」で突然退団した助っ人外国人。しかしメジャー時代の経歴はなかなかのもので阪神移籍まではレッドソックス一筋で活躍。引退後はレッドソックスのチーム殿堂入りを果たしている。
懐かしの助っ人外国人選手 ヘクター・カラスコ
つべより。メジャー通算498試合登板の実績を売りに近鉄に2004年在籍。それまでクローザーを務めていた大塚が抜けてしまったので新たなクローザーとして期待されたが制球難からよく炎上が発生するため勝てる試合も負けてしまう事が多々あった。因みにこの年近鉄・オリックスの吸収合併騒動があった為、メジャー時代のストライキの経験をアドバイスをしていた。
懐かしの助っ人外国人選手 タフィ・ローズ
つべより。近鉄時代は2001年にシーズン最多本塁打55本を達成しリーグ優勝に貢献。2004年は年俸問題で巨人に移籍しセリーグ最多本塁打王を記録。巨人退団後は一旦引退するが2007年新生オリックスで復帰。2008年、新生オリックスとしては初のAクラスに入る活躍に貢献した。しかし翌年は怪我によりまたも年俸でもめて退団。現在は半引退状態らしい。
懐かしの助っ人外国人選手 アンディ・フィリップス
つべより。メジャー時代はユーティリティープレイヤーとして活躍。広島時代は15本HRを放つなどそこそこ活躍していたが1年で解雇。前広島の監督ブラウンの楽天に移籍するも開幕からの低打率で解雇された。ちなみに広島在籍時はイケメン新助っ人として話題になっていた。
懐かしの助っ人外国人選手 ジョージ・アリアス
つべより。2000年~2001年までにオリックスに在籍。2002年~2004年までは阪神に在籍し、2003年の優勝に貢献する活躍を見せた。2006年に巨人に移籍するも全盛期のような活躍は出来ずに退団した。(最も球団の空気になじめなかったらしいが)現在は住宅の清掃会社を経営している。
中日ドラゴンズ グスマン またまた最上階へホームランwwwwwww
1軍復帰後9試合 33-7 4HR 6打点 10三振 1四球 .212 OPS.813イケるやん!
【エルフェンリートOP】「lilium」を助っ人外国人だけで歌ってみた
二番煎じですが,こちらは原歌詞にリンクさせてみた気がする
音源お借りしました→nm3901052
その発声はなかった:mylist/22870912
【千葉ロッテマリーンズ】ミラー 投手
06年在籍。まだYFKが健在でさほどリリーフに困っていたわけでもないのに「02年にメジャーで9勝」という売り文句でシーズン途中に入団。たしかに150kmを越える剛速球はかなりの威力があったものの、変化球をストライクゾーンに投げられずクイックも下手でボコボコに打ち込まれ二軍落ち。シーズン終盤に敗戦処理として戻ってきたが、12試合で防御率10点台では評価しようもなかった。
楽天イーグルス2006 8/29◆ネタ外人・バレントが唯一、輝いた日
【楽天イーグルス・アーカイブ】 No.010
「飯田無双&バレントの決勝2ランホームランで決着も5時間半近い熱戦」
2006年8月29日 北海道日本ハムファイターズ-東北楽天ゴールデンイーグルス(札幌ドーム)
「長距離タイプじゃないのに何故か獲得」「顔がMr.ビーン」「打率2割前後」「在籍4ヶ月」
日本で唯一打ったホームランがこの決勝2ランホームランで、あとはほとんど役に立たずそのままシーズン終了前に解雇。
あと楽天側のトランペットがヒドイのは、2人の団員が5時間ずっと吹き続けてぶっ倒れる寸前だったため。
ファンも当時の札幌ではあれぐらいが精一杯の人数でした。許して……。
野球動画→mylist/19959358
【オリックスブルーウェーブ】シェルドン内野手
youtubeから02~03年在籍。『メジャー時代に(消化試合で)1試合中に全ポジションを守った珍記録保持者』というあまり期待できない売り文句だった。日本では主に一・三塁を守り、1年目は26本塁打を放ったものの得点圏打率.168ととんでもなくチャンスに弱くかったうえリーグ最多の155三振を記録。2年目はオーティズ・ブラウンの現役メジャーコンビの陰に隠れあまり目立てなかった。
元東北楽天ゴールデンイーグルス デイモン・マイナー
YouTubeから転載 誕生日記念のはずだが1月9日という可能性もあるらしい 投手は小林宏之
元東北楽天ゴールデンイーグルス・横浜ベイスターズ ケビン・ウィット
YouTubeから転載 誕生日記念 投手はジャレッド・フェルナンデス 2年前の誕生日に投稿した動画→sm5760215
【日本ハムファイターズ】ミラバル 投手
00~05年途在籍。来日当初は抑えだったがいまいち役に立たず先発へ転向。最速150キロ台の速球とナックルめいた変化球を武器に、東京時代末期から北海道移転初年度までローテの一角を担った。この動画、対戦相手のひとりがルーキー時代の西岡という点はちょっと珍しいかも。
【千葉ロッテマリーンズ】メイ 外野手
M.フランコときたらやっぱりメイでしょう、ということで。01年~03年在籍。01年は福浦・ボーリックと共に強力クリーンナップを形成したがあいにく当時は飛ぶボール全盛、他球団にはもっと破壊力のある連中が揃っていた。2年目は消化試合で打ちまくり残留を勝ち取ったが、3年目はフェルナンデス・ショートとの生存競争に生き残れず帰国。現在はマイナーリーグのコーチをしており、チャッド・ハフマンの入団テストを斡旋したりしている。なお、マウンドにいるのは93年のドラ1武藤。98年にやっと開花、規定投球回に到達し8勝を挙げたが、01年オフに日ハムのニセ黒木こと黒木純とトレードされた。現役引退時には西武にいた(しかも背番号12)ことはあまり知られていない。
【1997】新助っ人特集
1997年の新入団外国人選手の特集です。
その他、プロ野球関連動画あげてます。mylist/38775679
【千葉ロッテマリーンズ】フランコ 内野手
04~06年在籍。ベニー同様バレンタインラインで獲得、メジャーではずっと控えの便利屋だった。04年は主に三塁を守ったがその後今江がスタメン定着するとレフトに回る。守備はまずかったがチームが日本一となった05年には打率を三割に乗せ21本塁打と活躍、ベストナインにも輝いた。しかし06年にはチャンスに打てなくなったことを理由に解雇されてしまった。
【千葉ロッテマリーンズ】アブレイユ 投手
08年在籍。シーズン序盤は監督に重用され防御率も悪くなかったが、細かい制球ができなかったためかいまひとつ信頼が得られないまま5月末までに20試合登板したところで腕を骨折して帰国。シーズン終了後に再来日してフェニックス・リーグでテストを行ったが結局解雇された。
【千葉ロッテマリーンズ】ショート 内野手
03年ロッテ、06~09楽天。本職だったサードはフェルナンデスが守ることが多かったため大抵レフトで出場。一度だけセカンドを守ったものの、あいにく誰もが期待していた「ショートがショート」の機会は一度もなかった。8月以降調子を上げ打率3割でシーズンを終えたが、山本エカ政権終了の巻き添えを食いあえなく解雇された。楽天では巧打を遺憾なく発揮して、08年には首位打者を獲得。
【日本ハムファイターズ】ウィルソン 外野手
再うp。97~01日本ハム、02年近鉄。97年に本塁打王、98年は本塁打・打点の二冠を獲得したビッグバン打線を象徴する舶来砲。登録上は外野手だったが、守備に就くことはまずなくDH専門。
グレン・エリック・ブラッグスのテーマ
1993年から1996年まで横浜ベイスターズに所属した助っ人外国人。ものすごいスイングと強肩、そして乱闘でファンを魅了した。この曲は、2001年ジョン・ズーバーの応援歌に流用された。2013年後半戦よりトニ・ブランコのチャンステーマに!(2013年8月追記)