キーワード 金光教 が含まれる動画 : 15 件中 1 - 15 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第46回・霊界物語をどう読み解くか
出口王仁三郎の霊界物語は、その冗長さと内容の不可解さから困難な書とされてきたが、そこで彼が訴えたかったものとは一体何であったのだろうか?
霊界物語は今でも大本で出口直のお筆書き、大本神諭に次ぐ二大経典の一つとされているが、これは直の神諭のように世の中はこうあるべきでこう変革するべきだというメッセージは一切見られず、ただ、183億年前の宇宙発生時から現代にいたる霊界における歴史を語って来た書と王仁三郎には自称されている。
しかし、正直、その中身たるや、荒唐無稽な上に、一体何が大本の信仰対象であり、何をどう考えるべきかがまったく不明瞭で、大本信者でさえそこを心底理解している者は一人とていないと推測される。
霊界物語は、183億年前の天祖、大国常立大神による大宇宙創成時代の霊界の地球で大地自然と神々の修理固成を行ったとミロク大神たるスサノオの話と、38万年前の霊界の地球でさらに修理固成を行った国祖と呼ばれる
国常立尊と、その後、その国常立尊が自ら創った神人たちに追放され、その結果、大峠という地球規模の大洪水が起こり、一旦破滅した地球に天の大神と呼ばれるイザナギ、イザナミ、アマテラスが再び大地自然の再創造を行うストーリーが展開されている。
不思議なことには、こうした大宇宙創成神や地球の修理固成神たちが霊界に産み出した神々や神人と呼ばれる霊界の住民たちの間でまったく権威や崇敬が無く、霊界人達に追放された国祖・国常立尊や、みろく大神と呼ばれながらも霊界の地上に産み出された邪神たちとのあくことなき戦いが強いられ続けていく、という、絶対崇拝対象無きストーリーが展開されているのである。
ただ、絶対崇敬対象としての存在が不在の中、霊界物語の中では、「言向け和し」という、敵対する者に対して武力や策略によって相手を屈服させてはならない、あくまで相手を諭し、心服させるやりかたで和平し共存していくことの大切さを終始強調されている。
出口直、王仁三郎の間で一貫していたのは、反戦世界平和的な全宗教共存論で、これは金光教や天理教以来一貫している万教同根の思想である。
王仁三郎が第二次大本弾圧事件の前に結成した昭和神聖会では、満州事変や日中戦争を「愛の戦争」と呼んだ彼の真意は不明のままだが、戦後の大本は戦前の社会変革論を完全に放棄し、ひたすら芸術活動と世界宗教平和共存運動に徹して行ったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第30回・大本教(なおと王仁三郎との「火と水の戦い」)
もともと出口なおの時代には、艮の金神のなおに対する憑依によりなおに書かせた筆先により、ありとあらゆる外国のやりかたに反対し、外国を真似たり媚びたりする態度を日本人がやめなければ日本は世界の戦争に巻き込まれ、世界とともに崩壊するという警告アピールであった。
なおの筆先は艮の金神のメッセージだとは言うが、それはまさに明治以降、西洋化近代化に日本全体が邁進する中で取り残され、見捨てられた底辺民衆たちは、新たに勃興してきた財閥や、その財閥と結託した政治家たちにより搾取され、使い捨てられ、その財閥・政治家たちは外国と結託し、自分たちの利益だけの為に弱者の立場を顧みず、まったく悪神に支配された世の中になってしまったと言う。
この世の中を立て直すためには、日本人はありとあらゆる外国由来のものを使うのを止め、本来の日本人の価値観の原点に戻るべきだという警告であった。
そしてその外国のやり方という言葉の中には、電気、鉄道、洋服、洋食などからマッチや漢字までもが含まれていた。 過激すぎると言うほど徹底した反近代主義、反文明主義である。
一方、なおと出会った王仁三郎は、本田霊学の鎮魂帰神法を始め、大石凝の弥勒菩薩降臨論や竹内文書の奇想天外な宇宙論や歴史観などを吸収しており、素朴な民衆の立場を代弁するなおと国学的な霊学的立場に立つ王仁三郎との間には相克があり、徹底的な反文明主義・反西洋主義に固執するなおや金光教出身の信者たちは王仁三郎の合理的な合法的宗教団体組織論のみならず、国学や古事記・日本書紀の神々と言った底辺庶民たちにとってはまったくなじみのないものを採り入れてくやり方がまさになおのいう「外国のやり方」に映り、反王仁三郎派の信者たちは王仁三郎を綾部から追放してしまった。
しかし、日露戦争を通じて世界は崩壊するというなおの予言は日本の勝利によって外れ、結果、ほとんどの信者たちはなおに失望して大本を去って行き、王仁三郎が綾部に戻ってくると、今度は王仁三郎のペースで大本再建は進み、いよいよ、大石凝によって王仁三郎に注入されていた弥勒菩薩降臨による世界救済論は大本の教義の中心を占めるようになり、その背景には、日本による世界征服こそ弥勒菩薩降臨の前提条件になるという弥勒革命論が拡大浸透し、それは、その後、軍人らの強い支持を集めると同時に政府や官憲の監視対象となり、やがて訪れる二度の大本大弾圧の原因ともなっていったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第27回・大本教(その①)出口なおと艮の金神
出口なおは1837年1月22日(天保7年12月16日)、大工の父/桐村五郎三郎と母/すみの長女として福知山藩領の丹波国天田郡上紺屋町に生まれたが、父の五郎三郎はその放蕩癖の為に家計は傾き、さらになおが10歳の時にコレラで亡くなった為、なおは10歳の時から米屋や饅頭屋や呉服屋などで下女奉公をして家計を支えることとなった。金光教の信者であったなおは、その教え通り母親を大事にし、下女奉公の給金のすべてを母親に送り、その孝行ぶりが藩主に認められ、福知山藩の三人の孝行娘の一人として表彰された。
1855年(安政2年)なおが20歳になった時、母の実母の実家の出口家に家督後継者が無く、祖母の出口ゆりからの要請でなおは出口家の養女となり、そこに養子縁組で出口家入りした四方豊助と結婚し、夫は出口政五郎と改名した。夫の政五郎も優秀な大工だったが、その楽天的な人の良さから知り合いたちからの金の無心を断れず、次々と返済されない金貸しをするうちに出口なおの家の家計は傾き、なおとの間には3男5女の8人の子供がいたにもかかわらず家の財産は底をつき、1888年明治16年に出口家は破産した。
51歳になったなおは、幼い四女と五女をかかえながら餅屋や古紙回収業を行い糊口を凌いだが、翌年事故で半身不随になっていた夫・政五郎が死去し、貧困多忙の生活を続ける中、三女の福島ひさと長女の大槻よねが精神異常を来たした後に神憑りになり、1893年明治26年、58歳になった出口なおまでが神憑りになり、突然騒いだり喚いたりするようになった為、近所の放火事件で容疑者扱いされ、警察に逮捕され牢に入れられてしまった。しかし、その牢屋の中で文盲であったはずのなおが突然、自分に憑依した艮の金神のメッセージを全文ひらがなで半紙に書き留め、これが出口なおの初のお筆先となった。
その筆先には、人類の改心と三千世界の立替え立直しを唱えるメッセージが書かれており、それは、その5年後、なおの三女福島ひさの営む茶屋を通じてなおの筆先を知った上田喜三郎の共感を得、やがてふたりで金明霊学会という教団を立ち上げることとなる。
なおは、喜三郎を出口家の婿養子とし、五女のすみに嫁がせ、名も王仁三郎に改名させた。
王仁三郎は鎮魂帰神法で艮の神を国常立神だと断定し、なおはそれを受け入れた上で、男神の国常立が宿るじぶんを変性男子とし、豊雲野尊という女神の宿る王仁三郎を変性女子とし、ふたりは霊的な意味での夫婦という設定で教団は形成された。しかし、その後、教団内の保守派たちは王仁三郎の文化開明的な考え方に反発し、王仁三郎は一時教団を離れることを余儀なくされ、その間に皇典講究所にて国学や水戸学を学び、彼が教団に戻ると、その教団の教義の中にはより国学色が強くなっていった。
【巨石遺構探訪】武神を祀る 磐岩神社 岡山県浅口市金光町
巨石遺構のある磐岩(いわむら)神社。以前から一度お参りしたいと思っていました。
金光駅から田園の中を西へ進み社殿のあある小高い境内 そこから岩の多い山をわずかに登る(数分登山^^)と巨岩があり小さな祠が置かれている。〆縄も張られていないので正確に磐座かどうかは不明だけど。祠は毘沙門天様らしいです(巨岩のサイトに記載がありました)
金光は教派神道 金光教の発祥地で教会本部があるようです。
大きな岩の奥へ進むと 木野山神社があります。気づかなかったので回り込まなかったのですが、神社裏にも小ぶりな石を集めた石群があるようですわずか写真に写っていました。黄色の変わったトンボに気を取られましたw
また山道を抜けると反対の益坂方面まで抜けれるようです。
岡山の巨岩のサイトなどを見ますと同じ町内の別の山にある木野山神社には大きな巨岩の磐座があるらしいです。
千数百年前の古代はこの小高い山の前は海だったそうですね。
岡山って磐座、巨石多い気がしますね。しっかし岡山遠いからねえ。
古代の朝廷直轄地の三宅(屯倉〜租税である徴納品の貯蔵庫)の守護神として祀られたと言われる。
日本書紀にいわく〜五百箇磐石(いほついわむら)=軻遇突智命をイザナギ命が斬った剣の血が滴り生まれた岩群。ここより生まれた神が経津主命を神生みしたと云う話。地形が似ていたので社名になったらしいです。
剣の神様で武神であり香取神宮の祭神。
格安の広島エリア限定の普通車乗り放題切符+エリア外(福山〜金光間往復は実費)運賃。
あととタクシー1回1000円(歩けばいいけど里庄方面でPMから用事があったので急いだ)
^^;人広告恐れ入ります
令和四年六月
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第26回・大本教(その①)大本教の思想遍歴
大本教の歴史は、開祖出口なおが、57歳の時、放火容疑で収監された牢獄の中で神憑りになり、文盲であったはずなのにいきなり全文ひらがなで艮の金神からのメッセージを書き留めた自動書記と言われる現象から始まった。
当時、頻繁にいきなり神憑りとなり意味不明の言葉を発していたなおは周りから精神異常者と見做されており、それが故に無実ながらも放火事件の容疑をかけられ逮捕拘留されていた。
しかし、なおは、意味不明のメッセージを発するだけではなく、同時に神憑りになり、多くの人の病気神霊治療も行っており、周りのなおの評価は二分していた。
そんななおが63歳になった時、丹波出身で、本田親篤の弟子の長澤雄楯から言霊学や古神道を学んだ上田喜三郎と出会い、宗教的知識のある喜三郎はなおを補佐しながら次第になおの神憑りによる筆書きは宗教団体としての体裁を得ていくこととなる。
上田喜三郎はなおの5女すみと結婚して出口家に養子縁組し、なおの勧めで名を出口王仁三郎と名乗ることとなった。当時、すみの母なおは65歳で、王仁三郎は30歳の若者であった。
なおと王仁三郎は対立や協調を繰り返す中、次第に曖昧だったなおの艮の神や世の立て直しの神託は王仁三郎によってより明確な大本神道理論となり、艮の金神は国常立尊であり、立て直しで実現するのは弥勒菩薩の降臨であると宗教理論の体型を確立して行った。
もともとなおが信仰していた天理教や金光教の教えである万教同根論、つまり、すべての宗教は同じもの、という考え方や神の願いに叶った生き方をすべしという考え方がベースにあったが、これが、なおの死後、王仁三郎により、より平田国学的な解釈が強まり、日本を中心とした汎神論や、世界宗教日本起源説や、日本が世界を統一することにより
弥勒菩薩の降臨を呼ぶ、と言うような日本中心主義を強調することにより、多くの軍人や右翼団体の幹部たちの広範な支持を受けることとなった。
第一次大本教弾圧後、王仁三郎の思想は、当時の社会不安が拡大する風潮を背景に急進化し、自らがメシア、つまり世界の救世主であり、自分こそがイエスキリストの生まれ変わりであり、同時に弥勒菩薩そのものだと主張するようになり、軍人たちが世界を制覇したのちには自分が天皇の輔弼となり世界を治めるべきとまで訴えるようになった。
大本は政府により潰されたが、大本に心酔した軍人の中からはクーデターを企画したり、政府を脅したりと、戦争拡大と日米戦による日本の破滅への道を進めることとなったのである。
[千年戦争アイギス] 金光教主 (通天教主Lv16 ☆4)
主參考 sm36192730
好感度150: 光の守護者アルティア、怪力少女ディーナ、オークの英雄アナトリア、雷神の娘レミィ
無双の海賊デューオ、刻詠の風水士リンネ、魂鎖の紡ぎ手スピリア、帝国元帥レオラ
ねこみみ商人ミネット、帝国防塞工兵パトリシア
好感度100: 隊商長ディエーラ、星を詠む者ソラス(白)、大地を紡ぐ者サナラ(白)、鳳統
所持英傑 星を詠む者ソラス(白)、影を継ぐ者ユージェン、大地を紡ぐ者サナラ(白)
2015/05/23 金光臨 117系T2編成 発車 @ 英賀保
2015/05/23撮影
金光教の団体列車として運転されている
通称:金光臨の発車動画です。
【教派神道】 黒住教 【幕末三大新宗教】
教派神道十三派のひとつ、黒住教。天理教・金光教と並んで幕末三大新宗教ともいわれる
歌舞伎の中村芝翫さん 葬儀
中村芝翫さんは、品格のある芸風で娘役や女房役、お姫様の役など幅広い役柄を演じ、歌舞伎界を代表する名女形として長年活躍しましたが、10日、肝不全のため亡くなりました。芝翫さんの葬儀は、27日午後2時から東京・港区の青山葬儀所で営まれ、歌舞伎俳優や芸能関係者などおよそ1200人が参列しました。葬儀では、生前親しかった人たちが弔辞を読み、このうち映画監督の山田洋次さんは「映画に出演していただいたときに、芝翫さんの演技は余分なものが一切ない、付け加えるものも一切ないってカメラマンがささやいたのを覚えています。芝翫さんが映画に出演したのはその一度だけで、僕は一生の誇りにしています」と述べました。参列した人たちは、祭壇に飾られた芝翫さんの遺影に手を合わせて哀悼の意・・・
瀬戸の花嫁 in 金光
主にJR四国の主要駅の入線メロディーとして使われる「瀬戸の花嫁」ですが、こんな風に金光駅下りホームでも流れます。
駅巡り (132) JR山陽本線 金光駅
09年03月訪問。山陽本線を西に走っていると倉敷を過ぎたあたりで不思議な雰囲気に包まれた駅があります。いつか降りたいと思っていましたが今回、尾道訪問をするついでに下車することができたのでビデオを撮りました。金光教という宗教の総本山最寄駅のようで、「金光臨」と呼ばれる臨時団体列車専用のホームがあるのが特徴です。残念ながら普段は閉鎖されているようで入ることはできませんでした。以前は紫色の布が駅の所々に掛けられていたと思うのですが・・。跨線橋は大正4年製とかなりの年代物です。あと、なぜか四国ではないのに瀬戸の花嫁が掛かります。
[駅巡りシリーズ]mylist/6847234
(131)西大宮駅:sm6437209←|(132)|→(133)上総松丘駅:sm6510768