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2026 0406 1921 (Cover Works) / OFF COURSE / LAUGHIN' NOSE / JUN SKY WALKER(S) / Elvis Costello
2026 0406 1921 (Cover Works)
■ OFF COURSE 僕の贈りもの (076-2187-6) / めぐり逢う今 (082-9017-3) / もう歌は作れない (083-4318-2) / 心は気まぐれ (031-6386-3) / 生まれ来る子供たちのために (006-2594-4) / 時に愛は (052-5060-3) / 僕等の時代 (077-3804-8) / Christmas Day (012-7844-0)
■ LAUGHIN' NOSE WONDERFUL TV (092-2311-8) / HELLHOME (076-9694-9) / SCENE DEATH (040-5239-8) / GYPSY (023-8636-1) / B-29の贈り物 (008-5437-5) / I CAN'T TRUST A WOMAN (001-3834-3) / R&R DESIRE (002-6933-2) / 警告 WARNING (017-4893-6) / PISS'EN ASS (071-7171-4) / GIMMIE JOB (022-7230-7) / RUSSIAN ROULETTE (091-6272-1) / OUT OF MONEY (001-3837-8) / GET THE GLORY (047-4977-9)
■ JUN SKY WALKER(S) すてきな夜空 (045-8461-1) / STREET ONE BOY (045-8317-7) / アパート (045-8316-9) / 変身 (045-8458-1) / HEAVY DRINKER (045-8460-2) / いつもここにいるよ (008-0130-1) / ひとつ抱きしめて (008-0129-7) / 悲しすぎる夜 (045-8457-2) / 風見鶏 (045-8456-4) / 歩いていこう (008-0435-1) / 全部このままで (006-2591-0)
■ Elvis Costello Accidents Will Happen (T-011.272.502-0) / Green Shirt (T-011.393.181-1) / You Bowed Down (T-011.455.691-2) / Why Can't A Man Stand Alone (T-011.455.696-7) / Watching The Detectives (0W0-1594-5) / Pump It Up (0P1-0080-6) / My Funny Valentine (T-070.111.488-8)
DVD「実録・第二次世界大戦史」より (1/4)
こんにちは。
これは、第二次世界大戦の推移について、二次大戦(当時の)映像が
使われつつ解説したDVDからに物です。
珍しい事に、太平洋戦争(戦線)だけでなく、ヨーロッパ戦線についての
扱いもかなり多いDVDでしたので、アップロードする事にしました。
第1部:果てしなき中国戦線[1911年~1943年]
第2部:大戦前夜の欧州[1921年~1939年]
↑0:54:13辺りからです
(2/4)→sm42979531 ・ (3/4)→sm42979566 ・ (4/4)→sm42979589
※このアップロードですが、違法は違法ですので、削除された際は
※「絶対に」再アップロードをしません。その点はお願いします。
NHK-FM クラシックの迷宮 ▽ガーシュウィン生誕125年 2023年09月23日
出演:片山杜秀
「スワニー」
ガーシュウィン:作曲
(バンジョー)フレッド・ヴァン・エプス、(サクソフォーン)ネーサン・グランツ、(木琴)ジョージ・ハミルトン・グリーン、(ピアノ)ジョージ・ガーシュウィン
「スワニー」
ガーシュウィン:作曲
(歌)アル・ジョルソン
「スワニー(1920年に打ち込みのピアノロールによる)」
ガーシュウィン:作曲
(ピアノ)ジョージ・ガーシュウィン
「ホイップ・プーア・ウィル(1921年に打ち込みのピアノロールによる)」
ジェローム・カーン:作曲
(ピアノ)ジョージ・ガーシュウィン
「ミュージカル「スィッティング・プリッティ」から「スィッティング・プリッティ」とフィナーレ」
ジェローム・カーン:作曲
(歌)ジェーソン・グレー、(歌)ジュディ・ブレーザー、(指揮)ジョン・マッグリン
「ミュージカル「レディ、ビー・グッド!」から「魅惑のリズム」」
ガーシュウィン:作曲
(歌)ジョン・ピッツァレッリ、(歌)ララ・ティーター、(歌)アン・モリソン、(指揮)エリック・スターン
「「ラプソディ・イン・ブルー」からのアンダンテ」
ガーシュウィン:作曲
(ピアノ)ジョージ・ガーシュウィン
「ミュージカル「ガール・クレージー」から「アイ・ガット・リズム」」
ガーシュウィン:作曲
(歌)ローナ・ラフト、(指揮)ジョン・マウチェリ
「「アイ・ガット・リズム」による変奏曲」
ガーシュウィン:作曲
(ピアノ)アール・ワイルド、(管弦楽)ポストン・ポップス管弦楽団、(指揮)アーサー・フィードラー
「ミュージカル「われ歌うなんじの歌」から「愛がこの国を駆け巡る」」
ガーシュウィン:作曲
(歌)ジョージ・ドヴォルスキー、(歌)ルイーズ・エデーケン、(合唱)ニューヨーク・コラール・アーティスツ、(管弦楽)セント・ルークス管弦楽団、(指揮)マイケル・ティルソン・トマス
etc.
【神道シリーズ・シーズン3】第14回・平田系神道カルトの系譜(大きな流れ)
平田篤胤の流れを汲む平田学派は、幕末から明治にかけて5つの大きな流れを形成して行ったが、それは、後に国家神道を形成する流れとなる祭政分離論の大国隆正のグループと、篤胤が晩年熱中した道教研究と死後の魂との交流というテーマに繋がる本田親徳の鎮魂帰神法と、道教神仙思想を篤胤の神道用語で解釈しなおした神仙神秘思想と、篤胤が存在すると強弁した神代文字を似非研究した竹内巨麿や、国学の日本語研究の流れを汲む平田門人の中村孝道の水茎文字や真澄の鏡から独自の言霊学を形成した大石凝真素美らから成るが、
神仙神秘思想系の川面凡児は、伊勢神宮を始めとする全国神社の滝打ち禊修行などの新祭祀を開発したが、神仙神秘系は次第に影響力を失い、残りの本田霊学と言霊学と神代文字学の三潮流が古神道と自称するようになり、
明治以降の平田系カルトの中心的勢力となって行った。
この三潮流は、本田霊学を中心として、神道カルト理論を形成し、やがて大本教の下に合流していくこととなった。
平田系神道カルトは、教団によって温度差はあるものの、共通していることは、元祖平田篤胤の、地球形成後に世界を作ったのは日本の神であり、日本人は世界を統一して天皇中心の地球にするべきだという超誇大妄想的な選民思想部分である。
しかし、この日本人選民思想部分は、国粋主義的な軍人や政治家たちを惹きつけ、首相閣僚クラスの政治家や陸軍大臣、海軍大臣、陸海軍大将までが信者になったりシンパになったりするほどの影響力を与えた。
この動きは放置すれば右側の立場よりの革命論や政府転覆論、軍掌握論なども生じかねないということで、政府や公安警察は厳重にこうした団体を監視するようになった。
政府公安警察は、彼らが政府見解と異なる神道解釈をしたことが天皇陛下を侮辱してるとし、不敬罪の名目で
逮捕、弾圧を続け、大正10年(1921年)と昭和10年(1935年)には大本教の宗教施設をすべて破壊する、というほどの弾圧をしたが、大本から派生した友清歓真の神道天行居は陸軍の皇道派に多くの信者を持ち、
その青年将校たちが226事件を起こし、日本はまさに狂気の時代へと突入したのである。
神道シリーズ・シーズン3(思想編)第52回・友清歓真と神道天行居
友清歓真は、1888年(明治21年)10月9日、山口県佐波郡佐山で父祐蔵、母むめの次男に生れ、若いころから霊的な方面に興味を抱き、密教、神道などを修行し、度々山籠もりをする生活をしていた。1918年(大正7年)、大本に入信した浅野和三郎を訪ねて綾部に寄ったおり大本に入信し、当初は大本神諭で訴える世の立替え説に共鳴していたいが、次第に関心が霊術の方に移り、大本の機関紙「綾部新聞」の主筆となり、やがて大本の機関誌『神霊界』の編集にも携わるようになった。しかし、次第に友清の社会変革思想は過激化し、大本の中でも浮いた存在となって行き、1919年(大正8年)にはとうとう大本を脱会することとなり、その後、友清は静岡県に移住し、王仁三郎の師で本田親徳の直弟子である長沢雄楯から本田親徳の鎮魂帰神法を学び、これをもとに大本批判の書『乾坤一擲』『事実第一』を著した。
1920年(大正9年)には、静岡県で霊学の実践団体「格神会」を結成し、『鎮魂帰神の極意』および『神仙霊典』を自費出版した。
1921年(大正10年)には山口県防府町(現 防府市)に移住、格神会を「天行居」と改称し、同年、神道霊学の名著とされる『霊学筌蹄』(れいがくせんてい)を著した。
そして、1922年(大正11年)から宮地水位からの霊啓が始まり、地元の高知県図書館で水位の書を読み漁り、宮地水位の「異境忘備録」を自らの思想の中心に添えて行った。
1927年(昭和2年)10月には、自称仙人、自称茶人の堀天龍斎から神道の秘事とされる「太古神法」を授かるが、その中身は本田霊学と水位の異境忘備録の焼き直しであった。
同年11月22日には山口県熊毛郡の石城山上の石城神社で神示「山上の天啓」を拝受して、神道天行居を創設した。
友清は、鎮魂帰神法を続けながら自らの陰謀論を膨らませ、第一次大戦以降、ユダヤのフリーメイソンは世界中の国々を率いて日本に攻めてくると予言し、その時の戦争に備えて日本は霊的に防衛されることが重要と訴え、日本および台湾、朝鮮の聖地に神璽を埋めたり沈めたりして例祭神事を行うべきと主張した。その聖地の中でも特に朝鮮半島の白頭山は最大の聖地とし、友清本人が死後にはこの白頭山に自分の魂を祀ってほしいと信者たちに伝えたほどであった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第32回・第一次大本弾圧事件
大正10年1921年の第一次大本弾圧事件後、仮出獄した出口王仁三郎は、来日し綾部を訪れていたバハイ教の米国人宣教師アイダ・エ・フインチと会見し、王仁三郎は、バハイ教が提唱する世界共通語としてのエスペラント語の普及の話に強く共感し、以後、大本内にもエスペラント語の研究会を設立し、エスペラント語とローマ字の全国普及に努めるようになる。
一方、大正9年1920年に中国で設立された新興宗教で慈善団体の世界紅卍字会との提携に乗り出し、これがきっかけで大本率いる王仁三郎は、世界中の全宗教との連合を企画し、大本の万教同根の精神に基づき、全世界の宗教は信仰対象や信仰内容に関わらず一致団結しようという世界愛善運動を始めた。
大正13年1924年には、王仁三郎は保釈の身でありながら、世界宗教連合会の設立に着手した。
しかし、その直後、王仁三郎は突如思い立って、信者の植芝盛平ら3名を引き連れ、満州入りし、関東軍特務機関の協力を得て、内蒙古の馬賊の棟梁の蘆占魁の率いる千名の匪賊の部下を同行させ、奉天派トップの張作霖から馬賊討伐の為という理由で満蒙の行軍を始めたが、この行軍は王仁三郎にとっては、新蒙古王国の建設であり、蒙古よりエルサレムを目指した世界の精神的統一の運動であった。
しかし、奉天より北西方向に進軍していた王仁三郎の隊列は外蒙古付近で突如南進に方向を変えた為、これは内蒙古独立運動ではないかと張作霖に疑われ、王仁三郎とともに隊列を進めていた蘆占魁らは張作霖の部隊に追討され、戦わずして武装解除の上、全員逮捕され、蘆は即座に銃殺され、王仁三郎たちも銃殺刑が決まったものの、運よく張作霖部隊の処刑担当兵の機関銃が根詰まりしたため処刑は延期となった。
その直後、日本領事館からの歎願により処刑自体が中止となり、王仁三郎一行は間一髪の難を逃れることが出来たのだ。無事帰国できた王仁三郎は、一旦大阪刑務所に収監されたが、ただちに再保釈され、いよいよ、入蒙前からの目的だった世界宗教連合会結成の準備を進め、大本信者で大陸浪人の岡崎鉄首や、大アジア主義者で日蓮主義者の当山満や内田良平らの協力もあり、大正14年1925年の5月20日に、北京悟善社において、世界宗教連合会の発会式が挙行されるに至った。
このようにして発足した世界宗教連合会の総本部は北京におかれることになり、東洋本部は亀岡に設置することになった。
こうして、一見、世界の反戦平和の実現と世界宗教の融和を求めたような世界大家族主義運動を進める一方で、実は、王仁三郎の中ではもう一つのそうした平和的な動きとは相反するような思想的発展が進行していた。
【神道シリーズ・シーズン3】第29回・大本教(その④)出口王仁三郎と出口なおの出会い
大正7年1918年、大本教の初代教主出口なおが83歳で生涯を閉じるまで、大本ではなおのお筆先という全文ひらがなで書かれたメッセージノートが大本神諭として信仰の中心になっていたが、なおの死後は出口王仁三郎に実権が移り、さらに入信加入してきた神霊イデオローグの浅野和三郎や谷口正治らによって大本神諭は恣意的に解釈されるようなり、そうした背景の下、「大正10年立替え論」つまり大正10年に日本も世界も滅んでしまうという大予言が行われ、これに釣られて膨大な数の信者が日本全国的に増え、大正10年1921年の第一次大本弾圧事件の間接的原因ともなって行った。
かつて出口なおは、日露戦争の時に、この戦争が世界大戦に発展して世界は一度滅びると予想し、それが外れたために大本は一時崩壊状態になったが、今回の「立替え説」を教団では「二度目の世の立替え」と宣言し、今回もまた大きく予言が外れる事により多くの信者たちが大本を去ることとなった。
同時に、それまでなおの神諭の解釈を巡って王仁三郎と対立していた浅野や谷口や友清歓真らも大本を去り、それぞれ、心霊科学研究会、生長の家、神道天行居と言った各自の神道系カルト教団を形成して行った。
大正10年頃の社会状況は、第一次大戦が終わって3年経って急速に欧州への輸出が激減した為に町に失業者が溢れる一方、大戦以降高まった国民の所得急増に伴う米不足により、労働争議と米騒動が全国各地に広がり、次第に深まる世界情勢の暗雲の中、大本が発表した終末論「二度目の立替え」予言は膨大な数の人々の気持ちを引き付け、教団は急激に規模が膨張し、政府や警察は大本の動向に注目し、きっかけを見つけて弾圧する機会を虎視眈々と窺っていた。
大正10年1921年2月12日の未明、検事総長平沼騏一郎の指示をうけた京都府警察部長藤沼庄平は、予審判事・検事らとともに、武装警官200人を動員して大本をおそった。すなわち綾部・亀岡・京都・八木における20数ヵ所が、不敬罪および新聞紙法違反の容疑で家宅捜査され、筆先の全部と神体の一部が押収され、大阪梅田の大正日日新聞社に出務中の出口王仁三郎、および綾部に在宅していた浅野和三郎・吉田祐定の三幹部が検挙され、だだちに京都監獄未決監に収容された。そして三幹部は、不敬罪および新聞紙法違反の罪名で起訴されたのである。
敬神尊皇愛国を標榜する宗教団体の幹部が、こともあろうに、不敬罪という罪名で逮捕されるという皮肉的で前代未聞の大事件であった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第38回・霊界物語(その①)
大本教では、第一次大本弾圧事件までは、大本教の開祖・出口なおが自らに憑依した艮の金神からのメッセージとしてすべてひらがなで書かれたお筆先と言われる自動書記の書が「大本神諭」として大本の教典となっていたが、大正10年1921年の大本弾圧事件の時にそのなおのお筆書きはすべて警察に没収された上、焼却されてしまい、しかも禁書となってしまった。
当時、お筆先の写しも無く、ましてや出版もしてなかった為、大本神諭とされた原本のお筆書きはそのほとんどが失われてしまった。
そして、この大本神諭に続いて第二の教典となったのが、第一次大本事件直後から出口王仁三郎によって著述されたのが「霊界物語」である。
霊界物語は、王仁三郎が瞑想しながら語る物語を40人以上の弟子たちが書き取っていくという大変な作業を通じて形成されて行った。
その中には、後に生長の家を創設した谷口雅春も含まれていた。
霊界物語は、第一次大本弾圧事件のあった1921年から5年間と、その後、7年間の中断を経て昭和8年1933年から約1年間のトータルで6年間の月日を経て書かれ、全部で81巻・83冊の超長編物語となった。
その中には、王仁三郎自身が修行時代に亀岡の高熊山の瞑想修行の中で見て来た霊界の姿や、国祖クニトコタチによる宇宙創造や地球の修理固成、つまり、大地や海、川、そして樹木や人や動物が生成される様が描かれ、さらに霊界物語では、彼がその後の瞑想の中で見て来た霊界の歴史を語っている。
王仁三郎によれば、我々が住んでる世界は顕界と言われ、霊界とは、顕界と姿は異なるが、神や神人の住む世界で、言わば顕界のパラレルワールドとでも言える世界で、霊界で起きた事は比喩的に顕界で起き、さらに大本で起きた事は世界で起きる、という世界雛形論がその格子にある。
ストーリーの一貫したテーマは、正義が悪をくじくとき、けっして暴力を用いてはならず、あくまで悪人に諭すことで改心させよ、と言うもので、このパターンのショートストーリーが延々と語られている。
荒唐無稽な話の連続ではあるが、そこには、王仁三郎が一貫して追求した万教同根と世界愛善の精神が貫かれており、人類皆兄弟のようなキリスト教的博愛主義が感じられる。
結果的に見ると、ユダヤ教やキリスト教の世界観の中に日本の古事記神話を組み込もうという図式さえ垣間見えたりするのである。
しかし、この霊界物語は、その後大本を離れて独立宗派を形成した神道系カルト教団全体に大きな影響を与えることになったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第37回・大本教と朝鮮半島
出口王仁三郎は、昭和10年1921年の第一次大本弾圧事件の後の入蒙以後からの5年間と、昭和10年1935年の第二次大本事件の2年前の1年間のトータル7年間に渡って自らが瞑想の中で見た霊界の様子を綴った
幽界物語全81巻を書き上げた。
大本では、霊界で起きた事件は大本で起き、さらに大本で起きたことは世界で起きると言う雛形論思想があり、故に幽界で起きた事は、たとえそれがいかに荒唐無稽な事であっても形を変えた比喩的な方法で大本、つまり顕界と言われる現実の世界でも形を変えて起こるのだと言う。
その幽界では、スサノオは天界より霊界のコーカサス地方に降臨し、カスピ海より西の中東からヨーロッパにかけての地域を統治していたが、数多くの邪神と戦う為に決意を新たにする為、母神のいる根堅洲国、つまり朝鮮半島に向かったが、その前に姉神のいる高天原、つまり、霊界における古代の富士山である綾部の弥仙山を訪ねたが、姉神天照は弟神が襲撃に来たと勘違いし、弟神スサノオが誠意を示すために姉神天照とカスピ海にて誓約を行う事となった。その後、スサノオは、根堅洲国である朝鮮に降り立ち、その地を長く治め、その後、息子の五十猛命とともに出雲に向かい、その後、オノコロ島と言われる日本列島を治めたと言う。
その霊界でのスサノオと朝鮮半島の歴史を反映するように、顕界、つまり現実世界の歴史では、大本の見解では、スサノオは、朝鮮半島のソシモリ、つまり、牛頭山である伽耶山に降り立ち、江原道を中心として伽耶を含む新羅を長らく治め、その後、息子の五十猛命とともに出雲に移り、日本の国造りに励んだと言う。
大本では、日本の古代国家は朝鮮の伽耶からの移民により成され、日本の皇統も檀君であるスサノオから続くものであり、日韓同祖論に基づく歴史観を持っている。
出口王仁三郎は、霊界で、ユダヤ人、トルキスタン人、コーカサス人、満蒙人、朝鮮人、日本人は同じセム語族に属するとという事実を見ており、一方、アラブ人、ペルシャ人、インド人、中国人はハム語族だとしている。
このセム語族説自体は王仁三郎の、霊界で見たとする妄想であるとしても、現在、日本の古代学者の間でも朝鮮南部の伽耶と呼ばれた地域から日本列島に移民した倭人たちが日本の古代国家を築いたのだというのは定説になりつつある。
しかし、この王仁三郎の霊界物語に始まる日韓同祖論は、その後、大本より派生した多くの平田神道系カルト教団にも引き継がれて行ったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第31回・大本教・第一次大本弾圧事件前夜
大正7年1918年、大本教の初代教主出口なおが83歳で生涯を閉じるまで、大本ではなおのお筆先という全文ひらがなで書かれたメッセージノートが大本神諭として信仰の中心になっていたが、なおの死後は出口王仁三郎に実権が移り、さらに入信加入してきた神霊イデオローグの浅野和三郎や谷口正治らによって大本神諭は恣意的に解釈されるようなり、そうした背景の下、「大正10年立替え論」つまり大正10年に日本も世界も滅んでしまうという大予言が行われ、これに釣られて膨大な数の信者が日本全国的に増え、大正10年1921年の第一次大本弾圧事件の間接的原因ともなって行った。
かつて出口なおは、日露戦争の時に、この戦争が世界大戦に発展して世界は一度滅びると予想し、それが外れたために大本は一時崩壊状態になったが、今回の「立替え説」を教団では「二度目の世の立替え」と宣言し、今回もまた大きく予言が外れる事により多くの信者たちが大本を去ることとなった。
同時に、それまでなおの神諭の解釈を巡って王仁三郎と対立していた浅野や谷口や友清歓真らも大本を去り、それぞれ、心霊科学研究会、生長の家、神道天行居と言った各自の神道系カルト教団を形成して行った。
大正10年頃の社会状況は、第一次大戦が終わって3年経って急速に欧州への輸出が激減した為に町に失業者が溢れる一方、大戦以降高まった国民の所得急増に伴う米不足により、労働争議と米騒動が全国各地に広がり、次第に深まる世界情勢の暗雲の中、大本が発表した終末論「二度目の立替え」予言は膨大な数の人々の気持ちを引き付け、教団は急激に規模が膨張し、政府や警察は大本の動向に注目し、きっかけを見つけて弾圧する機会を虎視眈々と窺っていた。
大正10年1921年2月12日の未明、検事総長平沼騏一郎の指示をうけた京都府警察部長藤沼庄平は、予審判事・検事らとともに、武装警官200人を動員して大本をおそった。すなわち綾部・亀岡・京都・八木における20数ヵ所が、不敬罪および新聞紙法違反の容疑で家宅捜査され、筆先の全部と神体の一部が押収され、大阪梅田の大正日日新聞社に出務中の出口王仁三郎、および綾部に在宅していた浅野和三郎・吉田祐定の三幹部が検挙され、だだちに京都監獄未決監に収容された。そして三幹部は、不敬罪および新聞紙法違反の罪名で起訴されたのである。
敬神尊皇愛国を標榜する宗教団体の幹部が、こともあろうに、不敬罪という罪名で逮捕されるという皮肉的で前代未聞の大事件であった。
ヨーゼフ・マルクス:秋の交響曲(完全全曲版)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=c2vmv5v-Izs)。
ヨーゼフ・ルーペルト・ルドルフ・マルクス(1882 - 1964)はオーストリアの作曲家・音楽評論家・音楽教育者で、ウィーン大学教授、ウィーン音楽アカデミー(現ウィーン国立音楽大学)院長などを務めました。プッチーニ、リヒャルト・シュトラウス、ラヴェルなどと交友関係があり、マックス・レーガーやドビュッシー、スクリャービンなどの影響を受けて後期ロマン派に印象派の技法を導入した作風でした。ただ、その音楽的に保守的な立場からナチス・ドイツと親密な関係になり、悪名高い「退廃芸術」追放運動に同調したため、死後は批判の対象となっており、最近になって再評価の機運が高まっているようです。
ヨーゼフ・マルクスの後期ロマン派作曲家としての代表作が、1921年に作曲された「秋の交響曲」です。音楽的には、単なる秋という季節の描写だけではなく、「秋」という言葉から連想される印象(例えば「人生の秋」)をも表現しており、「秋の歌」「真昼の精霊の踊り」「秋の想い」「秋の詩」の4楽章からなる交響曲ですが、4管編成の大規模管弦楽による重厚で濃密な音響はマーラーやリヒャルト・シュトラウスに匹敵し、まぎれもなく重厚長大な後期ロマン派の交響曲といえます。
この作品は翌1922年2月5日にワインガルトナー指揮で初演されましたが、楽団員の練習不足や観客の妨害などによって失敗に終わりました。しかし、指揮者クレメンス・クラウスがこの曲を取り上げ、同年9月28日に再演して成功を収め、これにより「秋の交響曲」はクラウスの主要レパートリーとなり、ヨーロッパにおける知名度の上昇に貢献しました。ただし、クラウスは演奏の際に楽譜にかなり手を入れていて、原曲の演奏時間が70分以上なのに対して、1時間以内に収まるよう短縮されていました。ノーカットの完全全曲版が演奏されて「クラウス版」との違いが知られるようになったのは2005年10月24日のことで、ワインガルトナーの初演から80年以上たって、ようやく作曲家の意図が反映された演奏が聴かれるようになりました。この動画は、翌日の2005年10月25日に再演された完全全曲版のライブ録音になります。
ミシェル・スヴィエルチェフスキ指揮
レクリエーション - グラーツ大管弦楽団
マーラー(シェーンベルク/ライナー・リーン編):大地の歌(室内管弦楽版)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=c5qfjLogT2c)。
1918年、シェーンベルクは当時の現代音楽を選ばれた聴衆に紹介する目的で「私的演奏協会(Verein für musikalische Privataufführungen)」をウィーンで発足させ、1921年に活動を停止するまで数多くの作品の演奏会を開催しました。ただ、当時は第一次世界大戦直後で社会全体が経済的な困難に見舞われた時代であり、演奏規模が大きな管弦楽作品をそのまま演奏するのはほぼ不可能であったため、シェーンベルクとその弟子たちが室内管弦楽団のための小規模な編成に編曲して演奏されていました。
そういった作品の1つとして、シェーンベルクはマーラーの「大地の歌」の室内管弦楽演奏用の編曲作業にとりかかりました。しかし編曲は未完に終わり、私的演奏協会で演奏されることはありませんでした。その後、1983年にドイツの作曲家ライナー・リーン(1941 - 2015)が補筆して編曲版は完成し、少数ながら演奏・録音の機会に恵まれるようになりました。
ジーン・リグビー(メゾソプラノ)
ロバート・ティアー(テノール)
マーク・ウィッグルズワース指揮
プレミエ・アンサンブル
【実況】 今日から始まる害虫駆除物語 Part1920【FKG】
FLOWER KNIGHT GIRLを初見で遊んでいきます。
今回はイベントをやります。
新衣装と物語
あとバッカラ姉さん……
追記:masaさん、松寿さん、
宣伝ありがとうございます!
Twitter:https://twitter.com/Kuwaman_nico
第1回→sm25495134 第1000回→sm35408534
第1919回→sm44306423 第1921回→sm44319770
今までの実況物→mylist/40490823
マーラー(エルヴィン・シュタイン編):交響曲第4番 ト長調(室内管弦楽版)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=aLOtal5ZW6Y)。
1921年、シェーンベルクの友人で弟子の一人でもあったエルヴィン・シュタインは、マーラーの交響曲第4番を小規模な室内管弦楽団で演奏可能なように編曲しました。
シュタインは、シェーンベルクが1918年にウィーンの音楽愛好家に現代音楽を紹介するための団体「私的演奏協会」を設立した際の協力者の一人でした。しかし、この団体は慢性的な財政不足状態であり、大規模な作品は少人数で演奏可能なように編曲されて紹介されることが少なくありませんでした。この編曲版も私的演奏協会で演奏できるように15人編成用に編曲されたもので、原曲からファゴットとホルンのパートは削除されています。
記録によれば、この交響曲第4番は1924年に協会が解散するまでの間に3回演奏されていますが、その後は長い間演奏されることがなく、最近になって再び注目を集めてからは少しずつ演奏機会が増えているようです。
Lucelsy Rodríguez(ソプラノ)
César Eduardo Ramos指揮
Ensemble Habana XXI
【沖縄の声】地対艦ミサイル配備計画、地元紙『中国の反発』を懸念/大正10年(1921年)3月5日は何の日?[H30/3/3]
平成30年3月2日金曜日に放送された『沖縄の声』。本日は、ジャーナリストの恵 隆之介氏が「地対艦ミサイル配備計画、地元紙『中国の反発』を懸念」、「中国三中全会」、「大正10年(1921年)3月5日は何の日?」、「自衛隊の窮状」の4つヘッドラインについて解説いたします。
※ネット生放送配信:平成30年月3月2日、19:00~
出演:
恵 隆之介(ジャーナリスト・沖縄支局担当キャスター)
金城 テル(沖縄支局担当キャスター)
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
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【週刊少年】あ、16年09号のジャンプ読んだ?2/2
火ノ丸相撲(82)/しりこだま!特別出張版/ニセコイ(203)/ブラッククローバー(47)/左門くんはサモナー(18)/ワールドトリガー(129)/トリコ(356)/斉木楠雄のΨ難(181)/銀魂(573)/こち亀(1921)/BLEACH(660)/バディストライク(10)/磯部磯兵衛物語~浮世はつらいよ~(173)/目次/次週予告/
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あ、今週のジャンプ読んだ? という小学校の教室で繰り広げられていた雑談を世界に配信。全作品を掲載順に取り上げます。
twitter : https://twitter.com/read_jump
Podcast版『あ、今週のジャンプ読んだ?』:https://itunes.apple.com/jp/podcast/a-jin-zhounojanpu-dunda/id711388977
過去音源倉庫(作品ごとにカット済み):http://1drv.ms/1ZbrFMb
入野義朗『シンフォニア』(1959) ほか
入野義朗(大正10年/1921年-昭和55年/1980年) 『シンフォニア』(昭和34年/1959年) 指揮:尾高忠明 東京フィルハーモニー交響楽団 ① Lento 00:00 ② Vivace 10:30 『尺八と箏の為の協奏的二重奏』(昭和44年/1969年) 尺八:横山勝也 箏:沢井忠夫 ・18:30 『無伴奏ヴィオラ組曲』(昭和46年/1971年) ヴィオラ:今井信子 ① Sostenuto 27:30 ② Animato 30:20 ③ Adagio 32:45 『ヴァンドルンゲン「轉」』(昭和48年/1973年) 尺八:青木鈴慕、横山勝也 指揮:尾高忠明 NHK交響楽団 ・37:45
山田耕筰『明治頌歌』(1921)『大陸の黎明 ~聖戦讃歌~』(1941)
山田耕筰(明治19年/1886年-昭和40年/1965年) 『交響曲「明治頌歌」』(大正10年/1921年) 指揮:山田耕筰 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 昭和12年録音 ・00:00 『交声詩曲「大陸の黎明 ~聖戦讃歌~」』(昭和16年/1941年) 指揮:山田耕筰 日本放送交響楽団 日本放送合唱団 ソプラノ:浅野千鶴子 テノール:木下保 バリトン:伊藤武雄 作詞:北原白秋 昭和16年録音 ① Moderato 18:20 ② Andante quasi lento 23:48 ③ Tempo di marcia 28:58 ④ Largo 34:34 ⑤ Molto lento 39:55 交響曲「勝鬨と平和」 sm6396813
さいたま博覧会
1988年03月19日~1988年05月29日に埼玉県熊谷市で開催された「さいたま博覧会」の模様です。00:15テーマ舘 14:38未来つくろう館 30:33くまがや館 41:1921世紀交通館(最初のみ)
ギャラと共にシングルレートの高みへ舞う!part1【1921~】
みなさんこんにちは、リチャードと申します。
運がなくても!シングルレートpart3ですが・・・タイトルがタイトルだったのでタイトルを変えました()
普段は生放送の方でシングルレートなど放送をとっています。
動画はS15に最高レートをたたき出したPTです。
ブロマガ→http://richardayson2525.hatenablog.com/entry/2016/05/17/222442
立ち回り、些細な質問等気軽にコメントしてってください!
◇twitter:@richardayson25
◇メール:[email protected]
◇生放送co3190849
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日々アイザック1921日目 命は金と同然
金は命になる。
でも命は金にならないね、このキャラだと。
前→sm40473758 次→sm40494939
mylist/73106421
【ポケモンXY】シングルレート10位をめざす!Part35【対戦実況】
部屋にムカデが出ました。そんな中実況をする僕って実況者の鏡じゃないですか??調子乗りましたすいません
※注意!
この動画は一部乱数産のポケモンを使用しています。苦手な方はブラウザバック推奨です
対戦相手の誹謗中傷はやめましょう
Twitterアカウント @kanbaddi_baggi
前>> sm23804421 次>> sm24053041
開始時のレート1921
mylist/39546610
追記:途中の「モンスト閉じて・・・」ってのはダメ計しようとしたらモンスト開いてたから閉じようとしたってだけです
コミュニティ作りました! → co2248862
フリゲ実況はじめました! → sm23900892
Хамелеон - Бабаджанян
アルメニアの作曲家 アルノ・ババジャニアン(1921 - 1983) は作曲家・ピアニストとして著名ですが、その活動は非常に多岐にわたりました
遺された作品には民族音楽やジャズ風のもの、現代音楽に興を置いたかと思えば歌謡曲も作り、時には自分で歌うこともありました ここではそんな百面相な彼の作品を幾つか集めてみましたー
当時はソ連の中で活動していたので歌詞があるものはすべてロシア語です
歌謡曲のタイトルはその曲の最後に英題と日本語題(見えづらいですけど…)を付したので曲を聞きながらタイトルを想像してみてください♪ ではー mylist/27968231
「ひとりがたり馬渕睦夫」#7 ディープステートの原点を探る
元 URL :https://youtu.be/xxC2giu1bjk
・ブレット・カバノー最高裁判事就任の問題からDSと云ふ問題を探る
・ブレット・カバノー(1965年 - )
米聯邦最高裁判所判事 性的暴行疑惑が起こり野黨から糺彈されたが「賛成50 反對48」の賛成多數で承認され就任 尚最高裁判事の任期は終身制
・DSとは「アメリカの眞の支配者」の事
・DSの原點を探る
・時事問題の背景:歴史問題を理解する必要
・アメリカ建國の精神・國體は、百年前(1912年)より變貌
・1912年の米國
<ウィルソン大統領就任の舞臺裏に仕掛けあり>
・ウッドロウ・ウィルソン(1856年 - 1924年)
第28代米大統領(任期1913年 - 1921年)
第一次大戰終結(十四か條の平和原則)と國際聯盟創設に盡力 ノーベル平和賞受賞・民主黨
・パリ媾和會議(ヴェルサイユ會議・1919年)
第一次大戰の媾和會議の他 聯盟創設へ向けた新體制構築へ向けて協議
日本は「人種的差別撤廢提案」を提案 11對5で賛成多數にも關はらず英米が強引に潰した
・ウィリアム・タフト 第27代米大統領(1909年 - 1913年)
<サミュエル・ウンターマイヤーがウィルソン大統領を恫喝取引、ルイス・ブランダイスを最高裁判事に任命させた>
・サミュエル・ウンターマイヤー(1858年~1940年)
辯護士・法律家 米國財務省顧問を務める
米國猶太人委員會委員長・米國ユダヤ人愛國者聯盟會長等歴任
・ルイス・ブランダイス(1856年 - 1941年)
辯護士・法律家 猶系最初の米國最高裁判所陪席判事
同時にパレスチナに猶太國家を作る運動の先導者
・第一次世界大戰(1914年〜1917年11月11日)
米の參戰は1917年4月 敗戰國は獨、澳地利=洪牙利、オスマン帝國、ブルガリア等
・“英が、パレスチナに猶國家をつくることに同意すれば米は參戰する”と云ふブランダイスらの米猶太勢力の條件
・バルフォア宣言(1917年11月2日)
第一次大戰終了直前に英バルフォア外相から英ロスチャイルド卿(ユダヤ系貴族院議員)に送られた書翰 英政府の政シオニズム支持表明が記される
・現在の米最高裁判事の9名の人事は保守系5、リベラル系4で成立してゐるが、リベラル勢のうちユダヤ系は3人もゐる
・リベラルとはユダヤ思想の事、DSのバックグラウンドである
・米ユダヤ系は、少數派(マイノリティ)なのに力がある理由とは?
◉「ひとりがたり」馬渕睦夫 #7
收録:2018年10月10日 時間:32分
ニールセン:交響曲第5番 作品50、FS.97(バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=5JtlRzKlWYs)。
デンマークの作曲家カール・ニールセンは生涯に6曲の交響曲を作曲していますが、評価が高いのは第4番「不滅」と第5番の2曲とされています。
交響曲第5番 作品50は第一次世界大戦が終わって間もない1921~22年に作曲されました。彼の交響曲のなかで唯一、2楽章構成となっており、ニールセンは本作に明確な標題は付けなかったものの、この2つの楽章について、後のインタビューで「闇と光の隔たり、善と悪との戦い」、「夢と行動」の対立、心の「静」と「動」といった説明をしており、両楽章が対立する事象を示していることを物語っています。また、本作は創造的要素と破壊的要素の戦いに向き合って生き残るという意味で「戦争交響曲」であることもニールセンは明言しています。
本作は1922年1月15日に完成し、10日後の1922年1月24日にニールセン自身の指揮により初演されましたが、第1楽章が称賛された一方で第2楽章は賛否両論だったと伝えられています。
この動画は1962年、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏による録音で、発売当初から名盤として高く評価されました。それまではデンマークという辺境の作曲家といった程度の認識であったニールセンは、この演奏録音をきっかけとして国際的な注目を受け、他の交響曲の演奏や録音も徐々に行われるようになって、最終的にシベリウスと並ぶ北欧最高の作曲家としての地位を確立しました。そしてニールセンの生誕100年にあたる1965年、バーンスタインはデンマークに招かれ、当地のオーケストラと共演してニールセン作品を演奏し、聴衆の喝采を浴びました。
レナード・バーンスタイン指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1929年5月 自作自演)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=cq7hQeRyA4g)。
作曲家であると同時に指揮者、ピアニストでもあったストラヴィンスキーは、88年の生涯のうちに自作自演の録音を多数残しました。そんな彼の自作自演録音はSPレコード時代の1920年代後半から始まっており、その最初期に属するのが、1929年5月に録音された「春の祭典」です。この年の1月には、本作の初演を担当したピエール・モントゥーが世界初録音(sm37246201)を行っており、ストラヴィンスキーの録音はそれに続く2番目となりました。
ただ、ストラヴィンスキーは優れた作曲能力に比べると指揮者としては平均的なレベルにとどまっていたため、この録音でも変拍子の取り方を間違えて指揮している箇所があり、終曲「生贄の踊り」ではテンポが危うくなる瞬間が聞かれます。これについては、指揮の技量に劣るストラヴィンスキーが変拍子を楽譜通りに指揮することをあきらめ、全部4分の4拍子で振ったという話が後々まで伝えられています。実際、後に彼のアシスタントとなったロバート・クラフトは、ストラヴィンスキーが「春の祭典」を何度も改訂したことについて「変拍子をストラヴィンスキー自身が指揮出来なかったため」と明確に述べており、ほぼ事実であろうと考えられています。
一方、演奏されている版は初演時の1913年版や初の出版譜である1921年版とかなり異なっており、この年に出版された1929年版に沿った演奏となっています。更に終曲のティンパニは後年の1967年版に酷似したパターンであり、作品分析において貴重な史料価値のある録音と言えます。
イーゴリ・ストラヴィンスキー指揮
ワルター・ストララム管弦楽団
功績や人柄、その後の活躍を当時リアルタイムで綴った 【アインシュタイン - 寺田寅彦 1921年】 オーディオブック 名作を高音質で https://bit.ly/3HA0J57
【4K】字幕版はこちら⇩
https://bit.ly/3HA0J57
東京ロマンティック恋愛記 https://bit.ly/3nAUplN
日本人女性初のオリンピックメダリスト https://bit.ly/30MbAYN
【恋と愛はこうも違うのである】 チャンス - 太宰治 https://bit.ly/3kUJC4j
上海游記 https://bit.ly/3DEaZH8
恋の一杯売 - 吉行エイスケ 1927年 https://bit.ly/3kROgQf
■一部抜粋
アインシュタインの仕事の偉大なものであり、彼の頭脳が飛び離れてえらいという事は早くから一部の学者の間には認められていた。
この間日本へ立寄ったバートランド・ラッセルが、「今世界中で一番えらい人間はアインシュタインとレニンだ」というような意味の事を誰かに話したそうである。
この「えらい」というのがどういう意味のえらいのであるかが聞きたいのであったが、遺憾ながらラッセルの使った原語を聞き洩らした。
なるほど二人ともに革命家である。
ただレニンの仕事はどこまでが成効であるか失敗であるか、おそらくはこれは誰にもよく分らないだろうが、アインシュタインの仕事は少なくも大部分たしかに成効である。
これについては世界中の信用のある学者の最大多数が裏書をしている。
仕事が科学上の事であるだけにその成果は極めて鮮明であり、従ってそれを仕遂げた人の科学者としてのえらさもまたそれだけはっきりしている。
レニンの仕事は科学でないだけに、その人のその仕事の遂行者としてのえらさは必ずしも目前の成果のみで計量する事が出来ない。
それにもかかわらずレニンのえらさは一般の世人に分りやすい種類のものである。
取扱っているものが人間の社会で、使っているものが兵隊や金である。
いずれも科学的には訳の分らないものであるが、ただ世人の生活に直接なものであるだけに、事柄が誰にも分りやすいように思われる。
これに反してアインシュタインの取扱った対象は抽象された時と空間であって、使った道具は数学である。
すべてが論理的に明瞭なものであるにかかわらず、使っている「国語」が世人に親しくないために、その国語に熟しない人には容易に食い付けない。
それで彼の仕事を正当に理解し、彼のえらさを如実に估価するには、一通りの数学的素養のある人でもちょっと骨が折れる。
#オーディオブック
#アインシュタイン
#寺田寅彦
レスピーギ:グレゴリオ風協奏曲
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=bB5KRHTPTjA)。
レスピーギはローマ三部作や「リュートのための古風な舞曲とアリア」など、数多くの
管弦楽作品によって知られていますが、ピアノやヴァイオリンなどを独奏楽器とした協
奏曲・協奏的作品を10曲以上残した「協奏曲作曲家」であったことは、あまり知られて
いないようです。
そういった協奏曲の1つが、1921年に作曲された「グレゴリオ風協奏曲」です。この作
品を作曲したころのレスピーギは42歳で、交響詩「ローマの噴水」が評価され、この2
年後に交響詩「ローマの松」が作曲されるという、作曲家としての評価が高まり始めて
いた頃にあたります。
この作品は様式としてはヴァイオリン協奏曲ですが、題名が示すようにグレゴリオ聖歌
の旋律を引用して作曲されており、第2楽章では聖歌「ヴィクティマエ・パスカリ・ラ
ウデス(復活のいけにえに)」が引用され、第3楽章は「アレルヤ」の標題が付けられ
ています。
また、教会で歌われる聖歌の合唱に準じて、ヴァイオリンが合唱長、管弦楽が合唱団の
役割を演じることが想定されて作曲されました。そのため、作品の雰囲気は宗教的作品
に近い厳粛なもので、ヴァイオリンは派手な技巧を駆使することなく、管弦楽と融合す
る響きを聴かせます。
本作は管弦楽法の名手であると同時に中世・ルネサンス・バロック音楽の研究に熱心で
あったレスピーギの本領が発揮された、まぎれもない傑作であるといえます。
マティアス・バーメルト指揮
フィルハーモニア管弦楽団
乗合馬車1
1/3 1921年 リチャード・バーセルメス グラディス・ヒューレット マリオン・アボット アーネスト・トーレンス ウォルター・ルイス グリフィスのもと、リリアン・ギッシュと共演した「散り行く花」「東への道」で人気を得たバーセルメスが、グリフィスのもとを離れた年の作品。ヘンリー・キングのサイレント期の代表作でもあるね。翻訳はやっつけで見直してないある。よろし。監督:ヘンリー・キング 2→sm19079113 mylist/31326060
