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<マル激・後半>人を不健康にする健康食品のリスクをそろそろ真剣に考えませんか/松永和紀氏(科学ジャーナリスト)
そもそも健康食品とは何なのか。実はこの問いには誰も答えられない。なぜならば、そもそも健康食品には法的な定義など存在しないからだ。
その一方で、ほとんど効果がないばかりか実際には人体に有害になり得る商品が、「健康食品」の名で日々、大量に売られている。
紅麹を使ったサプリメントによる中毒は、これまでに5人が死亡し270人もの入院者を出す、未曽有の食害事件となっている。医療機関の受診者も1,541人にのぼり、海外でも影響が出ているという。
小林製薬の紅麹コレステヘルプの中毒については、現時点ではまだ原因が特定されていない。しかし、食品安全に詳しい識者の多くが、健康食品産業が野放図に膨張する中で、今回のような事故が起きるのは時間の問題だったと口を揃える。
繰り返すが、そもそも「健康食品」には法律上の定義がない。人が口から摂取するものとしては医薬品と食品があるが、両者は異なる法律によって厳格に区別されていて、認可の基準も大きく異なる。薬機法(旧薬事法)によって厳しく管理されている医薬品と異なり、食品は法的には認可を必要としない。錠剤のサプリメントなどは素人目には限りなく薬に近い存在に見えるかもしれないが、法的にはあくまで食品だ。今回問題となっている小林製薬の紅麹を使ったサプリメントも、医薬品ではなく食品だ。なので今回の事故は薬害ではなく、食害もしくは食中毒ということになる。
食品を売るためには認可などを必要としないが、その分、通常の食品は健康効果を謳うことが薬機法によって禁じられている。ところが1980年代以降の世界的な健康ブームの高まりの中、日本でも特定の食品に健康上の効果を表示して売り出したいという業界からの強い要請があがるようになった。それを受けて政府はまず1991年に食品の中に「特定保健用食品」というカテゴリーを設け、一定の基準を満たした食品については、健康上の効果を謳うことができるようになった。いわゆるトクホである。
トクホというカテゴリーが設けられたことで、許可を得た食品は健康上の効果を謳うことが可能になったが、トクホの認定を受けるためには通常10年の年月と億単位のコストがかかるとされ、そのハードルは決して低いものではなかった。現実的には大手企業でなければトクホの認定を取得することは困難だった。
しかし、2015年に規制緩和を旗印に掲げる安倍政権の下、アベノミクスの一環として新たな食品のカテゴリーとして「機能性表示食品」というものが導入された。これはトクホよりも遥かに簡単な手続きでメーカーが健康食品の効果を謳うことを可能にする制度で、企業がガイドラインに則って効果や安全性を確認し、書類を消費者庁に提出すれば、機能性表示食品となり製品の健康上の効果を謳えるというもの。届け出された書類については消費者庁は形式的な確認しか行わず、よってその内容にも責任を負わない。
機能性表示食品制度の導入によって、国の審査を通過する必要があるトクホに比べて企業は遥かに簡単に商品の健康上の効果を謳えるようになり、これによって売り上げも爆発的に伸びたため、機能性表示食品が市場に溢れるようになった。1991年に導入されたトクホが33年間で1,054件しか認められていないのに対し、機能性表示食品の件数は導入から僅か9年間で6,752件にのぼっている。機能性表示食品制度の導入によって、トクホではとても手が届かなかった中小企業でも健康食品市場への参入が可能になったのだ。
小林製薬の紅麹コレステヘルプもラベルで大きく「悪玉コレステロールを下げる」「L/H比を下げる」と謳っているが、これはこの商品が機能性表示食品としての届け出をしているから許されたものだった。
しかし、機能性表示食品の制度が導入された当初から、科学的な根拠のない健康効果を謳う商品が乱造され、いずれはそれが健康被害を生む可能性があることが懸念されていた。機能性表示食品の届け出をするためには、一応その効果の根拠となる論文を添付しなければならないことになっているが、何とその論文がどの程度権威や信頼性のあるものなのかは問われていないのだ。
科学的な根拠が希薄で、生産管理についても国は一切関与していないが、それでも商品のラベルには大々的に健康上の効果を謳うことができる。多くの消費者は当然それを信じ込み、中には毎日その「食品」を一生懸命に摂り続ける人もいるだろう。今回の紅麹食害はそうした中で起きた、いわば起きるべくして起きた健康食品の食害事件だったのだ。
科学ジャーナリストの松永和紀氏は、食品の特定の成分を抽出してそれをサプリメントの形で摂ることのリスクを強調する。栄養は食品として他のものと一緒にバランスよく摂ることによって効果が生まれるものが多い。食品の特定の成分を抽出・濃縮して摂取すれば、より高い効果が期待できるという性格のものではない。ましてやサプリメントは毎日摂取されることが多いため、特定の物質だけを過剰摂取することになりやすく、健康上のリスクが懸念されると言う。
紅麹コレステヘルプによる食害が起きるべくして起きた事件だと言われる理由は何なのか。そもそも健康食品とは何で、なぜ十分な科学的エビデンスに基づかない効果を謳った商品がこれだけ大量に売られているのか。健康食品ブームを引き起こした健康に対する不安はどこから来ているのかなどについて、松永和紀氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。(松永氏より、今回の番組内の氏の発言は所属する組織の見解を示すものではなく松永氏のジャーナリストとしての見解であることを付記してほしい旨の申し入れがありましたので、ここに追記いたします。)
前半はこちら→so43776101
(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)
<マル激・前半>人を不健康にする健康食品のリスクをそろそろ真剣に考えませんか/松永和紀氏(科学ジャーナリスト)
そもそも健康食品とは何なのか。実はこの問いには誰も答えられない。なぜならば、そもそも健康食品には法的な定義など存在しないからだ。
その一方で、ほとんど効果がないばかりか実際には人体に有害になり得る商品が、「健康食品」の名で日々、大量に売られている。
紅麹を使ったサプリメントによる中毒は、これまでに5人が死亡し270人もの入院者を出す、未曽有の食害事件となっている。医療機関の受診者も1,541人にのぼり、海外でも影響が出ているという。
小林製薬の紅麹コレステヘルプの中毒については、現時点ではまだ原因が特定されていない。しかし、食品安全に詳しい識者の多くが、健康食品産業が野放図に膨張する中で、今回のような事故が起きるのは時間の問題だったと口を揃える。
繰り返すが、そもそも「健康食品」には法律上の定義がない。人が口から摂取するものとしては医薬品と食品があるが、両者は異なる法律によって厳格に区別されていて、認可の基準も大きく異なる。薬機法(旧薬事法)によって厳しく管理されている医薬品と異なり、食品は法的には認可を必要としない。錠剤のサプリメントなどは素人目には限りなく薬に近い存在に見えるかもしれないが、法的にはあくまで食品だ。今回問題となっている小林製薬の紅麹を使ったサプリメントも、医薬品ではなく食品だ。なので今回の事故は薬害ではなく、食害もしくは食中毒ということになる。
食品を売るためには認可などを必要としないが、その分、通常の食品は健康効果を謳うことが薬機法によって禁じられている。ところが1980年代以降の世界的な健康ブームの高まりの中、日本でも特定の食品に健康上の効果を表示して売り出したいという業界からの強い要請があがるようになった。それを受けて政府はまず1991年に食品の中に「特定保健用食品」というカテゴリーを設け、一定の基準を満たした食品については、健康上の効果を謳うことができるようになった。いわゆるトクホである。
トクホというカテゴリーが設けられたことで、許可を得た食品は健康上の効果を謳うことが可能になったが、トクホの認定を受けるためには通常10年の年月と億単位のコストがかかるとされ、そのハードルは決して低いものではなかった。現実的には大手企業でなければトクホの認定を取得することは困難だった。
しかし、2015年に規制緩和を旗印に掲げる安倍政権の下、アベノミクスの一環として新たな食品のカテゴリーとして「機能性表示食品」というものが導入された。これはトクホよりも遥かに簡単な手続きでメーカーが健康食品の効果を謳うことを可能にする制度で、企業がガイドラインに則って効果や安全性を確認し、書類を消費者庁に提出すれば、機能性表示食品となり製品の健康上の効果を謳えるというもの。届け出された書類については消費者庁は形式的な確認しか行わず、よってその内容にも責任を負わない。
機能性表示食品制度の導入によって、国の審査を通過する必要があるトクホに比べて企業は遥かに簡単に商品の健康上の効果を謳えるようになり、これによって売り上げも爆発的に伸びたため、機能性表示食品が市場に溢れるようになった。1991年に導入されたトクホが33年間で1,054件しか認められていないのに対し、機能性表示食品の件数は導入から僅か9年間で6,752件にのぼっている。機能性表示食品制度の導入によって、トクホではとても手が届かなかった中小企業でも健康食品市場への参入が可能になったのだ。
小林製薬の紅麹コレステヘルプもラベルで大きく「悪玉コレステロールを下げる」「L/H比を下げる」と謳っているが、これはこの商品が機能性表示食品としての届け出をしているから許されたものだった。
しかし、機能性表示食品の制度が導入された当初から、科学的な根拠のない健康効果を謳う商品が乱造され、いずれはそれが健康被害を生む可能性があることが懸念されていた。機能性表示食品の届け出をするためには、一応その効果の根拠となる論文を添付しなければならないことになっているが、何とその論文がどの程度権威や信頼性のあるものなのかは問われていないのだ。
科学的な根拠が希薄で、生産管理についても国は一切関与していないが、それでも商品のラベルには大々的に健康上の効果を謳うことができる。多くの消費者は当然それを信じ込み、中には毎日その「食品」を一生懸命に摂り続ける人もいるだろう。今回の紅麹食害はそうした中で起きた、いわば起きるべくして起きた健康食品の食害事件だったのだ。
科学ジャーナリストの松永和紀氏は、食品の特定の成分を抽出してそれをサプリメントの形で摂ることのリスクを強調する。栄養は食品として他のものと一緒にバランスよく摂ることによって効果が生まれるものが多い。食品の特定の成分を抽出・濃縮して摂取すれば、より高い効果が期待できるという性格のものではない。ましてやサプリメントは毎日摂取されることが多いため、特定の物質だけを過剰摂取することになりやすく、健康上のリスクが懸念されると言う。
紅麹コレステヘルプによる食害が起きるべくして起きた事件だと言われる理由は何なのか。そもそも健康食品とは何で、なぜ十分な科学的エビデンスに基づかない効果を謳った商品がこれだけ大量に売られているのか。健康食品ブームを引き起こした健康に対する不安はどこから来ているのかなどについて、松永和紀氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。(松永氏より、今回の番組内の氏の発言は所属する組織の見解を示すものではなく松永氏のジャーナリストとしての見解であることを付記してほしい旨の申し入れがありましたので、ここに追記いたします。)
後半はこちら→so43776271
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【無料版】中国・韓国・香港・台湾の論客が『葬送のフリーレン』を語る(PLANETS 国際批評座談会)
新番組「PLANETS 国際批評座談会」。いま話題の日本コンテンツについて、国外の論客たちとともに議論していきます。
初回に扱う作品は『葬送のフリーレン』です。2023年のアニメシーンを象徴するとともに、「アニソン」のグローバルな評価からも注目が集まった本作は、国外でどのように受け取られているのか。中国・韓国・香港・台湾の有識者とともに議論します。
▼出演者
尹清露(界面新聞社ジャーナリスト、東京大学文化人類学博士課程在学)
孫志尚(小説家、漫画評論家、翻訳家。韓国科学小説作家連帯会員)
煮雪的人(詩人、作家。1991年台湾台北市出身)
張彧暋(立命館大学国際関係学科准教授)
劉婧妍(中国廈門市出身。お茶の水女子大学にてジェンダー社会科学地理学専攻を修了後、外資系企業で勤務)
宇野常寛(評論家・PLANETS編集長)
▼放送日時
2024年2月22日
ハッシュタグは #PLANETS批評座談会
感想やゲストのご希望などは、下記のメールアドレス宛にご連絡ください! [email protected]
宇野常寛の私塾コミュニティ「PLANETS CLUB」へのご参加はこちらから!https://bit.ly/3tqxVJV
提供:オクトパスエナジー
https://octopusenergy.co.jp/
ハッシュタグは #PLANETS批評座談会
提供:オクトパスエナジー
https://octopusenergy.co.jp/
SCHOOL STAGE『ここはグリーン・ウッド』 本編
■『ここはグリーン・ウッド』とは1986~1991年に『花とゆめ』(白泉社)にて連載されていた、 那州雪絵の代表作。主人公・蓮川一也は、初恋の女性が唯一の肉親である実兄と結婚してしまい、失恋のショックから全寮制の名門男子高校「緑都学園」に進学を決意するも、入学前日に胃潰瘍を患い、1か月遅れで入学・入寮することに。しかし、学園附属の寮・通称「グリーン・ウッド」は、寮長の池田光流・生徒会長の手塚忍・同室の如月瞬を始め、“変人の巣窟”と噂される程、一筋縄ではいかない個性派な面子が揃った寮だった!?一也の前途多難な高校生活が、いま幕を開ける―!!
出演:小西成弥 大平峻也 影山達也/長妻怜央/平井浩基 北乃颯希 森 遼 佐野真白 笹森裕貴 小田桐咲也 世古口 凌/寺崎裕香 岡田あがさ 内野楓斗/山田ジェームス武/冨田ヒカル 前川ゆう
原作:那州雪絵「ここはグリーン・ウッド」(白泉社)/脚本・演出:ほさかよう/作詞:浅井さやか/音楽:大石憲一郎/振付:泰智(KoRocK)
©那州雪絵/白泉社
JR九州で働く平成ヒトケタ入社の女性たち 博多駅長は「プライベート充実」を目標に掲げた
九州最大の駅、JR博多駅で現在駅長を務めるのは、平成ヒトケタに入社した鐘ヶ江理恵さん(49)です。制度が今ほど整っていなかった時代に「傷を舐め合いながら」仕事を続けてきた世代。多くの部下を束ねる立場になった今、職場のリーダーとして大切にしていることは何でしょうか。
◆女性としては二代目「辞令に驚いた」
九州の玄関口、JR博多駅。2年半前にJR九州の博多駅長になった鐘ヶ江理恵さん。最初は駅長の辞令に驚いたそうです。
JR九州博多駅長 鐘ヶ江理恵さん(49)
「絶対そんなことないと思っていましたし、私の頭の中に博多駅長っていうのは、まったくゼロ%だったので、ただただびっくりして。無理って思いました。」
◆経理や財務、新規事業から博多駅長に
1987年に国鉄から分割民営化したJR九州は、当初、新幹線もなく、赤字路線を多く抱えていたことから、鉄道以外の新規事業に力を入れてきました。現在では鉄道以外の収入が6割を超えています。鐘ヶ江駅長は、それまで経理や財務と企画、新規事業を担当してきました。
JR九州博多駅長 鐘ヶ江理恵さん(49)
「ここにきて鉄道会社に入社した、鉄道会社の仕事をしていたことを、改めて体で思い出したというか、鉄道事業というのはやっぱり地道にコツコツと働いている縁の下の力持ちがたくさんいて成り立っている事業なので、そこがよく見えて一緒に働くことができて今は良かったと思っています」
◆かつての上司は「背中を押しました」
2018年からJR九州リテールに出向。土産ものを扱う専門店事業の本部長を務めました。
JR九州リテール 本郷譲社長
「お菓子屋さんを買収するとか、新しい業態をはじめるという当社としては珍しいことを彼女は3年間の間にやってきましたね。これはやっぱり特筆すべきことだと思います。男性女性という概念なく抜擢もしましたし、彼女もそれに応えたと思いますね。あの年齢でまったく違う事業本部、まして博多駅長なんていうのはもうピカピカのポストですから、そこに行くっていうことについては背中を押しました」
◆バックヤードの通路脇に設けたコーナー
140人が在籍するJR九州、博多駅のバックヤード。通路脇にコーナーがありました。
JR九州博多駅長 鐘ヶ江理恵さん(49)
「このコーナーはみんな教養を深めようということで、私が自分が読み終わった日経ウーマンとか、ま、本は色んな人が出してますけど、あとは日経新聞も自分が読み終わった分ですが置いています。」
◆掲げた目標 「プライベートも充実させないと」
JR九州博多駅長 鐘ヶ江理恵さん(49)
「仲間を大切にし、仕事を楽しむ前例にとらわれず、日々変革。選ばれる人財となるために、日々自分を磨く。『年休を5日間連続でとろうよ運動』をやっています。やっぱり人間は仕事を一生懸命やるためにはプライベートも充実させないと、そして色んなものをみて見聞を深めるのは大事だよって話をしています。連続してとると他の人がカバーしないといけないので、他の人のカバーをするということも大事なことですので、そういうことをみんなでやっていこうという思いでやっています。」
「私が入社した時は、改札が有人改札だったんですね、人が立っていてお客様から切符をいただいました。まさかこんなに全部機械になっているっていうこと、想像できなかったことがいま起こっていて、本当に30年後どんな世界になっているかっていうのは分からないので、自分の仕事がずっとあるわけではない。そう考えると、自分で生きる道は自分でちゃんと作っていかなければならないから、ほかのことも勉強するんだよっていうふうに言ってます」
◆部下の社員は「行動力ある」
鐘ヶ江駅長について、部下の社員たちは、どのように見ているのでしょうか。
副駅長 前田圭輔さん
「行動力がある、我々社員を導いてくれる上司だなって日々思ってますので、我々は必死にくらいついていってるって感じです」
助役 山本大海さん
「ゴールを示してくれて、それに向かって全員で同じ方向を向いて働ける環境を作ってくれているなと日々思ってます。非常に尊敬しています」
◆平成ヒトケタ入社の女性たち「色々な意味で苦労した」
この日、鐘ヶ江さんが出席した宴会。JR九州に1991年から97年の間に入社した女性社員たちが集う、「平成ヒトケタ入社の女性の会」です。10年ほど前から年に1度集まるようになりました。立ち上げ当時、社長だった唐池恒二相談役はゲストです。
唐池恒二相談役
「10年続くこの会に、当時副社長だった渡辺晴一朗さん(現・JR博多シティ会長)と私が選ばれて高い競争率を勝ち抜いてこの会に臨んでおります」
JR九州の女性社員の割合は16・3%、管理職は6・4%と高くはありませんが、常勤で3人の女性役員がいます。
3人のうち、常務の赤木由美さんは91年入社。この世代の女性たちは互いに傷をなめあいながら頑張ってきた、と話します。
JR九州 赤木由美常務
「初期で入った女性たちは、色んな意味で苦労したので、まだまだ制度がない中、がんばってきました。今は育児も含めて色んな制度ができましたけど、その中では傷をなめあいながら頑張ってきたので、愚痴も上司の悪口もたくさん出ます。でも楽しい会です」
◆職場のリーダーに必要なことは?
JR九州 赤木由美常務
「やっぱり一番大事なのは、部下をどんなふうに育てるかっていうことなので、そこに関しては駅長の鐘ヶ江がいちばん力を入れてると思いますし、それは男性女性関係なく、後輩たちに自分の姿をみせながらひっぱっていっているので、後輩が彼女の背中を見ながら大きくなってくれれば十分だと思います」
1997年入社の鐘ヶ江駅長は、入社3年目と12年目に1年と1年半、それぞれ育児休暇をとっています。
◆転機は、1回目の育児休暇の取得後
JR九州博多駅長 鐘ヶ江理恵さん(49)
「1回目の産休育休をとるまえは、あんまり仕事まかせてもらえないところがありまして、育休とって戻ってきたら、『この人なんかちゃんと働くんだな』って思ってもらったのか、そこから普通に男性と同じように仕事をまかせてもらえたような気がしたんですね。だから逆に『がんばんなきゃな』って思ったんです。今、うちの職場では男性が育児休業5ヶ月とったりとか普通にします。普通がこれなんだっていうのを根付かせるということが大事かなと思っています」
「女性が」ということではなく、男女を問わず、働きやすい職場にする。鐘ヶ江駅長のもと、その環境づくりが進められています。
オリジナル記事を読む
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/981822
浅子佳英×石戸諭×後藤洋平「コムデギャルソンは何を自由にしたのか?」(2021/12/3収録) @asaco4 @satoruishido @Yohei_Goto #ゲンロン211203
無料ダイジェスト動画はこちら!
https://youtu.be/eNRzl5ZgVmg
【収録時のイベント概要】
建築家の浅子佳英さん、ノンフィクションライターの石戸諭さん、朝日新聞編集委員の後藤洋平さんをお招きし、コムデギャルソンを語るトークイベントを配信いたします。開催に際し、登壇者のお三方から、コムデギャルソンとの出会いと思いについてメッセージをいただきました。ぜひお読みください!
【登壇者からのメッセージ】
[浅子佳英さんより]
ぼくが最初にコム デ ギャルソンの服を買ったのは1991年。大学の入学式でスーツが必要になり、それまでスニーカーとTシャツしか着ていなかったので、何を買えばいいのか分からず、きたがわ翔の漫画に出てきたことで唯一知っていたコム デ ギャルソンを買うことにしました。買ったのは確か阪急梅田百貨店。ともかく試着に緊張したことを覚えています。
その後はまたストリートファッションばかりを着ていたのでしばらく離れていたのですが、インテリアデザインの仕事をするようになり、工事で百貨店に入っていると、いつもひとつだけ不思議な店があることに気がつきました。それがコム デ ギャルソンのショップだったのです。当時のショップはポッドと呼ばれるスチールでできた彫刻のような塊が鎮座しているだけで、基本的に他には何もありませんでした。百貨店という百花繚乱の雰囲気の中でそこだけは凛とした空気が流れており、ともかく恐いほど美しかった。それが2度目のコム デ ギャルソンとの出会いです(その辺りのことは『思想地図β vol.1』に書いています)。さらにその後、インテリアを担当していた河崎隆雄さんやコム デ ギャルソンにも取材をして空間デザイン賞受賞の記念冊子をつくったりしました。
という訳で、あまり服には詳しくありませんが、ショップのデザインについてなら何時間でも話せると思います。よろしくお願いします。(浅子佳英)
■
[石戸諭さんより]
コムデギャルソンをはじめて着るようになったのは、社会人になってからでした。高校生の時に図書室にあった『装苑』を読んで、「おぉ男子でもスカートって履いていいんだ。めちゃくちゃかっこいいじゃん」と衝撃を受けて、毎シーズン意識的に追いかけるようになりました。お金がなかったので、古着で赤いタータンチェックのスカートを買い、細いデニムと合わせてそれっぽい感じで真似した記憶があります。
大学生の時も頑張ってバイトをすれば、手に入れることはできたのですがなんとなく親の仕送りももらっている半人前が買う服ではない気がして、ずっと憧れのまま買わないでいました。
社会人になり、自分で稼いだお金で初めて買ったのは、「定番」と呼ばれるシンプルな2ボタンギャバジンの黒ジャケットです。東京出張の帰りに青山の本店で買いました。安い買い物ではありませんでしたが、すごく嬉しかった記憶があります。今でもたまに袖を通しますが、やっぱり素材も含めて素晴らしいなと思います。それ以来、シーズンのうち何か一着は買っています。
『ニュースの未来』でも書いたように、僕にとってコムデギャルソンは独立した精神と気概を象徴する服です。何かに挑戦する人にとって、これ以上ふさわしい服はいまだに登場していないと思うのです。メンズのコレクションラインであるプリュスを中心に語れる貴重な機会でもあるので今から楽しみにしています。(石戸諭)
■
[後藤洋平さんより]
コムデギャルソンの服を初めて買ったのは1995年の秋、大学1年生の時でした。「スリープ期」と称されるシーズンで、顔料インクの数字があしらわれた服です。お金がなかったので、担当(店員)さんに2万円をお支払いして取り置きしてもらい、翌月アルバイト代を抱えて残額を支払って引き取りました。当時の担当さんとは、今も仲良しで、一緒に飲んだり、思い出話などをします。
記者としてファッション担当になったのは7年ほど前で、まだ経験が長いとは言えませんが、パリやミラノ、東京で色んなブランドやデザイナーを取材してきました。コムデギャルソンや川久保玲さんについて何か語るにはおこがましいのですが、自分なりに見てきたこと、着てきた服、見たり着たりして考えさせられたことについてお話させて頂きます。よろしくお願いします。(後藤洋平)
コムデギャルソンは何を自由にしたのか? – ゲンロンカフェ
https://genron-cafe.jp/event/20211203/
九州総合通信局 塩崎新局長が着任会見で抱負「デジタル基盤の整備と活用を行う」
九州総合通信局の新しい局長が会見を開き、「デジタル基盤の整備と活用を行う」と抱負を述べました。
九州総合通信局の新しい局長に就任したのは、塩崎充博氏です。塩崎氏は東京都出身の57歳。1991年に旧郵政省に入省し、情報流通行政局の放送技術課長などを歴任しました。
会見で塩崎氏は「デジタル基盤を整備し、地域活性化や課題解決を図りたい」と抱負を述べました。塩崎氏はデジタルを活用した防災・減災の取り組みや、情報リテラシー教育への支援などを行っていく方針です。
オリジナル記事
https://rkb.jp/contents/202307/202307197035/
THE Sun NMB ep.20 ~ あなたがいた季節 ~
放送日:2023年2月17日
一番好きな歌手は? アイドルは? 映画は? ドラマは? …と問われても、なかなか「この1人」「この1本」とは、表明しづらいものだけど…
1つだけ、即答できる事柄がある。
「一番好きな『声』は?」という問いに対する返答がそれだ。
小泉今日子(主メロ)と鈴木祥子(ハモリ)
プロデューサー小林武史の出世作「あなたに会えてよかった」や
「優しい雨」(c/wは、大沢誉志幸&大村雅朗による大名曲「永遠の友達」!!)でも存分に堪能できる『声』なのだが、中でもとりわけボクが魅かれたのが
アルバム『AFROPIA』(1991年)に収録されている「あなたがいた季節」
失恋をした女の子が、歩道橋の上で夕陽を見ながら、ある「決心」をするという歌だ。
1991年9月、今は無き新宿日清パワーステーションで、顎を挙げ瞳を閉じ、この歌を熱唱するコイズミを目の当たりにしたボクは、そのあと大きな「決意」を身にまとうこととなる…
『あなたがいた季節』 作詞:小泉今日子 作曲:鈴木祥子
あなたがいた あの季節に 負けないほど 輝いて
もっと強い女の子に なれるように 誓ったの
いつかまた会えた時 素敵な顔をしていたいから…
▼出演
めぐる季節に、あなたを想い、そばにいたいと願う面々
▼メールテーマ
1.「NMB劇場・空席多発問題」…あなたが思う原因、改善点、打開策をお寄せください
2. 「9期生の才能発掘合宿」…感想、名・迷場面を教えて!!
3. そのほか、1~2月のトピックについても、レポ・感想をぜひぜひ
ハッシュタグは「 #サンナンバ 」
SOAP MAN(PCエンジン パズルボーイオープニングBGM 原曲)
こん※※は、いんどあたろう№2です。
今回ご紹介する曲は『SOAP MAN(PCエンジン版 パズルボーイ オープニングBGM 原曲)』です。
ゲームに使用された曲とは思えないジャージーな曲調、歌詞もアダルトで艶っぽくて...でも、主人 公の男(SOAP MAN)は超むかつきますね w
まあ、もてない男のやっかみ...と言われてしまえばそれまでですが...
以下、湯浅氏からお聞きしたお話です。
この曲は作者である湯浅氏が1978年~1983年迄所属していたバンド(TRIAD-JAM)時代に制作した曲だそうで、約10年後の1991年に日本テレネットさんより発売されたPCエンジン版「パズルボーイ」のオープニング曲としてゲームの世界に登場したのだそうです。
ただ、ゲーム版のBGMはキャラの動きに合わせるためにテンポをかなり速くして、さらにコミカルな楽曲へとリアレンジした上でPCエンジン(HuCARD)用に同時発音数を変更、調整した後に収録を行ったそうです。
聞き比べてみるとゲーム用の曲と原曲では全く違う曲の様に感じますが、メロディーをよく聞いてみると確かにほぼ同じメロディーなのでPCエンジン版のパズルボーイをお持ちの方はぜひ聞き比べてみて下さい。
このゲームは、私も子供の頃に遊んだことのあるゲームでしたので、今回も凄い~!懐かしい~!...と感動してしまいました。(^^;
それでは、皆様、ご視聴よろしくお願いいたします。
いんどあたろう№2
※今回の参加メンバー
・Vocal:MAKOTO
・Guitar & Guitar arrangement:HEDAY
・ Songwriting & MIDI arrangement:湯浅 稔
【囲碁】竜星戦AIガイド 特集第2弾「往年の名棋士アーカイブ」橋本昌二九段(1) 第1期Dブロック最終戦橋本昌二九段 vs 小島高穂九段
竜星戦AIガイド
特集第2弾「往年の名棋士アーカイブ」橋本昌二九段(1)
第1期Dブロック最終戦 橋本昌二九段 vs 小島高穂九段
対局日:1991年6月10日
解説:榊原章二九段
聞き手:多内結花
記録:馬場智弓
次回【watch/1648540206】
前回【watch/1645031765】
【囲碁】竜星戦AIガイド 特集第2弾「往年の名棋士アーカイブ」岩田達明九段(1) 第1期Bブロック22回戦岩田達明九段 vs 王立誠九段
竜星戦AIガイド
特集第2弾「往年の名棋士アーカイブ」岩田達明九段(1)
第1期Bブロック22回戦 岩田達明九段 vs 王 立誠九段
対局日:1991年6月10日
解説:榊原章二九段
聞き手:多内結花
記録:馬場智弓
次回【watch/1641366904】
前回【watch/1639571586】
【囲碁・新竜星戦出場棋士特集:王 立誠編01】第1期 竜星戦 決勝トーナメント 1回戦 第1局 橋本昌二九段 vs 王立誠九段
【新竜星戦出場棋士特集:王 立誠編】
第1期 竜星戦 決勝トーナメント 1回戦 第1局
橋本昌二九段 vs 王 立誠九段
対局日:1991年7月15日
解説:榊原章二九段
聞き手:多内結花
記録:馬場智弓
次回【watch/1631628245】
【囲碁】竜星戦AIガイド 歴代決勝戦特集~第1期 趙治勲本因坊 vs 石田芳夫九段
竜星戦AIガイド
歴代決勝戦特集~第1期
趙 治勲本因坊 vs 石田芳夫九段
対局日:1991年8月18日
解説:片岡 聡九段
聞き手:多内結花
記録:中村智佳子
次回【watch/1623242823】
【実況】『機動戦士ガンダムF91』(無料版)
無料版は途中までです。
全編ご視聴になるには、PLANETSチャンネルにご入会ください。
全編のご視聴はこちらから→https://nico.ms/so38622508?from=2646
※ニコニコ動画「PLANETSチャンネル」へのご入会はこちらから
https://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd
放送日:2021年4月19日
今回は、『機動戦士ガンダムF91』をNetflixで観ながら実況を行います!
今年は、1991年に本作が公開されてから、30周年になります。
鉄仮面の抱える絶望を、一緒に味わい直しましょう。
▼『機動戦士ガンダムF91』
https://www.netflix.com/watch/70026237
▼出演
宇野常寛(評論家・PLANETS編集長)
※番組では、映画本編の放送はありません。映画のご視聴は、みなさん各自でご準備ください。
※この放送で視聴するのはNetflixで配信されているバージョンです。
ご自宅でステイホームしながら、一緒に映画を視聴してください。
ドルンター&ドリューバー 社団法人ボードゲーム公式ルール動画
カタンの作者、トイバーの1991年ドイツ年間ゲーム大賞受賞作、
『ドルンター&ドリューバー』のルール動画です。
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このゲームをプレイしたい!という方は是非、 ボードゲームカフェONEにもお越しください!
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投稿者:社団法人ボードゲーム カタン池袋リーグ しんちゃん;岩田会長
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洪水多発地域の安徽省住民、洪水防止と災害救援および災害後の生産再開に貢献
中国東部の安徽省阜陽市阜南県という洪水被害が多発する地域に住む人々は、長年にわたって洪水防止と災害救援および災害後の生産再開などに大きく貢献してきた。
中国の地理上の南方と北方の境目となる天然の基準線としての淮河は、洪水防止の「風向計」とも見なされている。淮河の上流と中流の境界に位置する王家壩水門は、歴史的には洪水被害でよく決壊した場所である。1953年7月に竣工した王家壩水門は、13のゲートからなり、29.3メートルの水位安全を保証するように設計されている。王家壩水門は淮河本流蒙窪洪水分流用貯水区域の制御水門である。
王家壩水門の水位が29.3メートルに達し、引き続き上昇する場合、降水と水位の状況に応じて、適時に蒙窪洪水分流用貯水区域の使用を開始する。
7月20日、王家壩水門の水位は29.75メートルに達し、保証水位を0.45メートル超えた。淮河の洪水被害が危機的な状況に入った。
国家水害・干ばつ対策総指揮部の命令に基づき、王家壩水門の13のゲートがすべて開放された。王家壩水門の開放は13年ぶりで、使用開始後16回目となった。
水門開放による洪水の分流をするたびに、域内の住民は避難を余儀なくされ、農地は水没する。洪水分流貯水区域内の住民は、淮河本流の洪水の水位を下げ、中流下流地域の都市・産業・人々の生命と財産の安全を守るために大きな犠牲を払って貢献してきた。
1953年に建設された阜陽市阜南県蒙窪洪水分流用貯水区域の曹集鎮利民村西田坡荘台は、1991年に補強され、30.6メートルの安全な高台となっている。現在24世帯51人がここに住んでいる。
今年洪水を分流して以来、共産党の村支部と臨時支部などの組織は住民を率いて洪水防止・災害救援活動に取り組み、政策や方針の説明、清掃、生活必需品の確保、感染症関連の消毒作業、生産・災害救援、住民への慰問、船による生活必需品の供給とゴミの輸送などを展開してきた。
高台に駐在する医師が保健医療サービスの提供、医薬品の配布、慢性疾患の治療、水害発生後の感染症の発生防止などを担当していた。
洪水が次第に後退した今、村民たちは改めて作物の苗を植え替え、復旧と生産再開に身を投じている。
出稼ぎの都市部から故郷にもどった人によって2016年に設立された紅亮バッグ製造会社は、主に貧困家庭に就職の機会を提供し収入増を図る労働集約型で貧困脱却を目的とする職場である。97人の従業員のうち、貧困状態と認定されたのは48人。同社は主にスーツケース、ランドセル、ヘルメット、防護服などの生産販売と代理加工を行っている。
従業員が洪水分流の影響で高台に孤立したため、会社は15日間操業停止を余儀なくされたが、今は、生産経営活動がすでに回復している。
父の日特集 習主席と父 共通の思い
習近平主席は革命家の一家に生まれ、父の習仲勲氏の大きな影響を受けて成長した。2001年、当時福建省のトップを務めていた習近平主席は、父の誕生日に際してのお祝いの書簡の中で「父から受け継ぎたい貴重で崇高な品性がとても多い」と心の込もったメッセージを寄せている。
習近平主席と父の習仲勲氏には、同じ心がけを重視する思いが息づいている。それは父の愛と責任の伝承をも示している。
習仲勲氏は全国人民代表大会常務委員会副委員長を務めた。福建省福州市での文化財保護をめぐるストーリーがある。この地を故郷とする林則徐氏の旧居や記念館などに、1980年代後半から1990年代初頭にかけて、歴史的な理由から修繕不足や損壊といった問題が生じていた。1990年に習仲勲氏は一連の文化財保護について重要な指示を出した。
翌1991年、当時福州市の共産党委員会書記を担っていた習主席は「林則徐旧居の修繕や墓地の開放を着実にするべきである」との指示を出した。その後も数回にわたり修繕などについて検討。1995年6月3日には、福州の白湖亭で林則徐の銅像の除幕式が行われた。
習仲勲氏による西安の古跡城壁の保護は今でも伝えられているところだ。習近平主席も父と同じように文化の伝承と発展、保護を重視し、「自分の命を大切にするように都市の歴史文化遺産を保護しなければならない」と述べている。
深セン迎賓館の「蘭園」には1本のガジュマルの木があるが、これは習仲勲氏が2000年に自ら植えたものだ。
それから12年を経た2012年、習近平主席が広東を視察した際に、深セン市の蓮花山公園でやはり1本のガジュマルを植えた。習主席はガジュマルについて「粘り強い生命力を持ち、どんな貧しい土地でも土を突き抜け確かに生長できる」と称賛している。
また、習仲勲氏は1950年代、「黄河第一のダム」と呼ばれる三門峡ダムの建設過程で、数回にわたって現場を視察し、ダム建設に科学的な提案を行っていた。
習主席も以前から黄河の保護や治水事業に関心を寄せ、数回にわたって黄河沿岸の9つの省や自治区を視察。「黄河が人民に幸せをもたらす川になるようしなければならない」と語っている。今、黄河流域の生態保護と質の高い発展は、国家戦略に引き上げられている。
「西北地区の人民の公僕を着実に勤める」、これは習仲勲氏の約束だ。「私は人民の公僕であり、人民のために奉仕する人である」、これは習近平主席が終始堅持する執政の理念だ。
習仲勲氏は終始人民に心を寄せ、生涯にわたって大衆路線を実行した。そして習主席も人民に心を寄せ、人民が美しい生活を求めることを奮闘の目標にしている。
同じ目標、同じ思いの行動は、習主席が父と同じように人民のために奉仕していることを示している。
YBO2 - EXTERMINAL FINAL+AFTER BOUNDS (Album Trailer)
2018年3月に発表された完全未発表ライヴ作『EXTERMINAL』の最終パートと、1991年の最初の復活期にあたると思われるライヴ音源パートからなるライヴ作。
『EXTERMINAL』の最終パートはトラックダウンから起こし直したM1~5で、1988年3月にインクスティック芝浦で行われたワンマン公演“EXTERMINAL”を収録した音源から。
これで『EXTERMINAL』と合わせると2枚組スタジオ作『pale skin pale face』でのほとんどのナンバーがライヴ版として聴くことができる。
爆発的な音圧感はこのバンドの凄みを如実に体現しているだろう。
M6~10までの“AFTER BOUNDS”パートは北村昌士が遺したDATから“クアトロYBO2 91”とラベルにほぼ殴り書きされた音源を元にしたもの。
メンバークレジットなどは一切ないが、チェルノブイリ事故にインスパイアされたという代表曲のひとつ「URAL」を、『EXTERMINAL』最終パートでの同曲と様変わりした姿で聴き比べることができる。
YBO2
『EXTERMINAL FINAL+AFTER BOUNDS』(完全未発表ライヴ盤)
2019年2月20日発売
価格価格2500円+税
この商品は、フールズメイト通販では送料無料です。
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[収録曲]
1. AMERIKA~DIE VERWANDLUNG(変身)
2. System of Making Paranoia
3. Sahara Sunrise
4. El Salvador
5. URAL
6. 太陽の皇子
7. Why I……?
8. BOYS OF BEDLAM
9. 空が堕ちる
10. URAL
旧ソ連遺産 紹介動画
超大国の崩壊から四半世紀。壮絶な兵器&原子力施設の廃墟と
世界最高レベルのロケットエンジン試験棟を収録!
米ソ軍拡&宇宙開発競争、ソ連のアフガニスタン軍事侵攻などにより何百兆円ともいわれる膨大な赤字に、チェルノブイリ原発事故が追い打ちをかけた70〜80年代。経済破綻に対する改革(ペレストロイカ)も失敗に終わり、1991年、ついにソ連は崩壊しました。
それによりソ連版スペースシャトルの研究開発は中止し、機体と研究用モックアップは研究開発棟の中で廃墟化(『バイコヌール宇宙基地の廃墟』で紹介)。
本書では、ソ連崩壊で放置された軍用機・軍用車両・ミサイル・パラボラアンテナ・核兵器貯蔵庫の廃墟写真を多数収録しています。また、同様に崩壊の影響で、未完のまま廃墟化した原子力発電所や地域暖房用原子力プラントも紹介。さらに、ロケットエンジン開発の最大手企業の試験棟(Webニュースでは廃墟として紹介された)の、サイバーパンクな姿も20ページ以上割いています。
【政経電論】尊徳編集長が独断と偏見でニュースを斬るトークショー 6月号 PART2
「卑しい奴だ」舛添都知事の騒動にひとりごちる尊徳編集長。ストーキングの末の刺傷事件、大義がないのに実現しそうな衆院解散…日々流れてくるニュースには、どうにも納得できない、許せないものがある。そういったモヤモヤを一気にはき出し、独断と偏見で斬りまくるトークショーです。
◇電子雑誌「政経電論」編集長:佐藤尊德(さとうそんとく)
1967年11月26日生まれ。神奈川県出身。明治大学商学部卒。1991年経済界入社。創業者・佐藤正忠氏の随行秘書を務め、人脈の作り方を学びネットワークを広げる。雑誌『経済界』の編集長も務める。2013年、22年間勤めた経済界を退職し、株式会社損得舎を設立、電子雑誌『政経電論』を立ち上げ、現在に至る。
【政経電論】尊徳編集長が独断と偏見でニュースを斬るトークショー 6月号 PART1
「卑しい奴だ」舛添都知事の騒動にひとりごちる尊徳編集長。ストーキングの末の刺傷事件、大義がないのに実現しそうな衆院解散…日々流れてくるニュースには、どうにも納得できない、許せないものがある。そういったモヤモヤを一気にはき出し、独断と偏見で斬りまくるトークショーです。
◇電子雑誌「政経電論」編集長:佐藤尊德(さとうそんとく)
1967年11月26日生まれ。神奈川県出身。明治大学商学部卒。1991年経済界入社。創業者・佐藤正忠氏の随行秘書を務め、人脈の作り方を学びネットワークを広げる。雑誌『経済界』の編集長も務める。2013年、22年間勤めた経済界を退職し、株式会社損得舎を設立、電子雑誌『政経電論』を立ち上げ、現在に至る。
「保育園のあるところに住めばいい」尊徳編集長があえてちょっと前のニュースを斬る(ほぼ)ワンマンショー PATR2
後編。「保育園落ちた日本死ね!!!」の記事に始まる待機児童問題、18歳以上の投票権解禁を前に高校生の政治活動を規制する愛媛県教育委員会、有名人の不祥事の報道過熱など、報道され尽くした感のある話題をあえて取り上げ、「政経電論」の尊徳編集長が独断と偏見で斬りまくり!
◇佐藤尊德(さとうそんとく)
1967年11月26日生まれ。神奈川県出身。明治大学商学部卒。1991年経済界入社。創業者・佐藤正忠氏の随行秘書を務め、人脈の作り方を学びネットワークを広げる。雑誌『経済界』の編集長も務める。2013年、22年間勤めた経済界を退職し、株式会社損得舎を設立、電子雑誌『政経電論』を立ち上げ、現在に至る。
「保育園のあるところに住めばいい」尊徳編集長があえてちょっと前のニュースを斬る(ほぼ)ワンマンショー PATR1
「保育園落ちた日本死ね!!!」の記事に始まる待機児童問題、18歳以上の投票権解禁を前に高校生の政治活動を規制する愛媛県教育委員会、有名人の不祥事の報道過熱など、報道され尽くした感のある話題をあえて取り上げ、「政経電論」の尊徳編集長が独断と偏見で斬りまくり!
◇佐藤尊德(さとうそんとく)
1967年11月26日生まれ。神奈川県出身。明治大学商学部卒。1991年経済界入社。創業者・佐藤正忠氏の随行秘書を務め、人脈の作り方を学びネットワークを広げる。雑誌『経済界』の編集長も務める。2013年、22年間勤めた経済界を退職し、株式会社損得舎を設立、電子雑誌『政経電論』を立ち上げ、現在に至る。
【政経電論】尊徳編集長と影の編集長(?)鈴木の生企画会議+超会議反省会 PART2
先日開催されたニコニコ超会議の放送で、ついに画面に出てしまった影の編集長・鈴木。もうやけなので出続けることにして、尊徳編集長と企画会議を行います。若い世代に、政治・経済に関心を持ってもらうためにはどうすればいいか、皆さんに意見をうかがいながら企画を作っていきたいと思います!
◇電子雑誌「政経電論」編集長:佐藤尊德(さとうそんとく)
1967年11月26日生まれ。神奈川県出身。明治大学商学部卒。1991年経済界入社。創業者・佐藤正忠氏の随行秘書を務め、人脈の作り方を学びネットワークを広げる。雑誌『経済界』の編集長も務める。2013年、22年間勤めた経済界を退職し、株式会社損得舎を設立、電子雑誌『政経電論』を立ち上げ、現在に至る。
【政経電論】尊徳編集長と影の編集長(?)鈴木の生企画会議+超会議反省会 PART1
先日開催されたニコニコ超会議の放送で、ついに画面に出てしまった影の編集長・鈴木。もうやけなので出続けることにして、尊徳編集長と企画会議を行います。若い世代に、政治・経済に関心を持ってもらうためにはどうすればいいか、皆さんに意見をうかがいながら企画を作っていきたいと思います!
◇電子雑誌「政経電論」編集長:佐藤尊德(さとうそんとく)
1967年11月26日生まれ。神奈川県出身。明治大学商学部卒。1991年経済界入社。創業者・佐藤正忠氏の随行秘書を務め、人脈の作り方を学びネットワークを広げる。雑誌『経済界』の編集長も務める。2013年、22年間勤めた経済界を退職し、株式会社損得舎を設立、電子雑誌『政経電論』を立ち上げ、現在に至る。
【超トーク】教えて、若い人!@超会議2016 PART4
グラドル岸明日香ちゃんの連載告知もしつつ、なんとか2時間の枠を走り切った尊徳編集長。見た目は元気ですが、内容はヘロヘロです。
--番組概要--
ニコニコ超会議に初参戦することになった電子雑誌『政経電論』の尊徳編集長。彼は20年以上にわたって経済誌を手掛けてきた、政治・経済のオモテもウラもよく知るベテラン記者だ。でも、10~30歳代の若い世代の考えに「?」なときもある。というかほとんどわからない。みんな、政治についてどう考えてるの?
アラフィフ編集長が、自分より年下の人たちと一緒にトークして、若い世代の政治観を吸収する番組です。
◇佐藤尊德(さとうそんとく)
1967年11月26日生まれ。神奈川県出身。明治大学商学部卒。1991年経済界入社。創業者・佐藤正忠氏の随行秘書を務め、人脈の作り方を学びネットワークを広げる。雑誌『経済界』の編集長も務める。2013年、22年間勤めた経済界を退職し、株式会社損得舎を設立、電子雑誌『政経電論』を立ち上げ、現在に至る。
【超トーク】教えて、若い人!@超会議2016 PART3
勢い余って隣のブースに文句をつけ始めた編集長。一方、大学生のウエハラ君のトーク慣れ感に脱帽です。
--番組概要--
ニコニコ超会議に初参戦することになった電子雑誌『政経電論』の尊徳編集長。彼は20年以上にわたって経済誌を手掛けてきた、政治・経済のオモテもウラもよく知るベテラン記者だ。でも、10~30歳代の若い世代の考えに「?」なときもある。というかほとんどわからない。みんな、政治についてどう考えてるの?
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【超トーク】教えて、若い人!@超会議2016 PART2
大学生のウエハラ君も参戦して、編集長の“若者思考”を高めます。
--番組概要--
ニコニコ超会議に初参戦することになった電子雑誌『政経電論』の尊徳編集長。彼は20年以上にわたって経済誌を手掛けてきた、政治・経済のオモテもウラもよく知るベテラン記者だ。でも、10~30歳代の若い世代の考えに「?」なときもある。というかほとんどわからない。みんな、政治についてどう考えてるの?
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◇佐藤尊德(さとうそんとく)
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【超トーク】教えて、若い人!@超会議2016 PART1
ニコニコ超会議に初参戦することになった電子雑誌『政経電論』の尊徳編集長。彼は20年以上にわたって経済誌を手掛けてきた、政治・経済のオモテもウラもよく知るベテラン記者だ。でも、10~30歳代の若い世代の考えに「?」なときもある。というかほとんどわからない。みんな、政治についてどう考えてるの?
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◇佐藤尊德(さとうそんとく)
1967年11月26日生まれ。神奈川県出身。明治大学商学部卒。1991年経済界入社。創業者・佐藤正忠氏の随行秘書を務め、人脈の作り方を学びネットワークを広げる。雑誌『経済界』の編集長も務める。2013年、22年間勤めた経済界を退職し、株式会社損得舎を設立、電子雑誌『政経電論』を立ち上げ、現在に至る。
山本一太の直滑降ストリーム@Cafesta ゲスト:出口最一(演劇プロデューサー)
“大臣×大臣”など他では見られない番組を届けてきた
「山本一太の直滑降ストリーム」が、装い新たに
「安倍自民党総裁ネット戦略アドバイザー
山本一太の直滑降ストリーム@Cafesta」として再スタート!
2016年3月2日(水)のゲストは、
出口最一 (演劇プロデューサー)です。
どんな対談になるのか、ぜひご覧ください。
◆出口最一(でぐちまこと)
1959年生まれ/奈良県出身・京都外国語大学卒業
大学卒業後、「劇団四季」で俳優として活動。
1987年にニューヨークに渡り、「サークルレパートリーカンパニー」に
所属し、製作補佐、演出助手を経験。
1991年にオフ・ブロードウェイ・ミュージカル「ブルーマングループ」を
立ち上げ、プロデューサーのひとりとして制作に携わる。
昨年10月から上演中のオフ・オフブロードウェイ・ミュージカル
「トリップ・オブ・ラブ」の総合プロデューサーを務める。
世界の最前線で奮闘するクールジャパン人材のひとり。
◆山本一太(参議院議員) 公式HP / 公式Twitter(@ichita_y)
1958年1月群馬県生まれ/中央大学法学部卒業/米国ジョージタウン大学大学院修了
1995年参議院議員通常選挙にて初当選(現在当選4回)
外務副大臣、外務政務次官、参議院外交防衛委員長、参議院自民党政策審議会長、
自民党外交部会長、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策 科学技術政策 宇宙政策)、
海洋政策・領土問題担当、情報通信技術(IT)政策担当などを歴任。
現在、自民党総裁ネット戦略アドバイザー。
■「山本一太の直滑降ストリーム」チャンネルは ⇒ こちら
■過去の生放送番組をタイムシフトで視聴されたい方は ⇒ こちら
ボートレース年鑑#4 1990年・1991年
ボートレース年鑑#4 1990年と1991年のビッグレースをプレイバック
カルチャークラブZ「町あかりがカルカルにやって来る!」2014年5月8日放送
デイリーポータルZと東京カルチャーカルチャーが(だいたい)隔週木曜日21時〜生放送している番組「カルチャークラブZ」
生放送はこちらから
過去放送のアーカイブはこちらから
テレビ朝日『musicるTV』でも話題騒然! 中毒性の高い歌でドハマリしている人多数のシンガーソングライター・町あかりがカルチャークラブZに登場! 「22歳の昭和アイドル」というキャッチフレーズの通り、1991年生まれなのにどうしてこんなに昭和感がただよっているのか……!? 色々と謎の多い町あかりをリアル昭和生まれのMC陣が迎え撃ちます!?
出演:林雄司(デイリーポータルZ)、横山シンスケ(東京カルチャーカルチャー)、北村ヂン(カルチャークラブZ)
ゲスト:町あかり