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劉裕即位! 南朝の始まり【夕刊シチ 5月28日号 419年09月】
【419年09月】
資治通鑑原文2207文字(206/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
5/25-劉義隆-7/2
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
5/23-檀道済-6/14
5/23-崔浩-6/29
5/26-劉義慶-6/23
【できごと】
劉裕、王に。もはや完全に曹操親子、司馬師親子と同じルートです。明確に違うのは、自らの君主をすでに手にかけていること。そのうえでさらに恭帝に禅譲の詔勅を書かせました。この時恭帝は「桓玄の時に滅んでいたはずが永らえただけだ」と、粛然と劉裕から押し付けられた草稿を清書しました。そして、禅譲の儀。このとき劉裕の即位を喜ぶ謝晦の隣で、徐広という人物が人目もはばからず号泣しています。いわく「わしにとっては今この瞬間、仕えていた国が滅んだのだ」。同じことは曹丕の即位の時にも陳羣が言っています。これは儒者の気骨か、皇帝の度量のアピールか。それぞれの物語の基準に応じて解釈するのが良いのでしょう。恭帝は零陵王とされ、また北魏以外の各国には官位をばらまきます。
劉裕の子供たち、甥たちも次々と王位につきます。そしてこの流れで劉裕の即位を見ることの叶わなかった劉穆之の爵位追贈もなされ、合わせてここで「穆之が死んでから、俺は軽んじられるようになった」という劉裕のボヤキが載せられます。司馬光さん、たぶん劉穆之への追贈、このボヤキをねじ込むために入れています。劉裕の即位にケチをつける気満々です。そしてさらに司馬光さんは、ここに拓跋嗣のコメントを載せます。いわく、「俺はこれまで天なぞ信じていなかったが、ここに来て初めて信じる気になった」と。
めでたく劉宋が立ちました。この頃北はどうでしょうか。沮渠蒙遜が西秦に攻め込んだので、これを好機と李歆が北涼に攻撃を仕掛けようとします。臣下や、母親までもが李歆を止めますが、聞きません。こうして李歆は出撃。すると沮渠蒙遜、ある程度まで西涼軍を引き付け、後戻りができなくなるタイミングで転進、西涼軍に襲いかかり、大破します。この戦いで李歆は戦死。沮渠蒙遜は西涼の都も一気に陥落させました。ここで沮渠蒙遜は城への略奪を禁じ、また人士らを厚遇します。中でも李歆の母、尹氏の気骨は、沮渠蒙遜より大いに賞賛されるところとなりました。西涼は残党がさらに西に逃れはしましたが、ここに、ほぼ滅んだと言っていいでしょう。十六国、残るは北涼、西秦、夏、北燕。……意外と残ってますね?
長安陥落! 帝を弑す【夕刊シチ 5月27日号 418年10月】
【418年10月】
資治通鑑原文3504文字(119/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
5/25-劉義隆-7/2
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
5/23-檀道済-6/14
5/23-崔浩-6/29
5/26-劉義慶-6/23
【できごと】
いよいよ長安に赫連勃勃が接近します。完全に風雲急を告げています。ところでトップ将には二人の補佐官がつきます。軍事畑の司馬、事務畑の長史です。ここで劉義真の司馬は死んだ王鎮悪で、長史は王修といいました。そしてここで、劉義真はわがまま坊主のうえ、王修によく叱られていました。まあ当時の劉義真、十歳ですしね。やむを得ない。しかし問題は、そのわがまま坊主が大権握る長安の長官だったことです。王鎮悪周りのドタバタにかこつけ、劉義真、王修を処刑。これが長安に取り、トドメとなりました。軍の統率は完全に失われます。これを聞いた劉裕は慌てて朱齢石を送り込みましたが、時既に遅し。またたく間に長安は陥落し、朱齢石をはじめとした多くの将軍が戦死、捕縛。劉裕の北方計略、完全破綻のお知らせです。怒った劉裕は再度軍を編み、長安奪還を言い出しますが、謝晦らに諫止され、諦め、長安の方を向いて涙しました。劉義真はなんとか長安を脱出、帰還を果たします。
赫連勃勃の長安平定戦は、その大枠が王買徳の差配によるものでした。このため王買徳への寵愛は、いよいよマックスに。そして赫連勃勃は皇帝を名乗ります。ただし都は長安でなく、統万城のままでした。北魏と対抗するためには、長安では心許ない、がその理由とのことです。あと引き続き取ってつけたような暴虐エピソードが乗りチベスナ顔を禁じえません。
ここで北魏の話をしておきます。彗星が天をよぎったということで、これはいったいどの国の凶兆なのだろうか、と拓跋嗣が問いました。すると崔浩が「晋でしょう」と答えます。つまり、劉裕による簒奪です。
晋には「昌明の後になお二帝あり」という歌が流行っていました。昌明とは孝武帝のこと。安帝では、まだ一人。ということで劉裕、安帝を暗殺。司馬徳文を皇帝に立てます。恭帝です。
このころ、北涼に追い詰められた西涼の李歆は逆襲を言い出します。臣下らはみな、どころか母親までもが「今は内政に専念してください!」と諫めますが、聞きません。もうこれまで何度も見たパターンが、涼でも起こるようです。
と言うわけで、次回。滅びます、二つの国が。
Beati mortui(男四/絆合唱団・Choir Bond)【合唱MV】
今回の【合唱MV】は、メンデルスゾーンの
「Beati mortui」です。
この曲は、メンデルスゾーンが、1830年代に
作ったとされる、男声四部合唱の曲です。
作曲年に関しては諸説あります。
『ヨハネの黙示録 第14章13節』をテキストとした
楽曲で、よく演奏されています。
日本では、これも諸説あるのですが、同志社グリー
クラブが、1929(昭和4)年に演奏したのが
最初ではとされています。
今回は、絆合唱団[スコアメーカーZERO]と
Choir Bond[Voisona]の機流音で演奏させています。
歌詞の日本語訳は、MachineTranslation.comで
翻訳した複数の訳を元に、当方でまとめたものです。
YouTubeにもアップしました。同じものです。
https://youtu.be/cgfVWess1FI
男声四部合唱
Beati mortui
元のテキスト ヨハネの黙示録 第14章13節
作曲 Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy
(メンデルスゾーン)
指揮(音源・動画制作)
絆一二三(きずなひふみ)
合唱
絆合唱団[スコアメーカーZERO]
Choir Bond[VoiSona]
全パート 機流音
使用サイト
イラストAC
MachineTranslation.com
使用ソフト
スコアメーカーZERO
VoiSona
PowerDirector 365
Audacity
ワープドライブ/高瀬るち feat. 初音ミク
YouTube版 https://youtu.be/Mjj9bQoQGxc
ボーカルは初音ミク
作曲映像は高瀬るち https://x.com/TakaseRuchi
BPM 195
オフボーカル https://piapro.jp/Ruchi365
劉穆之死亡! かかる暗雲【夕刊シチ 5月26日号 417年10月】
資治通鑑原文2680文字(163/365位)
【登場人物】
・メイン
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
5/25-劉義隆-7/2
・準メイン
4/28-赫連勃勃-6/3
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
5/23-檀道済-6/14
5/23-崔浩-6/29
劉義慶-6/23
【できごと】
劉裕が関中を落として起こったこと。それは関中の民の北魏亡命でした。これについては判定が難しいところです、なにせ魏書なら普通に晋の北伐を悪事としてこのあたりを盛ってくるだけの信頼があります。とは言えむやみに疑ってもしかたがありませんので、「これは実際にあった」としておきましょう。劉裕の南燕での所業を思えば、ありえない話でもありません。
さて、ここで一度、拓跋嗣自ら北燕を攻撃。民をさらい、帰還しました。そして兵糧を南方に集め始めます。劉裕にナメられたことに対する仕返しを計画し始めたようです。この動きを察知したか、過去に劉裕に滅ぼされた刁氏の生き残り、刁雍が「晋を伐ちたい」と願い出てきました。復讐の時来たれり、というわけです。
長安の劉裕に、劉穆之死亡の報がもたらされました。実のところ、北伐は劉穆之の後方調整及び支援の賜物でした。「その死によって建康の政務が回らなくなった」とありますから、ただ事ではありません。任務を引き継いだ徐羨之は指揮官ではありません。そこで劉裕は慌てて彭城に戻ります。長安を次男の劉義真に任せ、その補佐に王鎮悪をつけて。すると、直後長安を狙ってきた赫連勃勃を前に、王鎮悪は後ろから刺されて死亡。しかも、王鎮悪を殺した将は防衛軍略の片翼を担うような立場でしたが、その暴挙が理由で、やはり処刑されます。これで関中の指揮系統はズタボロとなりました。赫連勃勃にしてみれば、勝手に関中というケーキを食べやすく切り分けてもらえたようなものです。
一方、劉裕は彭城まで帰還したところで豫章郡公から宋国公に昇格しました。ここで言う「国」とは晋の臣下でありながら、独自に朝廷を持つことが許される立場です。体面では「その絶大な権力を晋のために振るってほしい」ですが、ではその内実はどうでしょうか、というわけですね。
西秦は引き続き地味に勢力拡大、北涼はいよいよ西涼に攻撃開始。このとき李歆は晋に涼公継承を報告していますが、これは実質「助けて晋えも〜ん!」的悲鳴のように思えてなりません。晋もその承認をした、という使者は送っていますが、その本心は「まぁ遠方のことだし適当にどうぞ!」程度の感覚であったのかもしれません。
[英傑大戦]365日間毎日ゲーセンに通いたいという気持ちはある 第120回
sm46349621←その119 mylist/72863834 その121→
性悪説で遊んでみました。
もう一声欲しいけど面白い。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
使って欲しいカードとかデッキ募集中です。
後秦滅亡! 周辺諸国は【夕刊シチ 5月25日号 416年11月】
資治通鑑原文5847文字(46/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
5/24-劉義隆-7/2
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
5/23-檀道済-6/14
5/23-崔浩-6/29
【できごと】
北魏は劉裕の後秦討伐をどのように考えていたでしょうか。崔浩が拓跋嗣に話しています。「後秦では到底劉裕には勝てません。あれは漢の献帝にとっての曹操のようなものです。ただ北に赫連勃勃がいる以上統治は安定しないでしょうし、その勃勃も所詮粗暴なだけの小者。関中獲得のために、陛下はただ座して待っておられれば良いのです」と。この話を聞き、拓跋嗣はその通りだ、と大いに笑っています。
洛陽を落とした劉裕のもとには乞伏熾磐が後秦討伐に参与したい、と申し出、劉裕もそれを受け入れています。そして西進。途中王鎮悪が独断で突っ走って要衝の潼関を前に敗走という珍事も起こりましたが、その要衝も抜き、ついに長安へ。長安はただでさえ内憂に悩まされていたところに漢中から、襄陽からの各方面軍にも牽制を受けており、そこにさらに本軍の到着です。なすすべもなく長安は陥落しました。ただこのとき北魏軍が洛陽の東にある虎牢と言う城を奪ったとも書かれており、どうも、思ったより劉裕が動員した軍の規模は大きくなさそうです。この点について一つ、面白い話を載せておきます。この後秦討伐軍ですが、「どのくらいの規模であったかの情報が、一切載りません」。ともあれ姚泓は捕らえられ建康にて処刑されました。ここに後秦が滅びます。
さて、この長安陥落。周辺諸国はどう感じたことでしょう。一番面白いのは沮渠蒙遜で、この事態に対して激怒しています。たぶん旨いところをぶんどれなかったことに対して怒ったのでしょう。赫連勃勃のもとには劉裕から使者がよこされており、赫連勃勃はその対応をカンペ丸暗記という荒技で乗り切り、劉裕を唸らせています。そして西秦は実際にどの程度長安陥落に貢献できたのか不明です。あと例によって吐谷渾を攻撃して王の吐谷渾樹洛干を死に追いやりましたが、そのあとを継いだ吐谷渾阿柴が名君であり、その勢力を却って強盛にした、と書かれます。
また、ここで西涼の李暠が死亡、息子の李歆が立ちましたが、残念ながら父親ほどの統制力は持ち合わせておらず、以降西涼は沮渠蒙遜にボコされることになります。あわれ。
と言うわけで劉裕、長安獲得。天下統一まであと一歩、ですねっ☆
洛陽奪還! 劉裕の神速【夕刊シチ 5月24日号 415年12月】
【415年12月】
資治通鑑原文4287文字(87/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
劉義隆-7/2
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興▲
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
5/23-檀道済-6/14
5/23-崔浩-6/29
【できごと】
北魏は拓跋珪が最強の将そのものであったため、なかなか配下将が目立ちませんでした。ここで特筆に値する将が二名出ます。叔孫建と、于栗磾です。ここで北燕とのいざこざもあったりもしますが、大局が動くほどではありませんでした。
西秦と北涼は幾度かの戦いの末、ここで和睦。その目的は、まあ後秦領のぶんどりと見て差し支えないでしょう。姚興は病気を理由に中央から離れようとしますが、ここで姚弼が、今度は姚興の暗殺をもくろみます。これはもうどうしようもありません。ついに姚弼を自殺させると、そのまま姚興も死亡。姚泓があとを継ぎましたが、その権威は父と兄のおかげでどん底です。夏や西秦がひっきりなしに攻めてくるほか、次々と内乱が勃発。この頃姚碩徳は既に亡く、姚泓は叔父の姚緒に頼り、その内乱を鎮圧させました。
この事態を受け、誰が動くでしょうか。劉裕です。大規模な北伐の軍を編成し、建康には嫡子の劉義符を置き、襄陽から、寿春から、彭城から、果てには漢中それぞれから軍を発し、侵攻。このとき、あえて総大将を司馬徳文としました。王鎮悪や檀道済を先鋒とし、自身は一度先祖の故郷たる彭城にて先祖「と設定されていた」劉交、すなわち劉邦の弟、および「早期に引退を申し出、大権に与ろうとしなかった」張良を祀ります。そして彭城には三男の劉義隆を置き、さらに北上。黄河南岸にまで出ます。このとき黄河が北魏との勢力境界線となっており、これはもう北魏に対する示威行動にも等しいものでした。「後秦攻めを邪魔したらお前らに襲いかかるからな」というわけです。このため北魏は散発的な妨害行為しかできず、劉裕の進軍を許します。
一方、先発隊です。錚々たる名将たちに攻められてしまえば、洛陽の守りなど紙切れに過ぎません。あっという間に陥落。ここで司馬徳文に晋の先帝らの陵墓を修復させます。桓温のようにいち将軍ではなく、皇帝の弟によるものです。これを成し遂げた劉裕の功績は未曾有のものであるとして、宋書武帝紀は「劉裕くんの功績ヤバい!」と褒めちぎる安帝陛下のお言葉が長々と載ります。ただしこれは劉裕の配下、傅亮の筆によるもの。文武揃ってのパフォーマンス、絶好調です。
[英傑大戦]365日間毎日ゲーセンに通いたいという気持ちはある 第119回
sm46292112←その118 mylist/72863834 その120→sm46355102
新verです。
薄暮の銃弾で遊んでみました。
9発は凄い。
使って欲しいカードとかデッキ募集中です。
司馬休之敗走! 後秦は不安【夕刊シチ 5月23日号 414年12月】
【414年12月】
資治通鑑原文3976文字(101/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
5/18-檀道済-6/14
崔浩-6/29
【できごと】
司馬休之周りが不穏になるのに連動してか、北魏との国境付近で司馬氏宗族による動乱が起き、その地の守りを任されていた劉敬宣が殺されたりしています。しかし劉裕はそちらを捨て置き、司馬文思周りで曖昧な態度を取る司馬休之を朝敵と設定、攻撃を仕掛けます。司馬休之はこの動きに対抗、あわせて襄陽の魯宗之もこのままでは滅ぼされる、と司馬休之に合流しました。なお劉裕は司馬休之の配下に「司馬休之以外を敵とするつもりはないので我が元に降れば誠意を示そう」と手紙を送りましたが、「お前のどこに誠意があるのだ!」と長々とした罵倒を喰らっています。この罵倒は宋書武帝紀にもまるまる載っています。隠しきれなかったのか、あるいはこれを載せることが皇帝の度量の証、としたのでしょうか。ともあれ劉裕はこの戦いで自分の娘婿を失うも、戦いそのものは完勝。司馬休之および魯宗之は後秦に亡命しました。荊州には劉裕の無能なほうの弟である劉道憐がつきましたが、実務を回したのはその臣下でした。なお宋書楽志には、劉裕の娘である劉興弟のもとに丁旿が訪問、夫の死に様を報告し、彼女を慟哭させた、という話が載っていてとてもえっちです。
北魏の官制礼制を整えた崔宏には息子がいました。崔浩と言います。既に一回名前を挙げていますけれど。このひとは天文読みに抜群の才覚を示しており、この頃からいよいよ本格的に拓跋嗣のご意見番として取り立てられるようになります。たとえば火星の動きから「間もなく後秦が滅ぶでしょう」と予言をして他者より総おこられを喰らい、黙って退く、などです。なお間もなく後秦では大干魃が起こり、崔浩を怒った皆さんは「当たってる!?」と驚いたそうです。なお三年後。
赫連勃勃は引き続き後秦を攻撃。そうした中姚興はクーデターを起こした姚弼を許してしまいました。その病もいよいよ重篤となっており、姚興の判断および病状が後秦に政情不安を引き起こしています。
北涼の沮渠蒙遜のもとには、蜀を守る朱齢石からの使者がもたらされていました。ここで沮渠蒙遜は晋と共に中原の五胡勢力、すなわち北魏や後秦の撃滅をする、と誓っています。この動きはまさしく近攻遠交。劉裕による後秦討伐の時が迫りつつあるのを感じさせられますね。
オーバーライド(女声三部合唱風/Choir Bond・Voice 123)【ホントの合唱】
「ハッピーアンドエンド」の吉田夜世さんつながりで、
昔YouTubeに上げた「オーバーライド(女声三部合唱風)」を
Choir Bond[VoiSona]とVoice 123[NEUTRINO]で
作り直しました。
原曲のMVとoffvocalをお借りしました。
偉大なる原曲
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43083649
https://www.youtube.com/watch?v=LLjfal8jCYI
原曲制作Staff
曲,詞,動画,Mix,Mastering:吉田夜世さん
歌唱:重音テト(Synthesizer V AI)
指揮[音源・動画制作]
絆一二三(きずなひふみ)
合唱
Choir Bond[VoiSona]
S IA・こむらさきももか
M IA・知声
A 一花・知声
Voice 123[NEUTRINO]
S めろう・東北ずん子
M SEVEN・東北きりたん
A 四国めたん・ずんだもん
使用ソフト
スコアメーカーZERO
VoiSona
NEUTRINO
Audacity
PowerDirectou365
南涼滅亡! 禿髪は源氏に【夕刊シチ 5月22日号 414年01月】
【414年01月】
資治通鑑原文3387文字(128/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
5/18-檀道済-6/14
【できごと】
劉裕の権勢はいよいよ頂点、しかしあと一人、最後の一人が待ち受けます。司馬休之です。とは言えこれまでの措置をみていると、劉裕が実権を握った後、司馬休之からどのように権勢を剥ぎ取るかの試みが続けられており、結局それがなかなか上手く行かなかった、と言う印象にもなります。と言うわけで劉裕、ついに「お前の息子が建康で悪さばかりしている、荊州に送り込むので処刑しろ」と難癖をつけました。これに逆らったら謀反と見なすぞ、と言うわけです。なかなかに無茶を仰る。
外側にだいぶ虫食いの出た後秦ですが、中もヤバい。後秦の太子は姚泓でしたが、その兄である姚弼は才覚があり、しかも姚興よりの寵愛を受けていました。それを鼻にかけなにかと姚泓を軽んじる動きを見せ始めます。折悪しく、このタイミングで姚興は病を得、寝込みました。すると姚弼、なんとクーデターを起こします。この期に及んで姚弼に対して苛烈な処断を下せない姚興は臣下から「いやいい加減もう無理でしょう!」という声を受けるのですが、反論らしき反論もなく、ただ俯くのみでした。
お隣の南涼ですが、ついに限界が来ます。配下部族が決起したため禿髪傉檀が討伐に出、都が空になったところを西秦軍に襲撃され、陥落。帰るところを失った禿髪傉檀は配下からも見放され、ほぼ単身で乞伏熾磐のもとに降伏。こうして南涼は滅びました。禿髪傉檀は西秦の公卿として取り立てられますが、一年ほどのちに毒殺されます。
こうした事態を受け、南涼の皇族たちは北魏に亡命しました。というのも拓跋氏と禿髪氏は、どうもかなり近い関係性の氏族であったそうなのです。このため拓跋嗣も彼らを受け入れ、源が同じ、ということで彼らに「源」姓を与えました。中でも源賀は、こののちの北魏の重鎮として名を知られます。また北魏は柔然、北燕それぞれに使者を送り込みました。ただこの使者は却って両国の反感を募らせるにすぎませんでした。一方、そんな柔然ではクーデターが起きます。郁久閭斛律は捕らわれ、北燕に追放。新たに甥の郁久閭歩鹿真が立ちましたが、すぐさま郁久閭斛律のいとこである郁久閭大檀に討たれ、郁久閭大檀が新たな可汗となりました。
山登り準備。-送電塔のミメイ-part19
フリーノベルゲーム「送電塔のミメイ」をゆるりと遊んでいます。
作者:里見しば様(HP:http://true-re.sakura.ne.jp/ )
蝉の声が大きいところが、夏って感じがしていいですよね。
暑そうなのにしっかり着物で、30度とかではないんだろうなぁ。
毎週金曜日更新を目安に頑張っていきますので、応援してください!
※時々ゴトンという音がするのは、机にスマホを置いた時の音です。
X:https://x.com/365_nemutai_
土断施行! 勃勃は赫連に【夕刊シチ 5月21日号 413年01月】
【413年01月】
資治通鑑原文2316文字(193/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
5/18-檀道済-6/14
【できごと】
荊州から帰還した劉裕は、わざと途中で旅程に遅れを出します。このため建康で劉裕の期間を待つ者たちは何日かの待ちぼうけを食らうことに。ここには劉裕の同志のひとり、諸葛長民がいました。この人物は武幹こそあれど傲慢で劉裕に対しても不満を抱いていた人物でした。劉毅という反劉裕派の筆頭が滅んだ以上身を危ぶみ劉裕の命を狙うであろうことが見えていたため、劉裕、船団から小舟で別行動をとり、本隊到着の前に建康城へ帰還。そして諸葛長民を「後ろから」呼び出します。肝を潰した諸葛長民は劉裕のもとに出頭、そこで劉裕の護衛である丁旿に殴り殺されました。この事件があり、ちまたでは「変なことしたら側に丁旿がいるぞ」と噂されるようになりました。
劉裕はこれで、ほぼ自身の発言を思い通りに押し通せる状態になりました。そこで次の政策を打ちます。土断です。桓温の時代から時が下り、民の移動もや混交もまた起こっていましたので、そこを整えたのです。この土断は、晋の時代でもっとも徹底的なものとなりました。これにより劉裕は北伐のための軍資を獲得した、と評されます。また西方に送り込まれた第三次蜀遠征の軍は、見事に譙縱を討ち果たし、平定に成功します。なお資治通鑑は黙殺していますが、平定直後に蜀で大規模反乱が起こっており、なかなか言うほどお綺麗な軍役でもなさそうです。
北魏では周辺勢力を制圧したり、謀反を鎮圧したり、などの話が載るくらいです。あと後秦から拓跋嗣にあてて婚姻の話が持ち込まれたため、これを受け入れました。このためここから北魏と後秦の紐帯が一段太くなります。これは、このあとの劉裕による北伐にも絡んできます。
後秦をいじめ抜き、劉勃勃はまさにこのときが勢力の絶頂。ここで有名な話が出てきます。まず、名前を赫連勃勃に改めます。また統万城を建築する際、城壁の作りが甘かった職人を城壁に塗り込んだり、武器職人と防具職人の作ったもので戦わせて、負けたほうを殺した、などです。嘘か本当かを聞かれたら「聞いていて楽しい」とやや引きつった顔で答えるしかないですね!
ともあれ、このあたりは後秦と南涼がとにかくひどい。読んでいてハラハラして仕方がありません。
不定期と化したお絵描き動画 その4
絵が描けるようになりたいので、不定期に絵を描いて動画にします
そして七年の時が過ぎたーー。
↓毎日描いてたやつ↓
1年目(1日目~365日目)mylist/66057524
2年目(366日目~)mylist/69193441
劉毅瞬殺! 劉裕の戦略眼【夕刊シチ 5月20日号 412年02月】
【412年02月】
資治通鑑原文3557文字(118/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
5/18-檀道済-6/14
【できごと】
劉道規が病を得、任地から帰還し、そのまま死亡しました。それはそうでしょう、文字どおり魂を削るレベルのプレッシャーとストレスであったはずです。とは言え、これは劉裕にとって重要な扶翼の喪失を意味します。劉道規の後任には劉毅が任じられました。出立の宴が開かれると、このとき配下の胡藩が「ここで劉毅を暗殺しておくべきではないですか?」と劉裕に囁きましたが、劉裕、これを黙殺しました。
そして、出立。劉毅は荊州に到着すると、さっそく対劉裕のための組織作りを始めます。劉裕はそれに気付かないフリをしつつ裏で準備を進め、そして準備が整ったところで建康に残っていた、謝混をはじめとした劉毅派の貴人たちを収監、殺害。その上で劉毅の罪をあげつらい、出征します。その先鋒は、王鎮悪。王鎮悪は劉毅から求められた劉毅派の重鎮を送り届ける、というふりをして荊州に乗り込み、なんと単独で劉毅を討ち取ります。もともと王猛の孫として名声高かった王鎮悪のこの武勲は、さぞ晋を驚かせたのであろうと想像に難くありません。
ただ、劉裕の恐ろしいところはここからです。先鋒軍でことが片付いたので、本軍は無傷。なのでこの本軍を再編成、配下将のひとりである朱齢石に与え、そのまま蜀に侵攻させました。そして司馬休之を荊州統治に充て、自身は荊州の統治方針に対してひととおりの指示をすると、建康に戻ります。このとき建康ではもうひとつ仕事が残っていました。桓玄打倒決起ころからの同志、諸葛長民の粛清です。南燕討伐もそうでしたが、一つの動きに二つ、三つが当たり前に組み込まれている劉裕の軍略視野は一体どうやって身につけたものなんだと思わずにおれません。
南涼、後秦は引き続き周辺勢力からの攻撃を食らっています。ここで仇池の楊盛もまた後秦との手切れを宣言しました。姚興は怒り仇池を攻めると言い出しますが「あなたのお父上でも無理だったのに無茶です!」と言われてしまいます。それを却下して攻めかかれば、結局敗北してしまいました。
また西秦では乞伏乾帰が甥に殺される、という事件が起こっています。ただしこれは、すぐさま乞伏熾磐が兵を整え討伐。乞伏熾磐がそのまま王位を継承しました。西方の破綻も、すぐそこのようです。
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二劉と二謝! 対決迫る【夕刊シチ 5月19日号 411年03月】
【411年03月】
資治通鑑原文1403文字(278/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
5/18-檀道済-6/14
【できごと】
やや資治通鑑から外れるのですが、二人の謝氏がそれぞれの劉の下についています。謝安の孫、謝混。このひとは劉毅のもとに就きました。一方で謝安の兄だが、まるで有名ではない人物、謝拠の曾孫、謝晦。このひとは劉裕のもとに就きました。この話をするのはかなり偏った史観だと言わざるを得ませんが、どちらがより謝家の本筋に近いか、を考えれば、これは謝氏が基本的にどちらにベットしていたのか、という話にも間接的に繋がってきそうな気がしています。それは言い換えれば、このタイミングでの劉毅と劉裕の権勢争いがどういう情勢であったのか、をも占いうるものだったのではないか、と妄想しています。あ! 妄想ですよ!
さて西方に逃げた盧循ですが、交州刺史に追い詰められ、自殺しています。こうして五斗米道の乱は収束。劉裕もこの功績から、これまでの中軍将軍から一気に太尉、即ち三公に昇進しました。人臣の極みです。逆に言えば、いくら桓玄を倒したと言っても、これだけの圧倒的な武勲をあげなければ宮中から名実揃った実力者とみられはしなかった、ともなります。
北魏では拓跋嗣が拓跋珪の陵墓に出向いたところで昌黎王の慕容伯児が謀反を考えた、とのことで処刑されています。ここの記事はさらっと書かれていますが、昌黎と言えば慕容部が故郷に設定している地です。ともなればこの人物はもともと北魏が後燕の二王三恪、つまり「自身の国の前代の帝王の子孫にも先祖祭祀を認めることによって自身の国が正統であることを強調する」儀礼の対象者であった可能性があります。その対象者が謀反に動いたため、この方向性が頓挫し、結果として「ただの異姓王の反乱として処分された」の、かも、知れません。ここもやはり妄想です。先日書いた史書記述の著しい欠落に基づくこの頃の北魏のあれこれは、中国の史家である田余慶も「史書からの飛躍を多く挟まないと組み立てきれない」と嘆いています。
北燕では馮跋が柔然の郁久路斛律と婚姻関係を結び、対北魏シフトを敷きます。南涼は引き続き西秦に削られ続け、西涼は北涼の攻撃を巧みに跳ね返す。南涼の情勢に胃がキリキリすることを除けば、中央と辺縁、どちらも次の大転換の準備期間に入った印象です。そして次の転機は、晋で起きます。
建康激震! 盧循逆襲【夕刊シチ 5月18日号 410年03月】
【410年03月】
資治通鑑原文5698文字(50/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
檀道済-6/14
【できごと】
五斗米道は周到でした。既に書いた通り、譙縱とも連携をとった。これが西から迫り、自身は南から。途中の郡主らはなすすべなく破れるか、逃亡。その中のひとりには劉裕の同志、何無忌もいました。こうした要将の敗死を受け、劉裕は最精鋭の軍だけを率いて急速南下。旧南燕領については韓范に統治を任じ、劉穆之に補佐をさせましたが、間もなくして「韓范の謀反が露見し処刑されました」。ホントカナア?
劉裕自身はなんとか建康に間に合いますが、南燕戦で兵は疲弊、建康の人々は恐慌状態です。こうした中劉毅が迎撃に出ると言い出します。ここで劉裕が「お前じゃ無理だ」と言い出したので、劉毅、制止を振り切り出征、そして大敗。五斗米道を更に勢いづかせました。しかし盧循は心配性で、ここで攻撃に躊躇を見せます。この躊躇が結果として劉裕に迎撃準備を整えさせるだけの猶予を与え、結局盧循は攻略が不可能と判断、撤収を開始しました。ただし、このとき西方に軍を発します。狙うは劉道規の守る江陵です。このとき蜀から譙縱軍が迫っていた江陵は東西両面から攻撃を受ける状態に。しかし劉道規、この絶体絶命の窮地を、北からの魯宗之の助けも借り、突破。このときの配下将に、のちに武名を轟かせる檀道済がいました。
建康も、江陵も失敗。盧循、本拠地に戻るしかありません。しかし劉裕もまた周到でした。建康から海沿いで、つまり盧循が過去にとった経路を用いて別働隊を派遣。盧循が拠点としていた番禺城を陥落させていました。帰る場所を失った盧循は更に西方に逃亡、徐道覆は途上で討ち取られます。こうして劉裕は絶体絶命の危機を、その豪腕でぶち抜くのでした。
夏と後秦の戦いはどこまでも夏優勢に進みます。そうした中、後秦からひとりの士人が夏に帰服しました。王買徳と言います。王買徳は「まだ秦は滅ぼせないので時を待つべきです」といい、劉勃勃に気に入られ、召し入れられることになります。
柔然は北魏と戦い、敗れると、郁久路社侖が敗走中に死亡。弟の郁久路斛律が可汗となりました。またこの頃南涼は北涼や吐谷渾よりの蚕食を頻繁に受けています。盛衰は無常ですね。
【衝撃】彼氏「今からハワイ行こう!」私「パスポートもってないよ」彼「え!…じゃあ俺だけ行ってくる」私「え!」→本当に1人で行ってしまったので空港に残された私は…【恋冷め】
YouTubeからのお引っ越し動画です
引用元:https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1506413852/
この後ちょっとスレ民とのやり取りがあったのですが省略してしまいました
興味がある方は引用元URLからどうぞ
・スレ番号:359(本ストーリー)
・関連のあるスレ番号 →360・361・362・363・365・373・375・376
ハッピーアンドエンド(女声三部合唱風/Choir Bond)【ホントの合唱】
※訂正とお詫び
今頃気づいたのですが…。
エンドロールの VoiSona Sが
「AI」になっていますが、
「IA」の打ち間違いです。
訂正して、 お詫びします。
還暦が視野に入ってきた私でも
先へ続く物語を書き進められるの
だろうか?
吉田夜世さんと高生紳士さんの楽曲
「ハッピーアンドエンド」を
女声三部合唱風にしてみました。
今回は、Choir Bond[VoiSona]に
歌わせています。
曲に一目惚れしたのは、久しぶりです。
是非、原曲も聴いて下さい。
原曲のMVとoffvocalをお借りしました。
偉大なる原曲
重音テトSVver.
https://www.nicovideo.jp/watch/sm46232233
https://www.youtube.com/watch?v=hUg0dMeMgi0
高生紳士さん歌唱Ver.
https://www.youtube.com/watch?v=YPoP53X1qAo
原曲制作Staff
Music&Lyrics
吉田夜世さん
Illustration
だゆさん
Movie&Logo
繰木みやさん
Planner
高生紳士さん
Vocal
重音テト/高生紳士さん
SpecialThanks
鳥頭めうさん(ココフォリア公式運営)
指揮[音源・動画制作]
絆一二三(きずなひふみ)
合唱
Choir Bond[VoiSona]
S IA こむらさきももか
M 知声 こむらさきももか
A 知声 一花
使用ソフト
スコアメーカーZERO
VoiSona
Audacity
PowerDirectou365
北魏激震! 拓跋珪暴死【夕刊シチ 5月17日号 409年04月】
【409年04月】
資治通鑑原文6018文字(42/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪▲
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
【できごと】
この年は北魏の因習として名高い子貴母死が初めて実施された年。拓跋嗣の母をそのまま皇太后としておいていたら、皇太后の一族が権勢を握るであろうから殺した、というものです。この措置を受けて拓跋嗣は号泣、その様子に怒った拓跋珪が折檻を加えようとしてきたため、拓跋嗣は城外に逃れました。するとこのタイミングを見計らい、拓跋珪の息子のひとり、拓跋紹が自らの命を危ぶみ、拓跋珪に強襲を掛け、殺害しました。ここで拓跋紹は皇帝を自称しますが、拓跋嗣はすぐさま城外で兵力をまとめ、拓跋紹を討ち果たし、即位しました。ちょっと激動に過ぎます。
後秦は劉勃勃の逆襲に遭っていました。姚興自身が出陣するも、やはり大敗します。そして、この事態が思ってもみなかった事態を招きます。この時、長安には南燕から韓范が対晋軍のための援軍要請をしに出向いていました。一度はこの申し入れを受け入れた姚興でしたが、この大敗によって兵力が大きく削減。もはや援軍など出せる余力も失い、韓范が引き連れかけた軍を接収。この事態を受け韓范は「天が燕を滅ぼさんとしておるのか!」と悲鳴にも似た絶叫をあげています。またこうした後秦のズタボロぶりを見て、遂に乞伏乾帰が再び秦王を名乗ります。西秦の再興、そして、後秦への手切れ宣言です。
こうした背景を受け、晋。というよりは劉裕。建康より出立、南燕が誇る騎兵軍を退けると、一気に都である広固城に肉薄します。ただ一度広固を囲むと、実際の攻略までには半年以上を要しました。この事態に劉裕は激怒、南燕の貴人五千名ほどを殺し、広固城を解体しました。というのも、南燕攻略を長引かせれば五斗米道が攻めてくるのは、もはや既定路線であったのです。とはいえこの処遇に対し司馬光さんは「仁義がない! だから劉裕は失敗したのだ!」と言い出しています。無茶言うな。ともあれ劉裕は戦勝の余韻に浸る暇もありませんでした。懸念が的中し、五斗米道軍が実際に北上を開始したのです。
同年、北燕で高雲が臣下に殺され、馮跋が立ちました。晋書及び資治通鑑は不幸な事故からの収拾のように書きますが、魏書は「馮跋が殺した」と書いています。いやあのさあ。
劉裕北伐! 南燕を狙う【夕刊シチ 5月16日号 408年04月】
【408年04月】
資治通鑑原文2663文字(165/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
【できごと】
この年は、まず南燕から紹介しておきましょう。前年に後秦へ楽隊を献上したため宮廷内の音楽に不備が出ていました。この不足を補わんと、慕容超は、事もあろうに晋から強奪しよう、と言い出します。この命令に臣下らはありえません、と悲鳴をあげますが、慕容超、聞く耳を持ちません。軍を発し、晋から二千五百名ほどを拉致。また北魏にも襲撃を仕掛け、こちらでも千人ほどを拉致しています。これでは自分からわざわざ攻め込む理由を創出したようなものです。実際、この動きに対して晋は報復の動きに出ます。
ただ、そんな晋の周辺で、不穏な謀議が持ち上がります。譙縱と五斗米道が密かに繋がったのです。この頃第二次蜀征伐軍が蜀を進んでいましたが、この軍は道半ばにて足止めを喰らい、さらにそこで疫病の流行を受け、撤退を余儀なくされました。この失敗を受けてこの軍を率いていた劉敬宣は免職、劉裕もまた任命責任として降格しました。なおここで劉毅が劉敬宣の処刑を言い出しますが劉裕がそれを庇い、両名の間の溝が広がります。失点挽回というわけでもないのでしょうが、こうした中劉裕は北辺を荒らす南燕の討伐を願い出ます。周囲からの反対もありましたが、最終的に承認され、出撃。なおこの際、晋に亡命してきていた王猛の孫、王鎮悪を配下に加えています。
後秦はこの年、夏と南涼に同時に攻めかかり、しかも両方で失敗するという最悪なミスを犯しています。このせいで禿髪傉檀は涼王を自称、またこうした後秦のぐだぐだぶりを見てとった乞伏乾帰も後秦から脱出、旧西秦の領域で勢力をまとめていた息子の乞伏熾磐の元に合流します。
北魏はこの年も臣下殺しの話題です。しかも二十年ほど前、敵対勢力に対して媚びるような姿勢を示した、という話を今更のように蒸し返した上で。いくらなんでも拓跋珪を異常人物に見せたい意向が強すぎな気もしますが、問題は実際に魏書でも拓跋珪周りではこの辺りの話しか載っていないことです。のちにこの辺りは国史の獄、崔浩が拓跋鮮卑の歴史を書くに当たってあまりにももろもろあけすけに書きすぎたせいで大弾圧が興り、歴史記述が吹き飛んだため記述が薄いと判明するのですが、それにしても、おかげで晩年の拓跋珪、ただの狂人にしか見えません。
【星の翼】茜ちゃん旅 シーズン13 part365【スズラン】
いいねにその日の勝率書いておきました。
使用ソフト
A.I.VOICE2
AoiSupport
Recotte Studio
鳥の歌(混四/絆合唱団・Choir Bond)【合唱MV】
今回の【合唱MV】は、ジャヌカンの「鳥の歌」です。
1528年に楽譜が出版されたシャンソン曲で、鳥の
さえずりがそこかしこから聞こえてくるような
歌です。
ニコ動だと、にじもとさんの訳詞ver.が有名ですが、
今回は、野上彰さんの訳詞ver.です。
絆合唱団[スコアメーカーZERO]とChoir Bond
[Voisona]で作っています。
楽譜はスコアメーカーZEROに打ち込んだものを、
撮影しています。
YouTubeにも同じものをアップしています。
https://youtu.be/yGvgC8pCoHE
鳥の歌 Le Chant des Oyseaulx
作曲 ジャヌカン
訳詞 野上彰
指揮(音源・動画制作)
絆一二三(きずなひふみ)
合唱
絆合唱団[スコアメーカーZERO]
Choir Bond[VoiSona]
S:こむらさきももか
A:一花
T:梵そよぎ
B:機流音
使用ソフト
スコアメーカーZERO
Voisona
Audacity
PowerDirector 365
ezCam
悪魔立つ! 劉勃勃独立【夕刊シチ 5月15日号 407年05月】
資治通鑑原文3563文字(117/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
【できごと】
晋内部での政権再編が進みます。安帝の弟司馬徳文、のちの恭帝が司徒につけられ、劉裕は車騎将軍に昇格。このあたりで桓玄打倒軍の首魁たちの間に権力争いが生じていたことが書かれています。この政争を劉裕は劉穆之からの助言を受け、巧みに泳ぎ抜きました。一方で蜀遠征が上手く進みません。そこで劉裕、劉道規を総取締とし、劉牢之の息子である劉敬宣に軍を率いさせ、第二次遠征を開始させました。なお劉敬宣は司馬休之と共に南燕に亡命していたため対桓玄戦で武勲を立てておらず、劉裕はここで箔をつけさせようとした、と書かれます。
北魏では、この年も功臣たちをこれでもかと処刑しています。この頃既に錯乱が始まっていたのではないか、と思わされます。
さて、後秦です。涼州統治が不安定である以上、北魏と事を構えるのは悪手。そこで北魏と手を組むことにしました。すると、これが最悪の結果を招きます。居候・劉勃勃。劉勃勃にとり北魏は不倶戴天の敵です。このため両国の和親に激怒し、折しも柔然が後秦に献上しようと運搬していた馬八千を奪った上で独立しました。夏の建国です。
こうして自立した劉勃勃は南涼と同盟を組もうと申し出ましたが拒絶されたため襲撃、大破しています。この大敗のせいでここから南涼が衰退し始めます。天災にすぎる。
後燕では引き続き慕容熙が苻氏の葬儀を盛大に執り行っていました。こうした乱脈ぶりにいい加減キレたのが馮跋でした。慕容熙が葬儀のため龍城から出払っている隙をついて決起。嫌がる慕容雲を強引に盟主に担ぎ出します。これを聞いた慕容熙は鎮圧のため龍城に戻りますが、攻め落とせません。遂には軍を放り出して逃亡。慕容雲は逃げ隠れしていた慕容熙を見つけ出すと処刑し、自身が即位します。ところで慕容雲は高氏から慕容氏に養子入りした身でした。このため即位すると自身の姓を高に戻します。王の姓が代わったわけですから、以降が北燕となります。
南燕では慕容超が後秦に残した母と妻を取り戻すべく、韓范を後秦に遣わせ、おそらく長安より引き連れられていたのであろう太樂の芸人百二十人を後秦に献上、その上で臣従を誓いました。このため姚興も求めに応じます。この紐帯は、劉裕の南燕討伐における鍵となるのです。
人。-送電塔のミメイ-part18
フリーノベルゲーム「送電塔のミメイ」をゆるりと遊んでいます。
作者:里見しば様(HP:http://true-re.sakura.ne.jp/ )
今回の閑話はめちゃくちゃ私に刺さりました。
どうして私には語彙がないのか。悔やまれます。
毎週金曜日更新を目安に頑張っていきますので、応援してください!
※時々ゴトンという音がするのは、机にスマホを置いた時の音です。
X:https://x.com/365_nemutai_
鮮卑狂乱! 凶行の数々【夕刊シチ 5月14日号 406年06月】
通鑑2224文字(203/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メイン
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-馮跋-6/8
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
【できごと】
北魏の拓跋珪は平城の拡張工事について臣下に相談したところ態度が生意気だったので殺した上、平城の南宮を造営しました。
後燕では慕容熙の皇后、苻氏が死亡しました。彼女の死に慕容熙は錯乱にも近い悲しみかたをしてみせ、一時期は意識不明の重体に。目覚めた慕容熙は臣下にも哭泣を強要、しなかったものは殺しました。さらに資治通鑑はあまりにも異常な行為であったためスルーしていますが、慕容熙、棺に収められていた苻氏の遺体と泣きながら交わっています。司馬光さん、さすがにこれはフィクションだろと判断したんでしょうか……ね!
南燕では慕容超のもとで公孫五楼が幅を利かせ、次々に旧来の臣下が殺害されたり、国外逃亡の憂き目に遭っていたりします。これはたまらんと宗族では謀反を決意するものも現れましたが、大臣の韓范に鎮圧されています。こうした中慕容超は酷刑の復活を言い出します。この動きを見ていると「慕容徳の築いたものを壊したくてやって来た」ようにしか見えないのが空恐ろしいです。
後秦では姚興が叔父の姚碩徳および姚緒を非常に重んじていた、という記事が載ります。一方でこの頃から南涼が後秦への帰属から離れはじめ、乞伏氏も臣属こそ誓うもののその勢力を盛り返し始めます。北涼は南涼とバチバチ状態ですし、西涼はよくわかりません。この頃の姚興が西方経営に頭を抱えていたであろうことは想像に難くありません。
東晋ではようやく桓玄討伐戦の論功行賞が完了し、劉裕は豫章郡公に封じられます。ちなみに豫章はこの前に桓玄が封じられており、この当時急速に発展していた地域だったのであろうことが伺えます。ただし、その地を実際に統治したのは会稽から移った何無忌です。このあたりの人事はちょっと不思議です。そして会稽には司馬休之が左遷されました。こうして見ると、当初五斗米道が再び会稽から攻め寄せてくるのではないかと警戒したが、脅威が会稽から去ったと見なされ、それよりも侵攻ルートとしてより現実的である贛水流域の守りを厚くした、と見なすのが良さそうです。一方、このタイミングで殷仲文が桓氏で唯一生存を許されていた桓沖の孫、桓胤を旗印として決起。鎮圧され、殷仲文は桓胤と共に処刑されました。宋書は「この措置をもって桓氏がほぼ滅ぼされた」と宣言します。劉裕、結構どぎついです。
