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アッテルベリ:交響曲第5番 ニ短調「葬送交響曲」作品20
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=qLFCd4uTv3c)。
スウェーデンの作曲家クット・マグヌス・アッテルベリ(1887 - 1974)は生涯に9曲の交響曲を作曲しましたが、彼が1922年に作曲した交響曲第5番 ニ短調 作品20は、スウェーデン国外において彼が高く評価されるきっかけとなりました。
3楽章構成である本作は「誰もが自分の愛するものを殺す」というテーマに基づいて作曲されたといわれており、全ての楽章が短調で、特に第2楽章は沈痛極まりない葬送行進曲となっています。作曲者アッテルベリ自身によって「Sinfonia funebre(葬送交響曲)」の題名が名付けられ、作曲された翌年の1923年にベルリンで初演された本作はたちまち注目を浴び、特に第2楽章は当時のドイツの新聞記事で「かくも美しい感動的な葬送行進曲」と書かれるほど高く評価されました。
アッテルベリの存在は交響曲第2番の作曲以降、ドイツ音楽界の一部で名を知られるようになっていましたが、本作の初演によってアッテルベリは(少なくともドイツにおいては)有力な独自の個性を持ったスウェーデンの作曲家として認知されました。
スティグ・ヴェステルベリ指揮
ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団
アッテルベリ:交響曲第6番 ハ長調「ドル交響曲」作品31
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=1ySSn7UFxQA)。
1927年、コロムビア・レコードはシューベルト没後100年を記念した作曲コンクールの開催を宣言し、作品募集を行いました。当初の募集条件は「シューベルトの交響曲第7番『未完成」を補筆完成させる」というものでしたが、多くの専門家や音楽愛好家から猛烈な批判を浴びたため、紆余曲折の末に「シューベルトの精神による管弦楽作品」という条件に変更されました。
このコンクールに応募した作曲家の一人が、既に交響曲を5曲作曲していたスウェーデンの作曲家クット・アッテルベリ(1887-1974)です。当初は応募期限が1927年内で、作品完成が間に合わないとして参加しない予定でしたが、上記の応募条件変更に伴うゴタゴタにより、期限が1928年4月まで延長されたため、参加可能とみて応募することとしました。こうして作曲された交響曲第6番は、500作以上の応募作品の中で見事に第1位を獲得し、アッテルベリには優勝賞金1万ドルが送られました。アッテルベリはこの賞金でフォード車を買い、運転免許を取得します。この出来事は新聞各紙により大々的に報道され、アッテルベリの名は音楽愛好家の枠を超えて広く知れ渡ることとなりました。それと同時に、彼の最も有名な作品となった交響曲第6番には「Dollar Symphony(ドル交響曲)」の異名が付けられました。
作品は3楽章構成で、コンクールへの応募作品という性格からか全体的に明るい曲想となっており、審査員が「シューベルトの精神による管弦楽作品」という条件に合致すると判断するのもうなずける快作になっています。アッテルベリ自身は作品について「古いスタイルの模倣で、人を愚弄するもの」と自嘲気味な発言を遺しましたが、実際にはかなり愛着があったようで、後にピアノ五重奏曲に編曲し、作品番号「31b」をつけています。
なお、この作品は極めて親しみやすい旋律に満ちていたことから、当時の専門家の中には他の作曲家の作品から引用されたと主張する者がいましたが、アッテルベリ自身は「自分が知らない作品から引用されたと主張している」と苦笑していたといわれています。
スティグ・ヴェステルベリ指揮
スウェーデン放送交響楽団
アッテルベリ:交響曲第4番 ト短調「小交響曲」作品14
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=RBXJGBL2vJc)。
1917年、スウェーデンの作曲家クット・アッテルベリ(1887 - 1974)は交響曲第4番の作曲に取り掛かり、翌1918年に完成させます。そして1919年、ストックホルムにて初演されました。
この作品は伝統的な4楽章構成ながら演奏時間が約20分と小規模で、アッテルベリ自身によって「Sinfonia piccola」(小交響曲)と命名されました。しかし本作にはスウェーデンの民族音楽の旋律が全楽章に含まれており、後期ロマン派とスウェーデンの民族音楽を融合させた「スウェーデン国民楽派」と呼ぶべきスタイルになっています。
これ以降のアッテルベリの作品は「スウェーデン国民楽派」に沿ったものとなっていきます(これに対して「現代音楽の潮流・進歩に背を向けた懐古主義」と批判する向きもあります)が、本作はその流れを確立した始まりの作品として重要な位置を占めています。
ネーメ・ヤルヴィ指揮
エーテボリ交響楽団
アッテルベリ:交響曲第2番 ヘ長調 作品6
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=XTh233TWXTQ)。
1910年に交響曲第1番(sm34598697)を完成させたスウェーデンの作曲家クット・アッテルベリ(1887 - 1974)は、引き続いて次の交響曲の作曲に取り掛かり、翌年に2楽章構成の交響曲第2番 ヘ長調 作品6を完成させました。1912年1月には自身の指揮による交響曲第1番の初演に成功し、スウェーデン音楽界期待の俊英として注目されていたアッテルベリは、その勢いに乗って同年12月に第2番の初演を行います。
ところが、初演後の反応は観客・評論家ともに思わしくないものでした。2楽章構成であることと、曲がアダージョという遅いテンポで終了することから、シューベルトの交響曲第7番と同様に「この交響曲は未完成ではないか」という批判が起こったのです。このため、アッテルベリは翌1913年に速いテンポで壮大な締めくくりとなる第3楽章を追加で作曲し、3楽章構成としました。この改訂版は同年7月に初演されて成功を収め、作品に対する批判を払拭することができました。その後、本作はニキシュやリヒャルト・シュトラウスなどが取り上げたことでドイツ音楽圏での知名度が上昇し、アッテルベリの作曲手腕は第1番に引き続いて国際的に高く評価されます。
ただし、アッテルベリは生涯においてベートーヴェンと同様に9曲の交響曲を作曲しますが、最も作曲活動が旺盛だったのは本作を作曲した時期であり、第2番を初演した1912年にストックホルムの特許局に就職してからは、作曲活動は緩やかなものとなります。
アリ・ラシライネン指揮
フランクフルト放送交響楽団
アッテルベリ:交響曲第1番 ロ短調 作品3
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=6TB0Xwe9_6g)。
クット・アッテルベリ(1887 - 1974)は20世紀前半のスウェーデンを代表する作曲家の1人で、チェロ奏者・音楽評論家として活躍し、同国の作曲家協会・著作権協会会長にも就任するなど、音楽界の重鎮として精力的に活動しました。一方で、彼はストックホルムの特許局に定年まで勤務し、作曲によって生活する職業的作曲家とならないという稀有な生涯を送りました(似たような例として、13歳年上のチャールズ・アイヴズが「不協和音のために飢えるのはまっぴらご免だ」と言って保険会社を設立し、引退まで副社長を務めています)。
交響曲第1番 ロ短調 作品3は、アッテルベリが王立音楽院に応募するために1910年に作曲した作品で、1912年にエーテボリで初演されて好評を博しました。23歳の若さで作曲され、作品の端々にブラームスやリヒャルト・シュトラウスの影響がみられるものの、内容はアッテルベリの個性が明確に現れており、その後ストコフスキーやニールセンが演奏会で取り上げるなど、国際的にも高く評価されました。この成功によって、アッテルベリはスウェーデン音楽界の俊英としての名声を確立します。
アリ・ラシライネン指揮
フランクフルト放送交響楽団